高校野球編:最終話 夢の場所・帰る場所(前編) PART1「【最後の夏・・・】」 友高ナインが絶望感に襲われたのは、彰のファインプレーをまざまざと見せつけられたからだけではない。 その後に問題があったのだ。回は七回。もしレイがホームランを打たなければ下位打線だけで得点するにはあまりにも難しすぎたのだ。 今日当たりにあたっているカクガリもいるが、次の打席で打てるとは限らない。 それだけではない。一刻商がポジションチェンジしたのだ。しかも、それがサード大山、ピッチャー彰なのである。 「疲れとる大山を甲子園まで休ませるーゆーことかっ」 親父が少し切れ気味の声を出したが、どうしようもない。これがルールであり戦略なのだ。異議を申し立てても 何をバカなことを、といってはねのけられるだけだ。しかし、それでも抗議したい気持ちは収まらなかった。 「五番、セカンド、鬼木君」 コールされたレイはバットを掲げ、それをじっと見た。このバットに彰のボールが当たることはあるのか?当たったとしてそれは ヒットなのか?レイはそんなことを考えながら、バッターボックスに向かう。 投球練習を終えた彰が何か余裕のない顔をしているのにレイは気付かなかった。 (ピッチャー?俺が?なんで?二年生ですよ?エースは俺じゃないですよ・・・) 彰は半分混乱状態だった。自分と交代した大山が自分をどんな目で見ているのか、ベンチから三年生の冷たい視線が飛んでこないか? そんな事を考えながらも、ピッチングは絶好調だった。というより、不調と悩む暇すら与えられていなかったのだ。 一球目、レイは早速バットを振った。しかし、ボールに掠りもしない。しかも、ボール球である。レイは正直驚いた。 (なに・・・) 普段冷静な顔で何事にも屈しないレイが久しぶりに驚いた。かすりもしない。それは大山に三振を取られたときよりも更に苦痛だった。 自分より野球経験が少ないであろうその男に三振を取られるなど、屈辱そのものだ。 二球目、完全に冷静さを失ったレイを討ち取るのはもはや容易かった。しかも、彼にはホームランを打たなければならないと言うプレッシャーもあった。 完全に落ちた。二球目三球目と、空振りの三振だった。レイは激しい責任感に襲われた。 (自分が打たなければどうやって彰から点をとる?打つしかないだろ?しかし、どうやって?あの彰からどうやって打てばいい?) レイの頭の中には彰の攻略法しか考えてなかった。しかし、考えつくことが出来ない。 彰と友高ナイン、それぞれの立場はほぼ等しかった。責任という重さに耐えきれない。それが焦りを呼び、たまたま彰の方がわずかに上回っている。 それだけの差で友高は負けペースに陥った。 『三振!この回、一刻商は0点に抑えています!』 「・・・」 レイが沈黙と共にベンチに帰ってきた。ヘルメットを両手に持ち、そのヘルメットは強く握るレイの手によってキリッと言う音を発している。 イライラしていた。責任感とプレッシャーが今度は苛立ちという形に変化する。 そして、守備位置に向かうべくグラブを取った。左腕にはめようとするとすべって、手から離れバタッと床に落ちる。 床でわずかに揺れるグラブを見てレイは完全に頭に来た。落ちたグラブがレイを怒りの頂点までに押し上げた。 バンッ!! レイは右足でグラブを蹴った。グラブはレイの右足の衝撃に押されてラムを襲った。いや、襲おうとした。あたるがラムの顔面にグラブが当たろうかというところで 咄嗟に左手を差し出したのだ。左手に当たったグラブはボロっと歯が落ちるかのように力無く地面に落ちる。 「何を考えている、レイ?」 あたるは静かに、そして怒りを全面に押し出して口を開く。その言葉にレイは黙るほか無かった。 「・・・」 「あやまりな」 「・・・」 レイは黙っていた。怒りの表情は今だ消えていなかった。息が荒く力の入った肩が上下に揺れる。 「謝れ!!」 レイが頭を真っ白にして蹴ったグラブがラムに当たりかけた事に対する怒りだった。ベンチによどんだ空気が流れた。 レイが唇を噛んだかと思うと力の入っていた肩がゆっくりと下がり、後悔の顔をした。 「すまない・・・」 そう謝ってレイはセカンドへバッと走っていった。その走り去るレイの背中をラムはただ黙って見るほか無かった。 あたるは自分をかばってレイに怒りをぶつけてくれたことは正直嬉しい。