高校野球編:第三話 最初の挑戦・最後の挑戦(後) PART1「【それだけだよ】」 約一年前 しのぶと喫茶店で別れた後、あたるは迷っていた。野球部復帰を誓ったものの、ルパがそれを本当に許してくれるのか。 あたるはこのことが心配だった。無論ルパはそう願っている。しかし、あたるはそのことを知っているはずがない。 食い違っていて欲しい。以前ルパが言ったことと本当の気持ちが食い違っていて欲しい。あたるはそう願っていた。 (黒川さん・・・、あなたを越えたい。あなたのプレッシャーを乗り切りたい・・・) あたるは空を見上げた。いつの間にか昼間だ。太陽が強く照りつける。 「・・・」 あたるはその太陽を眩しいながらに見た。そして、その中に友引ナインが見えた。 (行くか・・・) 黒川家 門前 黒川の表札をみて、あたるは手を握った。手汗がじんわりと手に感じてくる。そして、ゆっくりとチャイムのボタンを押した。 ピンポーン・・・ その瞬間、もう後戻りが出来なくなった。そして、ガチャっとドアが開いた。そのドアを開けたのはルパだった。 こういうとき、どういう表情をすればいいのだろう。あたるはとりあえず、視線を合わせることだけに精一杯だった。 「・・・」 ルパはフッと笑ってドアをもっと開いた。 「入れ・・・」 ルパの言い方は何処か優しかった。そんな声にあたるは少し驚いた。 ルパの部屋 車いす生活になってからルパの部屋は一階に移されたらしい。和室を使用しているため1人部屋にしては少し広い。 それでも家具用品が和室を個人部屋にしていた。 「・・・」 あたるはルパの部屋で何かそわそわしている。やはり落ち着かない。この部屋には何度か入ったことがあるが、こんな緊張しながら入ったことはない。 因みにルパはいまジュースなどの飲み物を持ってきてくれるらしい。あたるはアルコール類が飲みたかったようだが・・・。 「待たせたな」 ルパが盆を片手にドアをゆっくりと開けて部屋に入ってくる。あたるの前のテーブルにそれを置くと、あたるの正面に座った。 「で、俺に何のようだ?」 「い、いえ・・・、あのその・・・」 ルパはあたるが何が言いたいのか、大体見当がついていた。なかなか言い出せないあたるに軽く溜息をつき、口を開いた。 「野球部に戻るのか?」 「は・・・、はい・・・」 あたるは一度もルパと目線を合わせようとしない。ルパは微笑んで見せた。 「言いたいことはそれだけなのか?」 「はい・・・、あ、いや・・・」 最初は戻ることだけを言うつもりだったが、つい勢いで否定する言葉が出てしまった。 「じゃあ、一体何なんだ?」 ルパは半分からかっていた。しかし、当たる本人に言わせるべきだと言う思いもあった。 「言ってみろ」 ルパはあたるをせかす。 「いや・・・、あの・・・。良いんですか、俺なんかが友高を甲子園に連れて行って・・・」 「いいんじゃない?」 ルパはさらりと答える。あたるはヘッと心の中で思った。 「お前、そんなこと気にしてるのか?」 ルパは明るい顔で言う。ルパはジュースを一口飲んで、コップを勢いよくおいた。 バンッ! この音にあたるはびっくとした。何かと緊張しているせいか些細なことが怖く感じている。 「あたる。もっと、身勝手になってみろ!お前は顔に似合わず、人のこと考え過ぎなんだよ!その顔に合うような自己中な性格になってみろ!」 「そんな、俺は人のことなんか考えてませんよ!ラムにだって迷惑かけまくってるし・・・」 「でも、涙を流させたことはあるか?人に心底悲しい涙を流させたことはあるか?」 「いや・・・、そこまでは・・・、行ってませんけど・・・」 あたるは嘘を吐いた。一度だけラムを泣かせたことがある。先日の友引高校決勝戦の最後の言葉がラムを泣かせてしまったことがある。大粒の涙と共に・・・。 「だったら良いじゃないか?」 「で・・・、でも・・・」 ルパはふうと溜息をつく。 