〜微笑み返し〜 ♪春一番が     掃除したてのサッシの窓で         ほこりの渦を踊らせてます♪ うららかな日曜の午後・・・。 窓からは春の光が差し込み風がカーテンを揺らしている。 もうあと一月もすれば桜が咲き始めるかも知れない。 今日はラムもジャリテンも家にいない。 両親もどこかへ出かけたらしい。 家にいるのは、宇宙一女好きの少年と・・・前髪をそろえた少女だった。 少年の名は諸星あたる、そして少女は三宅しのぶという。 あたるとしのぶはかつては恋人同士だった。 小さい頃からずっと一緒で、結婚まで誓い合った、そんな仲だった。 でももう、ただの友達になってしまったのだろうか・・・。 「ちょっと、あたるくん。なによ無理矢理連れ込んだりして」 少年に手を引かれながら少女が不機嫌そうに言う。 「いやあ、ちょっと面白いモノをみつけたからさあ」 先に階段を上りながら少年が言った。 「まったく、あたしもそんなに暇じゃないんだから。  だいたいラムに見られたら殺されるわよ」 「大丈夫。ラムは今日一日いないから、ふ・た・り・き・り 彼女は、急に顔をを寄せた少年をはり倒して あからさまに嫌そうな顔をしたが、別に逃げる気もないらしい。 「面白いモノって何よ」 「うふうん、実はね、この間ジャリテンに投げた本の間に  俺としのぶの写真が挟まっててね。多分アルバムに挟み忘れてたんだね。  その時はラムがいたからあわてて隠したんだけどさ、  今、他にもないかと捜してたらこれが結構出てきたんだよ。  いや、そこをたまたま君が通りかかって・・・」 「へえ、どんな写真」 「俺達が幼稚園の頃の写真、誰がこんなの撮ったんだろうていうのばっかり。  でも、あんまり面白くないかもね」 「なによそれ、面白いモノがあるって言うから来たんじゃないの」 少女が半ば強引に連れ込まれた部屋は壁紙がところどころ剥げ、 天井にもジャリテンの放火によって焦がされた跡が残っていた。 しかし少女は不思議と嫌な気分はしなかった。 むしろ、隅々から感じられる、この部屋の主の生活感?に 落ち着きさえ覚えるのだった。 「まあまあ、ふたりっきりになれただけでも・・・」 そう言いながら少年は数枚の写真の束を少女に手渡した。 「あら、私は別にあたるくんなんかと二人になりたいとは思わないわ・・・  いやっ、懐かしい〜。こんな写真よくあったわね」 少女は、二人が仲良く並んで花火をしている写真を見てそう言った。 「そうそう、あの時あたるくんが火傷して、も〜大変だったのよね」 「そうだったっけ?」 「いやだあ、忘れたの?私あの時お薬塗ってあげたのよ」 「ああ、思い出した。あの時は父さんも母さんもいたのに、ただ笑ってたんだっけ 」 「まあ大した火傷じゃなかったからね。でもあたるくんたらわーわー泣いてたわ。 あの頃は今と違って、タフじゃなかったのね」 「今も心は繊細なんだけどな〜」 「へえ、心のどのあたりが?」 それから二人はしばらく笑った。 こんなに近くでお互い笑い合ったのは何カ月ぶりだろうか。 少女の小さな口から時々見える真っ白な歯、頬にできたえくぼ・・・ そんな彼女の笑顔を見ながら少年は (そう言えば、俺はしのぶのこんな笑顔が好きだったんだよな) と、改めて思った。 年がら年中お気楽に生きてるように見えるこの少年にだって 悩みのひとつやふたつ抱え込んでいた時もある。 そんなとき彼女の笑顔にどれだけ救われただろうか。 (あの頃しのぶは、自分の為だけに笑ってくれた・・・) 「これはきっとしのぶの誕生日の時の写真だね」 「ケーキにろうそくが、ひい、ふう、みい、よお、いつつあるわね」 「懐かしいな。もう十年以上まえだもんな」 「お母さんも若いな〜」 「そう言えば、俺達が最初に結婚しようって言い出したのは  この頃じゃなかったかなあ。最初に言い出したのはしのぶだったよな」 「違うわよ、最初に言ったのはあたるくんよ」 「それでその気になったってことかい?」 「その気になんか・・・。でも本当に幼かったのね・・・  ってなんか中年の台詞ね。うふふ」 再びふたりはお互いに笑いあった。 ・・・プールの写真に遠足の写真、        海でスイカ割りをしたときの写真etc・・・。 それぞれにいっぱい思い出が詰まっていて、 話しても話しても飽きることはなかった。 まるでおもちゃ箱をひっくり返したように、 次から次へと二人だけの思い出があふれ出してきた。 そして、それらの思い出一枚一枚に二人は 涙が出るまで笑い合うのだった。 「なんだかこうしてふたりでいると、あの頃に戻ったみたいだね」 少年はいつもの彼らしからぬ口調で言った。 「そうね。またつき合ってみる?」 少女がいたずらっぽく笑いながら訊いた。 