しかし、それでは逆にレイに更にストレスを溜めることには成りはしないだろうか? そんな心配をしていた。 (くそ、これじゃ去年と同じではないか!柱が駄目になったとたん、暗くなりやがる) そんなあたるもイライラしていた。マウンドに立つと右足を後に振り上げて、反動と共にその土を思いっきり蹴った。 マウンドの土がバッと蹴った方向に散ってその跡にはあたるの足の横幅と少し大きいぐらいの幅でえぐれている。 その、えぐれた部分を蹴った右足で回りの土で埋めるとあたるはバッターボックスを睨み付けた。 一球目を投げた。相変わらずボールの速さは絶好調に見えた。しかし、制球は絶不調になっていた。ボールは大きく右にそれ、コースケは慌てて、 ミットを右にずらす。 スパーンッ! 何とかコースケのミットに納まった。ボールがミットの中で火を噴いているようだった。 「ボール!」 今度はコースケが苦しむ。ミットを右にずらすべく体を右に向け、それにより急激に右足に負担が掛かったものだから、 右足にもどうしても体重が掛かり、それが悲鳴を上げた。 さらに声に出して苦しめばタイムが掛かり、下手したら病院行きという事態にもなりかねない。コースケは耐えた。歯を懸命に食いしばる。 痛みが治まらないウチにコースケはあたるにボールを投げかえした。 あたるはコースケの事態に気付かなかった。ただ、イライラしてあたるもまたどんよりペースにはまっていた。 第二球。今度はまともに行った。しかし、そこのバットが大きく弧を描きながら突っ込んできた。そのバットを見たあたるは本能的に確信した。 (打たれる!!) しかし、そう悟ったところでどうにもならない。投げ終わって片足状態になったままあたるの頬から汗がしたたり落ちた。 キィーン! 『これは行ったかァ!!?』 ボールは右方向へ弾丸のように飛んでいく。まるでその方向に吸い寄せられるように勢いを落とすことなく、ホームランかファールかよく解らない。 そんなこと知ったことかといわんばかりにボールはもの凄い回転をしていた。 しかし幸運にもぎりぎりホームランにはならなかった。 『ファールです!これは危なかった、諸星。大きく溜息をついております!』 溜息で吐いた息が左手にあたって熱いのが感じられた。グラブの中が汗でしめっている。体中から汗が噴き出て、それがユニホームにしみこむと更に気持ち悪い。 あたるはグラブで二、三回扇いだ。わずかな風でも汗でびっしょりならひんやりする。しかし、心はいらつきに熱かった。 二球目を投げた。力一杯投げた。というより、イライラして人を殴るような感覚でボールを投げたと言った方が良いのかもしれない。 スパーンッ!! 今度は空振りのストライクだ。しかし、それでもイライラは納まらない。 (早めに片づけて、ベンチに帰ってスポーツドリンクを飲んで、汗吹いて・・・) それ以上考えるのを止めた。それ以上考えたところでまだ九回が残っている。それを考えると更にイライラするのは自明の理だった。 ベンチの方でラムがあたるの表情におそれと不安を心の中で抱いていた。 「・・・」 ただ、じっと苛立っているあたる見つめるだけで、スコアブックに書き込むことも忘れている。そのうち、ペンが右手から離れてスコアブックに 落ちるとそのまま転げ落ちてコンクリートの床にころころと音を立てて転がる。 しかし、そんなことに構っていられないと言うようにラムは首一つ動かさなかった。 「また・・・」 ラムがそう呟いたのに親父が返事をする。 「また?」 「今年も甲子園行けないの・・・」 ラムの心の叫びがやっと具現化して出た言葉がこれだけだった。 「いや・・・、行かせる。あいつのために、絶対に・・・!」 あいつ・・・。それは一体誰を指すのか、ラムは何となく分かったが、それが本当にあっているかはまでは分からない。 ラムは暫く親父の顔を眺めてから落ちたペンを取ってスコアブックを付け始めた。その手は何故か小さく震えていた。 「・・・」 ルパが黙っていた。別に怒りというものや不安という物が感じられない。しかし嫌な気分だ。 面堂は昨年と違う友高ナインの苛立ちの原因を懸命に探していた。 なぜあたるのコントロールが悪くなるのか、先ほどタイムが掛かったがコースケは大丈夫なのか。 その原因をじっとマウンドのあたるから見いだそうとしていた。 