「もう一回言うぞ、もっと身勝手になって見ろ!」 「・・・」 あたるは納得出来なかった。その身勝手のせいでラムを泣かせてしまった。今更身勝手なんかになれない。 「は、はい・・・」 一応形だけの返事をした。 再び、球場 「ストライーク!バッターアウト!」 レイが三振した。先ほど点を取るのに大きく貢献しただけにあって周りの期待は高かった。しかし、それを一刻商が妨げた。 『先ほど、二塁打を打った鬼木ですが、やはり相手は一刻商エース大山!三振です。これまで九コの三振を取っています!ツーアウトランナー無し』 「くそったれ・・・」 親父が苛立ちをあらわにするが、レイは無表情だった。ただ瞳の中に炎が見えるような気がした。 「それから、俺はルパさんの言ったことは気にしないようにしてきた。今年になって少し明るく振る舞ってきた」(あたる) 「でも、その言葉の意味が分かった・・・」(ラム) 2人の会話は続く。 「・・・」 ラムがあたるの心を見透かしているようにいう。あたるはフッと笑って続きを話し始める。 「まあな・・・」 「それで?」 「ルパさんも彰と同じだったんだ・・・」 「・・・、そうだっちゃね・・・」 あたるは振り返ってラムを見てみた。その瞳がグラウンドに向けられ、バッターボックスに立つカクガリに無言の声援を送っていた。 「甲子園は自分のための場所・・・、それだけだよ」 昼間の太陽がまっすぐ上から照りつけていた。その光りは全ての選手に重荷となってのしかかり、そしてそれを選手が耐えている。 「・・・」 「俺は黒川さんを差し置いて甲子園に行くことに抵抗があった。まあ、甲子園に行けばそんな気持ちも失せると  思ってた・・・。けど、そうじゃないんだな・・・」 テレビの前で手に汗握りながらある者は三振を、ある者はヒットを望んでいた。 「そんな気持ちじゃ行っちゃいけないんだよ。だから、俺は一つ夢を捨てた・・・」 カクガリの打った球は高く上がった。その球を見た一刻商の外野陣は少し後に下がり捕球体勢に入った。 「黒川さんを越えるピッチャーになること・・・。それが一つの夢だった・・・。でももう越えている・・・。そう断言してやる!」 あたるは胸の前ら辺で握り拳を作って見せた。 「そうだといいっちゃね・・・」 「けど、それを証明するには・・・」(あたる) あたるは口元に笑みを浮かべた。そして高々と上がったカクガリのボールが落下し始めた。 PART2「【叶う夢・・・、ですよね?】」 ワァァァァァァ!! 大歓声が味方のスタンドからわき上がった。そのスタンドの人々は精一杯喜びを表現し、また声をはり上げた。 『入ったァ!!何と友高の中で最も打率の悪い大岩が一点差に迫るソロホームラン!!しかも友高の得点は全てこの大岩によるモノ!  この試合、その底力を発揮しました!!3−2!!』 カクガリは喜びの声を張り上げながらベンチに向かってきた。 「カクガリィ!お前は英雄だァ!」 竜之介がカクガリに飛びついた。珍しく竜之介の目に涙が浮かんでいた。その後にパーマ、チビが続きカクガリの頭をぽんぽん叩いていく。 「カクガリ!」(パーマ) 「カクガリ!」(チビ) 「カクガリィ!」(コースケ) 「先輩!」(因幡) 先輩後輩関係なくカクガリを祝福する。笑顔を浮かべ皆の祝福を腹一杯に食べた後、乱れた服装を直して親父の前に立った。 「この試合、やっと監督の期待に応えられました」 「・・・そうか」 今度はメガネだが、メガネは空振りの三振だった。悔しさもあった。だが、それ以上のモノを得た。 「・・・3−2か・・・」 親父の一言で再び、場が静まりかえる。一点差・・・。その差がこの試合どれだけ重いかを誰もが理解していた。 「監督・・・」 あたるが親父の前に立った。そして、帽子を取って口を開いた。汗にまみれ泥だらけの顔に輝きがあった。 「諦めますか、監督・・・」 あたるの一言で諦めかけていた親父の表情が変わった。 