「そういうこと言うと俺は本気にするよ」 「どうぞ御勝手に・・・って、いやあ、なにすんのよ〜」 少年は再びはり倒された。 「いてて・・・。だってしのぶが御勝手にって言うからさあ」 「冗談に決まってるでしょうに。まったくこれだから男は油断ならないのよ」 「いいじゃないのキッスぐらい。初めてじゃあるまいし・・・」 「あら、わたしは初めてよ」 「嘘つきっ、俺としたことあるくせに」 「さあ、覚えてないわねえ」 そうしているうちにもう日は西に傾きかけていた。 「あれ、もうおしまい?」 少女が残念そうに訊いた。 「うん、たぶん・・・」 少年はもう一度本を手に取り、ぱらぱらと振ってみた。 すると、本の間から写真が一枚だけひらりと畳の上に落ちた。 ふたりとも間髪を入れず、まるでカルタ遊びのように手を伸ばした。 わずかに少女の方が早く、少年の手は彼女の柔らかい手の上に ちょうどのっかった格好になった。 「あたしの勝ちね」 「うん、タッチの差だったな」 普通の男女ならドキリとするようなこんな場面でも 幼なじみの二人にはこんな会話になってしまう。 「じゃ、先に見ていいよ」 少女は嬉しそうに笑いながら写真を手に取った。 だが、そのまま彼女の動きは止まってしまった。 「あ、あたるくん・・・」 言葉を失い、ただ呆然としている少女の脇から 少年はその問題の写真をのぞき込んだ。 ・・・たった一枚のスナップ写真、        ふたりがまだ幼かった日の・・・ ・・・口付けの瞬間・・・ たぶん当時せいぜい四つか五つだったふたりにしてみれば ふざけてやったことに過ぎないだろう。 だが、少年はともかく少女にはこの過去を単なる 甘酸っぱい思い出などという風に受け止めることはできなかった。 複雑な気分・・・。 「こ、これももう昔の話よね・・・」 そう言って写真を破り棄てようとした少女の手を少年の手が強く掴んだ。 「あたるく・・・」 そう言いかけた少女の言葉を遮るように 少年の唇が彼女のそれに軽く触れた。 少女の手に握られた写真はそれを合図にしたように するりと彼女の細くなめらかな指を抜けて床に達した。 彼女は勿論、少年の頬に平手打ちをしようと思った。 しかし、力が入らなかった。 全身が震えた。 なぜだか涙が溢れてきた。 しばらく時が止まったように感じられた。 窓の下を一台のトラックが通過していった。 自転車の音と共に子供達の声が近づき、遠くなっていった。 「どうしてこんなこと・・・」 あまりに突然の出来事に少女はただただ困惑するばかりだった。 なぜこんな事をしたのか? 少年にも良くわからなかった。 ただ、体が勝手に動いた・・・。 「だって俺まだ・・・しのぶのこと・・・」 「言わないで・・・聞きたくないわ・・・。  私はもうあたるくんの事なんて何とも・・・」 そう言って少女は言葉を詰まらせた。 そして自分の胸に問い返してみた。 本当に・・・本当に何とも思っていないのだろうか。 口付けされたとき・・・本当は嬉しかった。 そう思うと、なぜだかよけいに涙がこぼれた。 「そうだったね、しのぶにとっては昔の話だったね」 春のうららかな陽気とは対照的に 部屋の中には何か重たい空気が流れた。 そしてしばらく沈黙 「あたるくんにとっても昔の話じゃないの。あなたにはラムがいるわ」 それは少年に向けられた言葉だったが 同時に少女自身に向けられた言葉でもあった。 (そうよ、あたるくんにはラムがいるわ。  私もあたるくんも、お互いにもう何とも思ってないわ・・・) 「ねえ、私とキッスするときラムのこと思い出さなかったの?」 少女に問われて少年は改めて、ラムについて考えてみた。 いつでも少年のことを思っていてくれる・・・。 そして、彼の為だけに笑ってくれる・・・怒ってくれる。 (確かに、今、自分が好きなのはラムなのかも知れない。でも・・・) 「君とキッスをするときには君しか見ていなかった」 無意識のうちに少年は少女の肩に手をまわした。 (それでも・・・それでもしのぶが好きだ)  しのぶには、ラムに言えないことでも言える。  自分の弱いところもみせられる。  お互いにすべてを知っているから。 「あたるくん・・・。私怖いのよ。今こうしてると、  また・・・またあなたのこと好きになっちゃいそうだから・・・」 「しのぶ・・・」 「だから、あんまり優しくしないで・・・。今お互いに好きになっても  きっと傷つけ合うだけだから・・・」 そういって涙を拭うことしかできなかった。 「寂しかったのよ。私ずぅっと寂しかった。つき合っていた頃も・・・  あなたにはいつでも、私だけを見ていて欲しかった。  いつもいつもわたし不安だった。ラムが来てからは特に・・・」 「いつでも君が一番だった・・・。あの頃はいろんな子に  こういうこと言ってたから信じてもらえなかったかもしれないけど  今のは本当だよ」 「今は?