「やはり、奴らは予選止まりのチームなのか・・・?」 温泉が沈黙を破るように口を開いた。面堂は何も声を出さずに目だけでその言葉の意味を求める。 「友引高校は一昨年からなぜか問題が起こる・・・。一昨年にしても、去年にしても・・・」 ルパは一昨年と去年の敗因が自分にあることを意識せざる終えなかった。あの日、風邪を引いていなければ、病院に行かなければ、事故も起こさず 今頃は後輩達の懸命な姿を微笑ましく見ていられただろう。しかし、運命の歯車が少し狂っただけで、全てが崩壊してしまった。 あたる達は崩壊した歯車を治そうとしているのだ。しかし、それは大きな重みとなり、嘲笑するかのように再び崩壊する歯車。 崩壊した歯車に一度は倒れ、そして再び立ち上がったあたる。そのあたるにとどめを刺すかのように今再び歯車は壊れようとしている。 「何故、こうも友引高校は運命の歯車に嫌われているのか・・・」 (運命の歯車が友高を嫌ったのは俺のせいなんだよ・・・) ルパは体をぐったりと前に丸め、背中が弧を描いていた。そして頭が力無く垂れた。 カキン! 一刻商バッターが打った球はファースト・メガネの方へ転がっていった。メガネは暗い表情ながらも、しっかりとボールをキャッチし ファーストカバーに入るあたるにボールを投げた。 「アウト!」 このあと、何人かランナーを出したが、なんとかスリーアウトを取りあたるは上下に揺れる肩と共にベンチに帰ってくる。汗がコンクリートの床に何滴も落ちた。 床に落ちた汗が眩しい太陽の光に反射して光っていた。そしてそのうち蒸発していった。 「最後の夏やあらへんの?」 あたるの耳に大人びた女性の声が聞こえてきた。あたるは回りを見渡すが誰の声もない。唯一近くにいる女性はラムだけだが、 まだ幼さの残るその声をどう変えたってあの声は出せるはずがない。あたるはイライラしながらもその声の主を捜した。そして、心でその声に質問する。 (だれだ、あんたは?) しかし、その返事は返ってこなかった。空を見回すようにしてそれからあたるは自分の両手に置かれているグラブをじっとみた。 (最後の夏・・・) PART2「【お前が居ないと・・・】」 「六番、レフト大岩君」 この男だけは違ったかもしれない。唯一この試合打点を上げている、しかもホームランを打った。 例え、カクガリのことを嫌いでも期待は彼に集中する。 一球目。自信と勇気から彼は選球眼は異常に発達していた。わずかにストライクゾーンから離れただけで、彼のバットは止まった。 (行けるかもしれない・・・) カクガリは信じられない程の自信に満ちあふれていた。 「かっ飛ばせェ!大岩ッ!かっ飛ばせェ!大岩ッ!!」 自然に吹奏楽部の音楽の合間に声を張り上げる友引高校応援団のボリュームは高くなる。彼なら打てる。大半がそう思ったであろう。しかし、 発達しすぎた選球眼が逆に仇となった。審判とて万能ではない。バッターからボールに見えても審判にはストライクにしか見えないときもある。 偶然それが重なった。 『見逃し三振!』 三振をとっても彰は表情一つ変えなかった。その三振は記憶に残されないかもしれない。カクガリがバッドを地面にたたきつけても彰には何も見えない。 ただ、呆然とキャッチャーの構えるミットに向かってサイン通り、変化球なら変化球を、直球なら直球を投げるコトだけに懸命だった。 自信は一気に無念へと変わった。まるで、いまの心状態が顔に出たかのようにその表情は暗かった。その暗い表情が暗い表情をする友引ナインの中にとけ込んで、 目立たなくなった。その中で唯一、負けるかもしれないという考えを持たなかったのが、コースケだ。足の痛みでそんなこと考える余裕がないのか、はたまた 諦めていないのか。 キンッ! 快音が響いた。何処からだろうか?バッターボックスからだ。そこから走り出していたのはメガネだった。ボールはテンテンと鈍足ランナーが走るように 一二塁間を抜けていき、ライト前ヒットとなる。 しかし、喜んでいられなかった。その当たりが偶然飛んだ方向が良かっただけで、ぼてぼての速さだったし、喜ぶ気分にはなれないのだ。 友高応援団が唯一、そのメガネを祝福していた。 「八番、サード上谷くん」 パーマも無表情だった。簡単に素振りをしたり、バットで靴の裏をこんこんと叩いたりしているが、その表情にも灯りが一つも見えない。 