「諦めますか?」 あたるが再び親父に言う。その光景を見てナインが静かにあたるの後に並ぶ。それはスタンドから見ると、監督から指示を受けているナインに見えた。 「諦めろと言ったら、お前どないする?」 「それが監督の指示なら、俺は従います」 友引ナインが俺もといわんばかりにうなずく。 「ただ・・・」 あたるは一刻商の彰を見てから閉じた口を開く。 「それは夢じゃないでしょ?」 親父もそうだが、あたるの心にもなにか引っかかりが取れた気がした。その言葉によって自分も救われた。 「もし、これが叶わない夢だとしたら諦めるしかありませんが・・・、まだ十分叶う夢・・・ですよね?」 親父はあたるを見上げた。 「戦い抜きましょう!監督!!」(コースケ) 「監督!」 「監督!!」 ナインが一丸となって監督という言葉を何度も繰り返した。その声の嵐は親父の頭の中に響いていた。そしてその響きがラムの母の姿を映しだした。 「甲子園・・・、行くっちゃ!」 そのラムの母の姿とラムが重なった。母親にそっくりなその仕草が重なった。 一瞬視界がぼんやりとなってそこにラムの母がいた。天国から見守る母がいた。 (お前・・・。・・・甲子園いこうか!) 母の姿は軽くうなずいた。 そして親父は立ち上がってナイン達の前に立った。 「ええか!これから一点もやるな!残りの回で二点取れ!そうすれば勝てる!!相手はお前らと同じ高校生じゃ!!練習量かて負けておらへん!!  俺らとの差は素質や!そやから気合いでその差をカバーせい!!気合いさえあれば勝てるとかいうあほなことはいわへん!!  とにかく気合い入れいや!!気楽にいけ!!もし勝ったら特別にわしが焼き肉おごったる!!ええか!!?」 「はい!!」 「よし!いけ!!」 ナインがグラウンドに散らばっていく。親父はベンチにどさっと座ってラムの顔を覗いてみた。しかし、そこに母の姿はなかった。 「今年こそ、甲子園に・・・」 この球場で誰かがこう呟いた。 PART3「【さすが、最上級生!】」 『さあ、守備位置に着く友引ナイン!バッターボックスには六番、稲川!』 あたるはマウンドの上でロジンバッグを右の手の上で転がした。 (黒川さん、俺が甲子園に連れて行くこと・・・、許してください) そして手汗をある程度取れたところでぽとんと落とした。 (行くぞ、コースケ!行くぜ、ラム!!) そう心の中で叫んだのがコースケとラム、ルパに聞こえた様な気がした。 バンッ!バンッ!バンッ!! 「ストライーク!バッターアウト!!」 『ひゃ、152q!?何と、友引高校の諸星!152qを記録しました!!』 急に変わったあたるの球に彰は反応した。その様子を見ていた一刻商の監督は彰に尋ねた。 「どうした、黒川?」 「いや・・・、諸星さんの球が前の回と違う様な気がして・・・」 「は・・・?何をバカなこと言っとるんだ?」 「・・・」 彰は再びあたるの立つマウンドを見た。それに釣られる様に監督もその姿を見る。 「ストライク!バッターアウト!」 大きく振ったバットが空を切ったのが見えた。 「え・・・?」 一刻商の監督が思わず声を上げる。再び三球三振なのだ。 「でしょ?」 一区商の監督は今だ驚いていた。 キン! バットのあたる音がしたが、ほとんど真上だ。キャッチャーフライとしてコースケが確実にミットに納めた。 『キャッチャーの白井、しっかりとキャッチしてアウト。チェンジです。何とこの回、三叉凡退です。人が変わったかの様に諸星の  球が良くなりました。一刻商手も足も出ません』 あたるはコースケがボールを取ったのを見ると足早にベンチに戻っていった。その際、ちらっと彰を見てみた。 向こうもこっちを見ている。何か笑っている様にも見えた。 「さあ、熱中高校野球の始まりだ!」 あたるはぱんぱんと手を叩いてナインを盛り上げた。 