【了子の休日】  日曜日のことだった。 「行って来る」 「若、お気をつけて!」  総勢500名のサングラス隊に見送られ、おにいさまが自家用ヘリコプターに乗ってどこかへ出かけた。新品のスーツ、新品の靴、いつもにも増して決まっているトレードマークの“オールバック”。  新しい彼女ができたんだな…と私は、さっそうと歩いていくおにいさまをベランダから見ながら思った。  水乃小路飛鳥さんっていうれっきとした婚約者がいるのに。  おにいさまったら、本当に『女好き』なんだから。  今日はこの大きな家に私一人だ。  お父様とお母様は一週間前から、結婚20周年を記念した宇宙旅行でいないし、おにいさまはたった今、デートに行ってしまった。  わら人形作りの道具はどこかへなくしちゃったし、友達呼んでパーティーを開く気分でもない。だからと言って真面目に部屋で勉強するのなんて、絶対にイヤだ。  黒子たちと遊ぶのなんか、とっくの昔に飽きていた。 「そうだ、友引町を散歩しよう」  この広い面堂邸、私が足を踏み入れたことのない場所、部屋なんかいくらでもある。家じゅうを探検すれば、何かおもしろいものが見つかるかもしれない。だけど、たまには、家以外の場所をひとりで歩いてみたい。  私は小さい頃から、家にいることが多くて、学校へ行くとき以外、外へ出たことがない。そんな通学のときだって、牛車を使っていて、外の世界とはさえぎられている。直接、外の空気に触れたことがなかった。  私はクローゼットから、通販で買ったミニスカート、Tシャツ、ミュールを取り出した。  お父様やお母様、ましてやおにいさまに見つかったら、 「面堂家の娘が、なんて格好をしているんだ!?」  とか言って、怒られるに決まっているから、一度も着たことがなかった。  すその長いドレスを脱いで、初めてはいたミニスカート。体の線にぴたっと合ったTシャツ。  髪をアップにし、念入りに化粧する。手の爪には、真っ赤なマニキュアを塗った。 「わ〜、かわいい」  鏡に映った私は、いつもの面堂了子とは別人だ。  最後にミュールをはいて、私は部屋を出た。 「了子お嬢さま、変な格好して、どこへ行かれるんですか?」  部屋の前に立っていた黒子に、さっそく見つかった。 「友引町を散歩しに行くのです」 「でしたら、牛車を用意させますので、少々お待ちください…」 「いえ」  私は首を大きく横に振った。 「ひとりで、行けます」 「そんな、いけません!! 車にはねられでもしたら…」 「大丈夫です。道路標識ぐらいわかりますっ!! 信号が赤になったら“止まれ”で、青になったら“進め”でしょ?」 「お嬢さま、いつのまにそんなに難しいことを勉強なさったのですか?」 「難しくなんかありません。常識です」  私は、自信を持って言った。  面堂了子はあなたたちが思っているほど子供じゃないのよ。  初めてひとりで門の外へ出た。短いスカートからのぞいた脚に、風が当たってくすぐったい。  どこもかしこも、人でいっぱいだった。まっすぐ歩いているだけでも、人とぶつかりそうで、ちょっぴり怖い。  風船を持って走って行く子供たち、腕を組んで歩いている男の人と女の人、道の端っこで絵を描いて売っているおじさん、ギターを弾きながら歌を歌っている男の人に、それをじっと見ている女の人。  友引町は、私が見たことのないもの、色、人であふれていた。目がおかしくなってきそう。  ずっと歩いていたら、おなかがすいてきた。  胸をドキドキさせながら、私は生まれて初めて喫茶店の中へ入った。  本で見た“クレープ”というものを、一度食べてみたかった。 「あの…、“クレープ”というものをお願いします」  白いプラウスを着て、ピンクのエプロンをつけた、かわいいお姉さんに言った。うわっ、恥ずかしい。緊張しすぎて声が裏返っていた。 「了子さん!?」 「は、はいっ?」  カウンターのお姉さんは、私の名前を知っていた。どうして? 面堂了子って、そんなに有名なの? 「私、面堂くんと同じクラスの三宅しのぶ」 「三宅、しのぶさん…?」  ああ、今年の新年会に来ていたおにいさまのクラスメイトだ。成績が良くて、力持ちで、かわいくて優しいから、クラスで人気のある女の子だと、おにいさまはいつも私に話していた。 「しのぶさんは、なぜ、こんなところにいるのですか?」 「土日は、バイトなの。お小遣いが足りなくて…」  としのぶさんは笑った。 「了子さんこそ、今日はひとり? 黒子さんたちは?」 「いません。