友引高校は闇の高校かと思わせるぐらいの雰囲気だった。もはや、何も考えることの出来ない。 なにも考えずに振ったバッドは外の方でボールを叩いた。その瞬間、手に衝撃が走りパーマは痛がった。しかし、ボールは前に飛んでいる。走らなくてはならない。 ボールはテンテンとサードの真正面にとんとんと飛んでいった。そして、メガネの走るセカンドへボールが投げられる。メガネは必至のスライディングを試みたが余裕のタッチアウトだった。 メガネのスライディングをジャンプして避けたセカンドはその体勢から一塁へ送球。パーマが全力でファーストに走り込んだ。しかし、間一髪アウトだった。あと、半歩及ばずというところだ。 「セーフ!」 「は?」 「へ?」 審判が両手を目一杯拡げて、セーフを主張するように叫んでいるのに友引ナイン、とくにパーマは驚いた。 『なんと、ファーストの足がベースから離れています!これはセーフ!』 「これは負けゆく者達が最後に描くもがきという奴か・・・」 メガネはベンチに戻りながらそう呟いた。 『ツーアウトランナー一塁!次のバッターは小山内!』 「タイム!」 友引ベンチから親父の声が響いた。そして親父は自らチビに歩み寄り、チビもまた親父に歩み寄る。 「なんでしょうか?」 元気のない声だ。 「ええか、チャンスや。得点するチャンスや!」 チビはおどろいた表情を見せた。半ば諦めていたのにこの親父はいまだ諦めていない。一刻商からしてみれば、しつこい感じだ。 「で、でも得点するチャンスはもう・・・」 すると親父はチビの胸ぐらを掴んで目一杯顔を近づけるとまさに鬼のように低くドスの利いた声で言った。 「負けたいんか!わいはそんな奴を指導した覚えは十年の監督生活ではおらへんぞ!お前が第一号になるんかい!?」 それにチビは恐怖と共に少し気も楽になった。 「第一号になりたいんかいと聞いとるんや!」 「い、いえ・・・」 「よ〜し」 すると親父はチビの方にポンと軽く手をおいて言った。 「打たんかったら殺す!」 チビはひ〜っと言わんばかりに、顔中から汗が出た。そしてそのうち青ざめ始める。 「ええな!」 とどめなのであろう。親父は最後にドスの利いた声でチビにいう。同時にチビの右肩に置いていた左手に力を込めて握った。その痛みにチビは思った。 (打つしかない、打たなかったら本気で殺されかねない!) と、親父の顔から目をそらせないままそう思った。 「何も監督が行かなくても・・・」 他の暗くて一言も喋らないナインの中で唯一まだ諦めていなかったコースケは、チビへの指導が終わり、ベンチに返ってくる親父を見てそう呟いた。 ベンチに足を踏み入れた親父は暗黒街にでも足を踏み込んだかのような雰囲気にあきれ果て、怒る気力も無くなった。 「はぁ〜」 仕方ないと言うような溜息をつく。溜息をつくと今度はあたるを見る。何やらグラブをずっと見つめたまま全く動かない。 「チビに何言ってきたんですか?」 視界の中のあたるを隠すように目の前にコースケの横顔が現れた。親父は直ぐさま意識の方をコースケに向けて口を開いた。 「打たんかったら殺すゆーてきた」 「コレはまたわかりやすいこと・・・」 心の中で脅しだろとツッコミを入れながらもあえてそれを口に出さなかった。今の親父は諦めてはいないものの精神的にやはり追いつめられている。 いまさらそんなこと言ったってどうしようもないし、脅す以外方法がなかった親父にそれを言うのは酷だと思ったのだ。 「ところでどうや、足の具合は・・・」 「ん?知ってたんですか?」 「何言うとるんや。ラムはお前とも幼なじみなんやで。お前の事は昔からよー知っとるし、性格もわかっとる」 「はは、そこまで言われたら言い訳出来ませんね」 そう言ってコースケはズボンの上から膝当たりを手で押さえた。違和感を覚えた時と違って今度ははっきりとした痛みが感じる。それも何か手で膝を覆っている感覚がない。 コースケは少しいたそうな顔をしたが、直ぐに表情を元に戻して親父に視線を合わせる。 「少し痛いですね」 (嘘や!) 親父は心のなかでそう思いながらもコースケをここで退場させるわけには行かない。無理にそうしても逆に暴れかねないのがこの男だ。それに最後まで出られなかったことを激しく 後悔するだろう。彼はそう言う性格なのだ。 