「七回の裏、友引高校の攻撃は八番、サード上谷君」 「よ〜し・・・」 パーマはバッターボックスの横で大きく素振りをしてバッターボックスに入った。 そして、大山を見る。 (来い!) 早速彼らしい速球が飛んできた。ボールかストライクか微妙な球だ。ボールが来るまでにパーマの頭の中では打つか打たぬかの判断が 目にもとまらぬ勢いで決められていた。結果は・・・。 (打つ!スライダーだ!!) パーマの予想通りだった。球は急激に方向を変えパーマの振ったバットに自ら突っ込んでくる様な形になった。 キン!! ボールは大きな音を立てながら高速で跳ね返った。ちょうどサード左横だ。 『これはいい当たりだ!!』 しかし、サードは彰だ。もの凄いジャンプ力で彰のグラブにボールが突っ込んだ。彰の立っていた所にはジャンプで蹴った土がぐちゃぐちゃになっていた。 「アウト!」 『ファインプレー!!サード黒川、もの凄い力を見せつけてくれました!!打ってはホームラン、守ってはスーパーキャッチ!!』 「くそ〜」 ずるずるバットを引きずりながらベンチにパーマにすれ違いざまにチビが言った。 「惜しかったな!」 「くそ〜」 チビに返事をせず、未だぼやいていた。その姿を見送って自らもバッターボックスに立った。 「九番、ライト、小山内くん」 「お〜し」 バン!「ストライーク」バン!「ボール!」キン! 『あ〜っと、小山内打ち上げてしまいました。ボールはふらふらっとライトへ・・・』 しかし、ボールが落ち始めたのはちょうどセカンドとライト、ファーストのちょうどど真ん中に落ちていった。 『これは、面白い球だ』 セカンド、ライト、ファーストは誰かが手を出すと思い、誰も取らなかった。ポンと天然芝の上に白球が落ちた。 『あっと、誰も取らない!友引高校、意外なところでランナーを出しました。しかも、次はセンター藤波です!』 「よ〜うし」 竜之介はバットを強く握った。 キン! 音は小さかった。ボールは高くバウンドした。それを見た竜之介はすかさずダッシュする。チビも二塁へ走り始めた。 『当たりは弱いですが、高いバウンドです!』 彰はボール落下地点でまで走り込み、その勢いを付けたまま一瞬、二塁へ送球しようとしたが間に合わないと思い一塁へ投げた。 『サード黒川ボールをキャッチして一塁へ送球!』 竜之介もヘッドスライディングをして見せた。しかし、一瞬遅かった。 『ぎりぎりのところでアウト!しかし、小山内を二塁へ進塁させました!得点圏内にランナーが入ります!』 「二番、ショート、因幡君」 因幡は緊張感のない顔でバッターボックスに立った。とろりとした顔には大山も気が抜けてしまった。 しかし、軽く溜息をついてボールを投げた瞬間、因幡の目が変わり、多少なり恐怖すら覚えた。 投げる途中のことだったので少し戸惑いを隠せず、ボールは大きく外側に外れた。 しかし一刻商キャッチャーは何とかそれを取って見せた。 (なんだ、いまの・・・) 帰ってきたボールを取るとマウンドの土を蹴りながら、大山の顔に焦りの表情が見えた。 友引ベンチ 「珍しく因幡が燃えとるな〜」 「わかるんですか?」 親父がぼやいたのを聞き、メガネがそれを聞き返した。 「まあな。少し前にあいつの親父さんから、小学校の時の試合をビデオでみさしてもろうたんやけど、  あいつの気合いが入ったときは九割方初球は大きく外れるそうや」 「それまた何でだっちゃ?」 ラムも興味を抱いたのか、メガネの肩に手を置いて寄っかかるようにひょいと顔を出した。メガネは感動した。 「あいつに投げるピッチャーがビビってしまうからやそうや。投げる瞬間にあいつは恐ろしくけったいな顔をすんねん。  しかも、そう言うときは絶対三振はあらへん。フライやゴロになるかもしれんけど、三振は絶対ないそうや」 「ふ〜ん・・・」 キンッ!! 因幡の当たりは良かったが、方向が悪かった。ショート真正面に飛んで、キャッチされた。 『因幡不運!