今日は私ひとりで家を出てきました」  そう言うと、しのぶさんはたいそうびっくりしていた。   「お待たせ」  店の外で待っていたら、しのぶさんが私服に着替えて出てきた。 「よかった。ちょうどバイトが終わりで」  私はしのぶさんに友引町を案内してもらうことになった。 「はい、クレープ」  しのぶさんが私に紙袋を渡した。 「これが、クレープ?」  首をかしげていると、 「あそこの公園で一緒に食べよ」  としのぶさんは私の腕を引っぱった。  クレープは、薄く焼いたクッキーの生地に、生クリームやチョコレートをはさんで、味付けした食べものだった。  フォークとナイフを使わずに、どうやって食べればいいんですか、とあせる私に、しのぶさんは、こうやって食べればいいのよ、と自分のクレープにかじりついた。  ええっ、そんな…。面堂家の娘がそんなはしたないことを…とためらっていると、しのぶさんは、すっごくおいしいよ、早く食べてみて、と私に言った。 「では、いただきます…」  ほんのひと口、かじってみた。卵の味しかしない。思い切って、口を大きく開けてかじりついた。 「おいしい」  私は感動した。 「よかった。それ、私が作ったの」    新年会のときに会ったしのぶさんは、赤い着物を着ていてとてもきれいだったことを思い出した。  あのとき確かおにいさまは、ラムさんとばかり話をしていて、しのぶさんとは全然話をしていなかった。  楽しそうに話をするおにいさまとラムさんを見つめている、しのぶさんの悲しそうな顔。  私がしのぶさんに声をかけようとしたそのとき、 「りょーこちゃーん」  と諸星さまに肩をたたかれた。 「あっちで、すごろくしようよ〜」  としつこく誘ってくる諸星さまの申し出を断れなくて、私はしのぶさんのことを気にしながらもその場をあとにした。  すごろくが終わり、再びさっきのパーティールームに行ってみると、しのぶさんの姿はなかった。黒子の話だと、具合が悪くなって途中で帰ってしまったそうだ。  おにいさまを見ると、今度は別の女のクラスメイトと笑いながら話をしていた。  それを見ていたら、すごく腹が立ってきてしまった。 (おにいさまのバカ!!)  と私は、自分の部屋から“ネズミ花火”を持ってきて、おにいさまに投げつけた。 「しのぶさんって、おにいさまのこと、好きなんですか?」  クレープを食べたあと、私はしのぶさんに聞いた。 「な、なに言ってるのよ、了子さんったら」  と否定するしのぶさんの顔は真っ赤だった。自分から告白しているようなものだ。 「おにいさまって、女友達がたくさんいて、婚約者もいるっていうのに、平気で他の女の人と遊びに行って何日も帰ってこなかったりする、最低な男です」 「…知ってる」  としのぶさんは、新年会のときに見せた悲しい表情をした。 「だけど、好きなんだよね。何でだろ? 他の女の子と話をしているのを見るたびに、あきらめようって思うの。そう思うと必ず、面堂くんが私に優しくしてくれて。その一瞬の優しさが忘れられないの。いつか、私だけを見てくれるんじゃないか…って、期待しちゃうの」 「期待、しないでください。しのぶさんの悲しい顔、二度と見たくないから」 「了子さん…?」 「クレープ、ごちそうさまでした。また、お店に行きます。今度はおにいさまも連れて行きます。首に縄をつけてでも引っぱっていきます」 「ありがとう。了子さんに話したら、すっきりしちゃった」  としのぶさんは笑顔を見せた。瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。   「ただいま帰りました」 「了子、こんな遅くまで、どこへ行ってたんだ?」  おにいさまが玄関で待っていた。 「散歩よ、散歩」 「何が散歩だ、いかれた格好して」  と私のおでこをちょんとつついた。 「どうせ、トンちゃんと会ってたんだろ?」 「飛麿さまとは、別れました」  そのまま自分の部屋へ行こうとしたけど、しのぶさんに約束したことを言わなければと、おにいさまの方を向いた。 「来週の日曜日、“クレープ”を食べに行きましょう」 「クレープだぁ?」 「お兄様に、会わせたい人がいるの」 「どうせ、新しい彼氏だろ?」 「違うよ、私が尊敬してる人。とっても素敵な女の人」  何が何でも、ふたりをくっつけなければ。  しのぶさんが、私の“おねえさま”になってくれたら、一緒にクレープを作って食べるんだから。                                             …The End