「そうか、無理せんとほどほどにいきぃ・・・」 「解りました」 コースケは背中でそう言って、グランドへ出ていく。親父にはその背番号「2」が痛々しく見えた。 キンッ! チビだ。ボールはころころとサードとショートの間をゆっくりと飛んでいった。サードはとれなかったがその後のショートがダイビングキャッチをしてみせた。 慌てて、起きあがると二塁へ送球アウトだ。 一塁へ必死に走っていたチビはベースを踏む直前に立ち止まった。平然と帰っていく一刻商ナインを見ながら、ゆっくりとベンチに戻っていった。 チェンジをして、いち早くグラウンドに出たのはコースケだった。いつまでも1人だけやる気の絶えない彼が傷を負っていることに親父はただ痛々しく見ているだけだった。 あたるはずっと下を向いたまま、マウンドに歩み寄ってきた。コースケもマウンドに登り、その上であたるが来るのを待った。 「あたる・・・」 あたるはコースケに呼ばれて少しびくついた。ずっと、1人の世界に入っていたらしく、イキナリ現実に戻された。 「な、なんだ?コースケ」 「お前、イライラしてんな」 この言葉にあたるは心の底から怒りを覚えた。生まれて初めてコースケに恨みを持ったような気がした。 「なんだとォ!」 バッとコースケの胸ぐらを掴み、それを押し上げた。コースケの足の裏に掛かる圧力が少し弱くなる。 「イライラしてないなら、さっさと一刻商倒すぞ。お前言ったろ、俺がパーマとベンチで喧嘩したとき、相手は甲子園の名門チームではなく一刻商だって・・・」 少しずつあたるの力は薄れていき、半分つま先立ちだったコースケの足は全面がゆっくり地面についた。 そして、胸ぐらを掴んでいた手で今度はコースケを強く押した。 「・・・」 あたるは下唇を噛んでいた。 一刻商ベンチ 「お前、隠していた感情をついに表に出したな・・・」 先ほど降板した一刻商のエース大山がロボットのような冷たい表情の彰の横に座った。 「・・・」 彰は図星を疲れても返事する気力はなかった。いままで、今持っている悩みを誰にも喋らなかったのだ。あたるにそれを話したことで、一気に奈落の底に突き落とされた気がした。 「お前、去年俺が守っていた守備位置知ってるか?」 「ピッチャー・・・」 素っ気なく答える彰に大山は少し溜息をついた。 「俺は五代さんの次を任されていたが、他にも力のある三年生はたくさん居た。それなのに当時二年だったおれが二番手だった・・・。  その時の気持ちは今のお前と同じなんじゃないかと思う・・・」 彰は少し大山の話に興味を持ち始めた。大山の顔を横目でちらっと見た。 「結構辛かった。レギュラーにもなれなかった、甲子園の土を踏むことすら出来ない三年生でいっぱいだったんだぜ。スタンドで応援の指揮を執っている三年生を見ると  なんだか哀しくなってな・・・。それで自分がそう言う気持ちでプレーに集中出来ないって監督に言った。そしたら監督なんて言ったと思う?」 「・・・」 彰は答えなかったが、目で何て言ったのかを訪ね返した。大山はそれを確認して答えを返す。 「『三年生にとって今願っていることはなんだ?』そう答えたんだ」 彰は下を向いて、その監督の答えを自分でも考えてみた。 「俺は一晩中考えて、それでも解らなかった。その翌日、甲子園の二回戦で、五代さんが風邪引いて投げられる状態じゃなくて俺が先発になったんだ。  緊張する俺に言ってくれたのが五代さんだ・・・。『最後の夏なんだ。三年生にも良い思い出でもを作ってくれ』ってな・・・。勝てとも緊張するなとも言わなかった」 その後大山は彰の目を見てその意味が分かったかと目で訴えた。彰はその目の中にまた別の物を感じることが出来た。 「・・・」 彰は何も答える事もなく、そのままグラウンドを見た。 「お前がいないと・・・、大山さんは打たれていた。お前が頼もしいから安心して投げられるんだよ」 彰は衝撃的な何かに心を打たれた。それは何かいい気分だった。 PART3「【その通りだ】」 『さあ、ついに最終回。この回の表は一刻商の攻撃!バッターボックスは五番の岩山!』 (五番か・・・。彰の打席はもう回ってたのか・・・) あたるは彰とあたっていた。彰の打席はフェンスぎりぎりのセンターフライだった。もし、ライトかレフトに飛んでいたら飛距離的にホームランだったかもしれない。 (どうせならノックアウトされるまで打ってくれても良いのに・・・) あたるはそう思いながらも、頭の中にはセンターフライのシーンは入っていなかった。いや、八回の事については何にも覚えていなかった。 「幸運と言うべきか・・・。不運と言うべきか・・・」 あたるは帽子を取って、右腕で顔面をなぞるように汗を拭いた。そして帽子を深く被ると右手の手の中にあるボールを見た。 「あたる!この回は三者凡退におさえい!そうすれば土たん・・・」 メガホンで叫ぶ親父の声がフッと聞こえなくなった。 ドクン! さらに心臓の鼓動のような音がした。すると、今度は観客の歓声、応援の音が消えた。シーンと静まりかえっているのである。視界ははっきりしていて スタンドを見ると懸命な応援姿が目に映る。しかし音はない。聞こえるのは自らの荒い息の音と微妙な空気の流れの音だけだ。 (聴覚の障害か・・・?いや、俺の息の音は聞こえる・・・。なんだ?) 今度は暑さが消えた。フッと体にたまっていた疲れも取れるような感覚だ。 (なんだ、なんなんだ!?今度は体が消えるような・・・) 自分の存在がマウンドから消えていくような、自分が魂だけになって試合を見ているような孤独感さえ感じていた。 振り返ってバックスクリーンの時計を見た。三時十五分くらいだ。そして、その時計までもが見えなくなって、回りが闇になった。真っ暗な空間に1人取り残されていた。 しかし、不思議と恐怖や不安はでてこなかった。ここにいるのが当然というような心境だ。その真っ暗闇の中でフッとラムの姿が映った。あたるをジッと哀しい目で見つめている。 「ラム!」 声を呼びかけるが、ラムは背を向けてゆっくりと闇の中に消えていった。あたるは追いかけようとしたが、その前に闇の中に消えていく。 「ラム・・・」 「あんた・・・、この子を泣かせる気か?」 あの声だ。あの大人びた女性の声だ。しかし、あたるは懐かしく感じた。小さい頃こんな声を毎日聞いていたような気がする。驚きと共に懐かしさもあった。 「だ、だれだ!?」 あたるは闇の中を上下前後左右を何度も何度も見回した。しかし、声は何処からも聞こえてくるし、一方的にも聞こえてくる。 (なんだ、この懐かしさは・・・) 「あんた、この子泣かせるんかてきいとるんや!」 その懐かしさをうち消すように声に少し怒りが感じられた。と言うより、脅かしのようにも聞こえる。 あたるはその声を聞いて辺りを見回すのを止め、とりあえず、適当な方向に体を向けて答えた。 「な、なんで、おれがラムを泣かさにゃならなんのだ?」 強気の姿勢を見せようとしたが、効果はなかった。明らかに精神的に後ずさりしている。 「そやかて、あんたまた回りが見えておらへんやん。去年だって、ルパの面影につぶされて、回りのことも考えずに退部して・・・」 「あ、あれは・・・、その・・・」 「なんや、周りが見えてたとでも言うんか?」 「・・・」 あたるは黙り込んだ。返す言葉が見つからなかった。 (そうだ、おれは周りが見えていなかった・・・。だからあんな・・・) 今更ではあるが、あたるはやはり後悔していた。去年、決勝でラムを泣かしてしまった事は事実だ。それは勝ったときのうれし涙でも無ければ、負けたときの悔し涙でもない。 それよりもっとたちの悪い涙だ。完全に純粋な悲しみしかその涙には含まれていなかった。悔し涙なら、まだ良い思い出に出来る。しかし、あの涙は悪い思い出でしかないのだ。 今回またあの涙を流させるわけにはいかない。あの涙は一回きりで十分だ。 「あんたは男や。そして友引高校全校生徒の夢を背負っとるんやから、男より更に男らしく」 「・・・」 「そやろ?な?」 「・・・、わかった」 あたるがそう答えると暗闇の向こうで声の主が口元に笑みを浮かべたのがあたるには理解できた。最後にあたるは気になることをまだ質問していなかった。 「最後に聞くが、あんた、だれだ?俺には妙に懐かしい気がするんだが・・・」 「・・・」 一瞬話すのに戸惑ったかのように間をおいて、そしてまた闇の中からほほえみが感じられた。 「輝かしいある少女のただの通りすがりの母親や・・・」 そういった瞬間、視界がパッと明るくなり、体に太陽の熱が感じられ、肌を汗が伝い、耳に大歓声が聞こえた後、キャッチャーミットを構えるコースケがまず最初に目に入った。 そして、そこが球場であると解るのにそう時間は掛からなかった。 