これでスリーアウト!友引高校得点圏内に足を進めますが、残塁です!』 ナインに惜しかったなと声をかけられながら、因幡がベンチにも戻ってくる。 守備の準備をしている因幡の横にあたるはすうっと立った。因幡はあたるが横に着たことに少し視線を横にしたが、あたるが無表情で壁の方向を 見ているので気になりながらも視線を下げた。 「お前、双子の兄いたよな?」(あたる) 因幡はあたるの問いかけに少しドキッとしたが、それを隠すようにすばやく返事をした。 「ええ、そうですけど・・・」(因幡) 「やっぱり野球やってるのか?」 「ええ・・・。でも僕より巧いんです、兄貴・・・。中学の時も全国大会の決勝までいけたのも兄貴のお陰ですから・・・」 因幡は少し哀しそうな表情で兄について話し始めた。 ふたりの会話をラムが気付いた。ふたりに気付かれないように適当に作業しながら横目でチラチラ見ながら様子を伺う。 「お前もいやな兄弟を持ったな・・・」 「そ、そんな!兄貴はいつも僕のこといじめないし、回りから役立たずって言われても兄貴だけは褒めてくれるし・・・」 因幡のしゃべり方はだんだんトーンダウンしていった。最後の方に至っては自分でも何を喋っているのか分からない状態だった。 「・・・」 あたるは静寂を壊さないように無言だった。 「みんなから期待される選手だし・・・」 何とか最後の言葉をのどの奥から放った。あたるは上出来だと心の中で思い腕を組んだ。 「そんな兄貴を越えてみたい、違うか?」 因幡の目が少し丸くなった。目から図星と悟れるような光りがこぼれた。因幡はこのことをいっさい口に出したことはない。 しかし、ここまで言われていいえと答えるのは自分のプライドがいくらなんでも許さなかった。 「・・・、そうです!」 因幡はしばらく俯いて、意を決したようにきっぱりと言った。 「お前の兄貴は何処の高校だ?」 話題を急に変えたあたるに因幡は少し困ったが直ぐに立て直して返事をした。 「風林館高校ですけど・・・」 「風林館?福岡の?あ、そっか、お前実家は福岡か。しかし風林館とは凄いな、お前の兄貴は・・・」 少し因幡は戸惑った表情をした。するとあたるが手を叩いてその大きな音をベンチ内に響かせた。  「よし、だったら風林館を倒すか?お前の兄貴もショートなんだし、新聞に載るぞ。『双子の兄弟、ショート対決』みたいな感じで・・・」 「・・・」 「だから、甲子園言行ってみようか?」 あたるの言葉に因幡はなにか気分が軽くなった。自らの兄を越える事に対する抵抗感。それをあたるは取り除いてくれた。そんな気がした。 「はい!」 因幡は元気良くベンチから飛び出していった。その姿を見守っているあたるの横にラムが歩み寄ってきた。 「さすが、最上級生だっちゃね!」 「うるせいっ・・・」 少し笑いながら言った。そしてラムも笑顔を作った。 「うる星?」 「『うるせい!』」 あたるはラムの頬をつねた。 「冗談なのに・・・」 ラムは少し赤くなった頬を両手で押さえて、片目を閉じた状態で少し涙ぐんでいた。 「もっとマシな冗談いえ!」 PART4「【いてえよ・・・】」 ベンチに座っているコースケはあたるとラムの会話を微笑ましく見ていた。マスクを片手にいざマウンドに行こうとすると、右膝に違和感を覚えた。 「?」 コースケは右膝を少し叩いてみたが、別に激しい痛みも何もなかった。首を少し傾げると思い当たる節を記憶の中から探し出そうとした。 そして一つのことが頭に浮かんだ。 一回の表、パーマがエラーでノーアウト一塁の事態を引き起こしたその次の出来事。その時の情景がコースケの頭の中で浮かんだ。 「さあ、行ってみようか!」 あたるはグラブを左手にはめて、スパイクの金具をこつこつ鳴らせた後、歓声が集中するマウンドに歩いていった。コースケは少しそれを見てベンチを飛び出した。 「あたる、疲れたな・・・。