今でもわたしが一番って言える?」 この問いに対して少年は言葉を詰まらせてしまった。 本当は直ぐに“もちろんだとも”と言いたかった。 しかし何かがそうさせなかった。 「言えないわよね・・・。だったら・・・いっそのこと  おまえなんか嫌いだって・・・そう言って・・・お願い」 「終わりって事だね・・・」 「本当は今のままがずっと続けばって思ってた。  でも、あんなことされたら・・・。  もうそろそろはっきりしなきゃって、そう思ったの」 少年は少女を抱いた手を離し床に落ちた写真を拾った。 そこにはただ無邪気なふたりの姿。 「結局、あなたは優しすぎた・・・」 静寂を破るように突然少年が声を上げた。 「ハハハ、泣くなよしのぶ〜。そんな暗い顔しのぶらしくないぜ」 「あたるくん・・・」 「俺達これで最後なんだよ。最後ぐらい笑ってお別れにしようよ」 少年の言葉に少女は少しだけ驚いた。 しかし直ぐに首を縦に振って笑顔を作った。 「うん・・・」 「泣くなよ!絶対泣くなよ・・・」 最後の方は声にならなかった・・・。 「うん・・・」 お互いに目にいっぱい涙を浮かべて思いっきり笑った。 何がおかしいのかはわからなかったけれども、 ふたりとも心の底から笑った。 笑っていなければ涙がこぼれてしまうから・・・。 春の日はさらに傾き、部屋の奧まで差し込んできた。 「あたるくん、なんで目に袖を持って行くの?」 「ば、ばか・・・これは汗だよ汗。しのぶこそ目が真っ赤だぞ」 「違うの、あんまりおかしいから涙が出て来ちゃったの」 「そうかそうか、ハハハハハ、俺も泣けてきたよ、ハハハハハ」 そして、ふすまが破れ、畳が変色した小さな部屋からは いつまでもふたりの笑い声が響いていた。 陽は西の空に沈み、東の方から少しずつ闇が迫っていた。 町内の家々からは夕食の、味噌汁や魚を焼く匂いが漂ってくる。 そのうちの一件の玄関先に少年と少女の影が映っていた。 「遅くなっちゃったね」 「そうだね・・・」 「それじゃ、さよなら」 そう言って帰りかけた少女に少年は声をかけた。 「しのぶ・・・。俺達これで終わりだけどさ・・・三宅しのぶの  初恋の相手は諸星あたるだったってことは覚えておけよな」 精一杯の笑顔を繕った。 「うん、絶対に忘れないわ。でもあたるくんも・・・  わたしを好きだったこと忘れないでね」 それでも、頬を生暖かいものが伝った。 「ああ・・・。ハハハ、明日からだってまた逢えるのに、俺達って大げさだな」 口では強がってみても、心は泣いていた。 (ずっと一緒だったから、わからなかった・・・わかってあげられなかった) 「じゃあ、今度こそ本当にさよなら」 そう言って少年は軽く手を振った。 「さよなら・・・」 少女も手を振った。 ♪Un deux trois 三歩目からは Un deux trois それぞれの道           私達 歩いて行くんですね・・・  歩いて行くんですね♪ 視界から少女の姿が完全に消えたあとも 少年はしばらく玄関先に立っていた。 (優しすぎた・・・か。優しくなんてないのに・・・) その時、後ろの方から彼を呼ぶ声がした。 「ダーリ〜ン。うちがいない間いい子にしてたっちゃ?」 少年はあわてて涙を拭って、平静を装った。 「な〜んだ、ラム、もう帰ってきたのか」 少年は背中を向けたままで言った。 涙は見せたくなかったから。 「それはどういう意味だっちゃ!」 「い、いや別に」 少年は反射的に身構えた。 だが別にラムが電撃をして来るというわけでもなかった。 「ダーリン、うちはまたダーリンが他の女に手を  出してるんじゃないかって心配してたっちゃ」 「今日はずっとうちにいたよ」 嘘ではない・・・。 だが口に出して言ってみるとちょっとだけ罪悪感が芽生えた。 「そうけ。それならいいっちゃ。・・・ダーリン鼻水のあとが  あるっちゃよ。うちのこと心配して泣いてくれてたのけ?」 「えっ、ああ、これね。ちょっと風邪気味なだけ・・・」 少年はあわてて鼻を拭った。 「本当け?それは大変だっちゃ」 ラムが心配そうに顔をのぞき込んだ。 (俺がしのぶと会っていたって事も知らずに、  こんなに心配してくれるなんて・・・) なんだか今日はちょっとしたことで心が痛む。 雲一つない東の空に月が照っている。 満月の明かりに照らされて、ふたつの影が寄り添っている。 「なあラム・・・、俺って優しいと思うか?」 「もちろんだっちゃ」 一瞬の間も置かないで返ってきた答えに、 この時ばかりは少年も頬を緩めた。 明日からはまた、まるで何事もなかったかのように、 いつもと何ら変わらない日常が始まるのだろう。 そしてきっと今日あったことは誰にも話すことはないだろう。 少年が今一番愛している、そして少年を一番愛してくれる 遠い遠い星から来たこの少女にも・・・。