「・・・たん場で逆転出来るかもしれへん!!ええか、三者凡退や、解ったかァ!!?」 メガホンの親父の声が再び聞こえ、途中でとぎれた所から続きを叫んでいる。あたるは不思議に思った。数分間、闇の中で例の女性と話していたのだ。 それが一瞬の出来事だったのであろうか。 あたるは一瞬、混乱したが、ベンチで心配そうに見つめるラムに向かって心配ないと言う視線で笑いかけた。そしてラムがその笑顔に気付いたのと同時に、あたるは帽子で顔の表情を 解らなくさせるように帽子を深々と被った。 (野球はツーアウトからだと言うが・・・) あたるは振りかぶった。その体勢で暫く停止して、そして手を下げるのと同時に左足を上げる。 (まったく・・・) そして、左足を地面にたたきつけて、剛速球を投げに行った。 (その通りだ) まさに弾丸だった。その白い鉄砲の弾はコースケの構えるミットにドンぴしゃにつっこんでいった。一刻商バッターはその弾丸に手が出せなかった。 彼にとって、このコースはほとんど得意だ。ここに来れば四割で打てる。しかし、バッドを出そうとしたときにはボールはミットに収まっていた。実際そんな大げさなものではないが、 バッターにはそういう感覚に襲われていた。ミットから爆発音が聞こえた。コースケはその衝撃による右足の痛みに耐えながらも、心の中では非常にいい気分だ。 (ナイスボール!) ボールにそう念を入れてあたるに投げ返す。あたるはグラブに入ったボールからコースケのメッセージを受け取る。 それを右手に撮った瞬間、メッセージの内容が解った。あたるはコースケにも笑いかけ、そのままテンポ良くボールを投げに行った。 速球を投げる事に歓声が上がり、ある者達には喜びを、ある者達には驚きを与えた。そして、その三十秒後には審判がこう叫ぶ。 「ストライーク!!バッターアウトォ!!」 あたるはマウンドの上で静かに握り拳を作り、天に高々と掲げ、神にその拳を見せつけた。その姿に誰もが見とれた。 その姿は男が惚れる男なのかもしれない。全てを悟った英雄かもしれない。そして甲子園の奇跡を起こす男なのかもしれない。体中から汗が垂れ落ちてもそれは三年間の青春の結晶 だったのだろう。その汗は友引高校に伝説を作る一滴一滴だった。 『三振!!バッター岩山、手も足の出せないまま三球三振!!再び蘇りました!友高エース、いや高校野球界のエースになれるかもしれない!!  まさに、高校野球界歴代最強のピッチャーになる資格を持つ男でしょう!』 マイクを強く握りしめて、実況が高血圧で倒れそうな勢いで大声を張り上げた。 「よし、絶好調!」 あたるはベンチに向かってVサインをしてみせた。そのVサインをラムがみた瞬間、そこにはエースがいた。再びそこにエースが戻ってきた。 あたるはベンチの中のラムを見ながら独り言をぼやくように口を開いた。 「後は逆転するだけか・・・。九回まで来て3−2・・・。だったら・・・」 「逆転サヨナラ勝ちしかねえな」 コースケがマウンドまで歩み寄っていたのにあたるは気づかなかった。独り言を言っていたあたるは驚かずにはいられなかった。 「な、なんだよ!?いるならいるって言えよ!」 独り言をごまかすようにあたるは余計に大声を出した。 「さあ、あと二人も討ち取って裏には俺がさよならホームラン!『友引高校、昨年ベスト4の一刻商を破り、甲子園初!   友高の四番白井!土壇場の一発逆転サヨナラ!』これが明日の新聞の見出しだ」 「去年も同じような事言ってたな。けど、俺のおかげって事も忘れるな」 「三点もとられて載るかよ」 「そ、それは・・・、非常事態・・・みたいなもんだ!」 コースケはあわてふためきながら懸命にいいわけをするあたるをみて少し笑みを浮かべると、背中を見せながらあたるに言った。 「甲子園で、その仮は返せよ」 あたるはコースケをにらんで言い返そうとしたら、再びコースケが口を開いた。 「お前、まさかとは思うが、一刻商のバッターをできるだけ歩かして、彰と勝負しようなんて考えてないだろうな?」 あたるはボールを手の上で遊ばせながらコースケから目線をそらした。ボールを見てそのあと、コースケを見た。 「そんなことねえよ」 その言葉を聞いたコースケは少し疑いながらも、口元に笑みを浮かべながら戻っていった。 コースケは正直早く終わらせたかった。足の痛みが次第に増してきたのだ。