まだ六回だぜ・・・」 コースケは後からあたるの横に並んで歩いた。 「何言ってんだよ?お前、野球初めて何年経つんだぁ?いまさら疲れたもくそもあるか!」 「そうかな・・・」 「そうだよ。・・・、お前何処か調子でも悪いのか?」 あたるは心配そうに言った。コースケは少し口を堅く閉じたが、それでも軽い笑顔を作って見せた。 「安心しろ、今の所は痛みもなんにもない・・・」 コースケはあたるの右肩を手でポンと叩くと、そのまま歩いていった。あたるは後を振り返って、コースケの背中を見たが、何も感じ取れなかった。 「今の所は・・・」(コースケ) コースケは歩きながら、右足の膝のを少し触った。別にこれと言った痛みや腫れもない。ただ、少し違和感があり、それがコースケの心に不安の二文字を焼き付けた。 「やっぱりあたるの球は凄いな・・・」 コースケは違和感のある右膝をちらっと見ながら、主審の前でコースケはそう呟いた。 主審にはどう聞こえたか分からなかったが、何か不思議な表情をしていた。 (どうしたんだ、コースケのやつ・・・) あたるはボールを右手の中で踊らせて、投げるタイミングを合わしていた。 「よし、行ってみるか!」 一刻商のバッターの九番・大山にボールを投げた。弾丸のような球はそのピッチャーの大山でも驚いた。ど真ん中ながら大きな衝撃音が聞こえた。 その球を横目でちらっと見るが、直ぐに別のことで気を逸らされた。 「く〜っ・・・」 コースケがうなりを上げているのだ。 「どうした、君?」 審判が声をかけるが、コースケが心配ないと言って、ボールをあたるに投げかえした。その様子をあたるも見ていた。 「・・・」 あたるはボールをキャッチしながら少し考え事をしていた。 (なにかあったのか、あいつ・・・) ベンチの親父も、コースケを見ることの出来る内野も何か不思議な表情で、コースケを見ていたが、何事もなかったかのような表情に少し安心した。 しかし、あたるは違った。だてに何年もコースケと組んでいたわけではない。 (あの、くそったれ!) あたるはちらっとベンチをみて、親父と目を合わせた。親父もあたるが何を言っているのか何となく分かった。しかし、あえて動かなかった。 (いいんですか?コースケは多分怪我をしていますよ)(あたる) (お前の球を受けられんのはコースケぐらいなのはお前も知っとるやろ?それに止めて止まるようなあいつじゃあらへん) (それを止めるのが監督の仕事の一つでしょう!?) (いいから、行かせてやれ・・・) (知りませんよ・・・) あたるは少しふてくされた表情をした。 友引ベンチ 「何話してたっちゃ?」 ラムが言った。 「ん?」 親父は何のことか分からなかった。普通他人に目で話しているなんてわからない。 「ダーリンと目で話ししてたんじゃないのけ?」 「お前も、すごいやっちゃな〜・・・。実はなコースケがもしかしたら怪我しとるかもしれんねん」 ラムは表情を変えなかった。 「でも、あえて代えない・・・、違うっちゃ?」 「・・・」 親父は少しぽかんとした顔を見せてから、一瞬我を忘れていた。 「あ、ああ・・・。なんで、分かった?」 「そんな気がしただけ・・・、それだけだっちゃ・・・」 あたるが相手から三振を取った。これで三個のバットが同じ場所で同じように空を切った。 『三者連続三振!もの凄い!諸星!前の回からの人が変わったかのような内容で七回の表を終わりました!しかし、現在リードしているのは一刻商!  この遠い一点を超えることは出来るでしょうか!?』 マウンドを降り、いざベンチに戻ろうとするとコースケの背中が見えて、あたるは軽い怒りの表情を見せた。 「おいこら、コースケ!」 あたるはふてくされた顔をしていた。 「なんだよ」 「『なんだよ?』もくそもあるか!お前怪我しとるだろう?」 コースケはしかめた顔をした。あたるは図星だと思って、表情には出さなかったが得意げな笑いを心の中で上げていた。 「・・・。バカも休み休み言え!俺が今まで怪我したことあったか?」 しかめた表情を少し続けた後、コースケは反論の言葉を口に出した。 「今、してるだろう?一回の表でバウンドしたボールが足に直撃して・・・」 「なんてことねえよ」 「バカ野郎!お前は主砲だろうが!もし、これ以上悪化して野球出来なくなったらどうする!?甲子園で勝ち上がるにはお前が必要なんだよ!」 「・・・いいじゃないか・・・」 コースケは簡単に溜息をついた後、そう答えた。 「あー!?」 あたるは前屈みになって少し下を向いているコースケの表情を伺った。 「偶には俺も格好いいところ見せてみたいんだよ・・・」 「だれに!?」 コースケはちらっとベンチを見た。しかし、直ぐに目をそらして少量の雲が流れる快晴の空を見上げた。 「さあ・・・」 コースケがちらっと自分を見るのをラムは分かった。その目には何を意味するのか、わからなかった。 「いてえよ・・・」 「あん?」 「ずっと・・・、いてえよ・・・」 「なんだ?さっきから痛かったのか?」 しかしコースケは返事をすることもなく笑って見せた。その表情にあたるはもう何も言う気が失せた。 「仕方ないか・・・。でも、球のスピードは緩めないぜ」 「ラジャー」 「三番、ピッチャー、諸星君」 場内にあたるの名前がコールされた。あたるはバットを持ってコースケと目を合わせた。   PART5「【最後の夏をだよ!】」 あたるはバットを引きずりながらバッターボックスに向かった。そこで、簡単に素振りをして、大山がボールを投げてくるのを待った。 大山がサインを見る間、サードをちらっと見た。彰である。彰は少し笑顔を作っているようにも見えたが、あたるとの距離では見るのは困難だった。 「フン・・・」 「君、早く構えなさい」 主審に注意された。さっきから大山が投げるのに困っている様子だった。思ったより、時間が過ぎるのが早い気がした。 「ええい、くそ」 あたるは構えた。ギュッとバットを握るのがキャッチャーに分かった。首を絞めるようにその音が回りに静かに響いていた。 相手ピッチャーが振りかぶって投げてきた。最初はストライクかと思った。しかも、甘めの球と思い、振ろうとした。 もしかしたら変化球かもしれない。相手は一刻商のエースであり、大会ナンバー2のピッチャーと言われている男だ。 そして、暫く頭の中で審議が行われた後、判断を下した。 「ボールだ!」 あたるは振ろうとしたバットを止めてぐっと堪えた。バットはぎりぎりのところでぴたりと止まり、後へ引いていった。 バンッ!「ストライーク!」 審判が右手を挙げて声を上げた。あたるは審判をにらんだ。 (ストライク〜!?ボールだろ、今は!) しかし、審判はそっぽを向き、目線を合わせようとしない。これに再びあたるはムカッと来た。 誰にもばれないように、ベーッと舌を出して、挑発した。それでも審判は何も動かなかった。 (ああ、そうかい!わかったよ!くそ審判が!野球界から追放されちまえ!!) 心の中で審判に対して暴言を吐いたが、実際口に出していたら退場は必至である。なんとか自制心でそれを耐えきった。 そして、二球目が来た。今度は大山のミスか、あるいは一つ間をあけたかったのだろう。明かなボールだ。 『カウント1−1!』 ボールにあたるは審判に少し得意げな表情をして見せたが、審判の表情はマスクのせいではっきり分からなかった。 あたるは少し悔しそうな表情をした。しかし、審判は先ほどのあたるの得意げな表情に少し戸惑った。 『さあ、三球目!』 大山の投げたボールはあたるでも速く感じた。しかし、そんなことは分かっている。いまはとにかく塁に出て、四番コースケ、五番、レイ に任せるほかない。わずか一点差ならあたるが出塁してこのふたりのどちらかが、あるいはどちらもが長打を放てばよい。 (簡単にはいかんだろう・・・な!) 