あたるに見えないように足を押さえながら、 試合が終わるまで保つように膝に呼びかけた。 PART4「【目が覚めたら・・・】」 「多分、もう大丈夫だろう」 ルパがいきなり口を開いた。それと同時に面堂、温泉がルパに視線をゆっくりとずらした。 「その根拠は?」 ルパの自信に満ちたその発言に面堂もどこか安心した口調で聞き返した。 「根拠?そんなものははじめからないさ。ただ、そんな感じがするだけだ」 「いい加減なもんですね」 「そんなもんだよ。いい加減だからあいつはあいつでいられるんだ」 面堂はきょとんといた表情をみせた。その表情をみたルパは少し苦笑して軽く咳払いをした。 「いや、あいつにちゃんとした事が通じるか?あいつの心はいい加減だからあいつらしさがあるんだ」 面堂は訳がわからなかった。しかし、これ以上聞き返すのも失礼と考えたのだろう。面堂は軽くうなずいて意味をわからずしてその会話が終わった。 ワァァー!! 歓声が上がった。その歓声に合わせてルパたちが一気にグラウンドに視線を移した。またしてもあたるの豪快な三振である。 三振の豪快という言葉はあまりないが、あたるの三振はそれに値するものだった。 『三振!再び調子を取り戻した諸星は誰にも止められません!!』 あたるは三振を当然のような顔をしながら、ため息をついた。やはり自分の中でライバルと意識している者からの三振の方が喜べるというものだ。 (今三振したのが六番・・・、彰は四番・・・。彰と勝負するには六人を相手しなければならない・・・) 自らの右腕を見てみた。力をブランとさせてみるとじわ〜っと疲れが広がってくる。 (やっぱりきついよな・・・) 彰をちらっと見ると何か監督と打ち合わせでもしているのであろうか、監督がジェスチャーをしながら説明し、彰は時々うなずきながら その言葉を一言一言聞いているようだ。あたるはふっと笑ってバッターボックスの方を見た。 「七番か・・・」 ぼそっとつぶやくと一球目を投げた。相変わらずの剛速球はビュンと音を立ててあっという間にキャッチャーミットに収まった。 「ストライーク!!」 この叫びはあたるは好きだった。あと、それにバットが空振りしてくれれば、もっといいのだが、残念ながら振ってはいなかった。 もっと欲を出せば、バッターボックスには彰、もしくは面堂がたっていてくれれば自らの拳を空に高々と見せつけたかもしれない。 しかし、そんな都合のいいことが滅多に起こる者ではない。第一、面堂や彰からストライクをとれるかどうかも解らないのだ。 (ま、いいか) あたるは心の中でそうつぶやいて、ゆっくりと再び振りかぶった。 しかし、そのときあたるは大変なことが起きようとしているのに気づかなかった。あたるはコースケの右足に限界が近づいているのだ。 マスクの下でコースケの頬や鼻に汗が滝のように伝っていた。もはや、汗を意識できないほどに足が悲鳴を上げている。 (もう少し・・・、もう少しだけ耐えてくれ!) スパーン!! 無情にも再びミットをはめている左手を先頭に体中に衝撃が加わる。その衝撃は生半可なものではない。足にもその刺激は伝わり、体中に強烈な 痛みが走った。 「クッ!」 誰にも、審判にもバッターにも、そしてあたるにもこの声を聞かせたくなかった。聞こえれば、必ずタイムがかかる。その瞬間、自らの気持ちは一気に解放され 痛みに耐えきれずのたうち回るだろう。そして足を調べられ、病院送りは決定的なものになる。 コースケは懸命に耐えた。その傷みは半端なものではない。今すぐ失神してもいいほどの激痛だった。 それでも、ボールをあたるに投げ返し、大きな吐息をはいた。 もはや、目は死んでいた。意識が少しずつ遠のいていく。視界が暗くなり、何を考えてよいのか解らなかった。今にも視界の中から消えてしまいそうな あたるが振りかぶっていた。コースケの目の前に最強のエースがいる。記録更新も考えられるほどの速球とずば抜けた体力の持ち主だ。 意識があるぎりぎりのところまで、今更ながらそんな事を考えていた。 唇がわずかにつぶやいた。それは声と言うより、ただ口を動かしただけで、音はでてない。コースケの口の動きはこう発音しようとしていた。 「目が覚めたら・・・」 そして視界は真っ暗になった。足の痛みも歓声も土の感触も何もかもが消えていった。 「コースケェ!!」 〜続〜