「な!」の所だけは口に出しながらバットを振った。一直線の線を描きながらボールはあたるのバットに激突した。その瞬間、あたるの手に少しの衝撃が走った。 重い球だったが、押し戻される程芯から遠くなかった。少し強引ながらバットを前に押し出して直線の線は逆方向にアーチを描いていた。 「あり?」 あれ?と声を出そうとしたが、咄嗟の口の判断が難しく「れ」が「り」になった。それもそうである。ボールはフェンスを越えるか、直撃か微妙な飛び方なのだ。 長打を打つことはまず無理だと思っていたそばから長打コースなのである。 コースは弱い当たりならフライになるライトの方面だったが、とにかく長打であることは間違いない。あたるは走った。 土があたるが足を上げるたびに舞い上がった。一塁を蹴ると、二塁方向へ直角に曲がろうとしたが、そんなことをしたらまず転倒は免れない。 あたるは一塁ベースを踏むと少し左手を地面について、出来るだけ直角に曲がった。そして、スピードを緩めることもなく二塁へ。 二塁ベースがもう少しと言うところで、ボールが今何処にあるのか確認すべく、ちらっと外野をみた。いまだ送球する様子はない。フェンスに直撃して、 ボールが変な方向に跳ね返ったらしく外野がいまだボールを追いかけている様子だった。 「止まれ!無理はするな!」 ベンチからの指示では無理をして次の回に障るよりも、途中で止まって少しでも体力を残しておけとの指示だった。しかしあたるはこれを無視した。 「あの、バカ!!」 ベンチで親父が立ち上がった。あたるはベンチで親父が立ち上がるのが解った気がした。友校のベンチは一塁側だからあたるには見えるはずもなかったが、 何か殺気らしき物が感じられた。少し躊躇したが、スピードはゆるめなかった。二塁三塁の間を半分走ったぐらいで横目で外野をちらっと見るとボールが三塁側に 飛んできているのには焦った。しかし、今更引き返したってどうせ挟まれてアウトだ。それなら三塁まで行ってやろうか、あたるはそう思った。 ベンチで親父に叱られる自分が想像出来た。 (んっ?) あたるはあることを思いだした。試合前の場内アナウンスの事を思い出した。 「四番・サード、黒川くん」 「あっ・・・、サード彰だ・・・」 あたるは息切れの中で拍子抜けした声をだした。その瞬間急にやる気がなくなってきた。 (いかん、いかん!) あたるは首を振ってサードへヘッドスライディング。地面に腹がこすれベース周辺の黒みがかった砂が飛び散った。 彰もボールを受けると、あたるにグラブをたたきつけるように振り下ろした。あたるの背中にパシッと音がした。本当にグラブをたたきつけたのだ。 「セーフ!」 痛かったがセーフだった。球場全体から安堵の溜息が出た。親父は力が抜けたようにどさっと椅子に座ると、冷や汗をハンカチで拭き取った。 「ヒヤヒヤさせおってからに・・・」 あたるは腹に着いた土をぱんぱんと両手ではたいて、彰をにらんだ。 「どうです?三塁まできた気分は?」 彰が軽々しく口を開いた。先日、ラム経由であたるに問いかけた疑問はあえて口に出さなかった。 「別にどうでもねえよ。ただ、これで追いつけるってもんだ」 あたるは彰とは目線を会わせず、かといって興味がないようなしゃべり方はしなかった。 「そうですかね。行っておきますけど、ウチのエースはそんじょそこらの好投手とは違いますからね」 「分かってないね〜、君は」 あたるは少し偉そうに声を大きくして言った。そして、三塁ベースから少し離れてリードを取った。そして、少し離れた距離から あたるは再び口を上下に動かした。 「うちは、そんじょそこらの好投手とは違うエースでも討ち取るのは不可能に近いバッターだぜ?」 続きを言おうとしたが、コースケの打ったたまがあたるに向かってきた。さっと避けてボールの行方を首を回して目で追った。 「ファール!」 「危ねえな、コースケのやろう」 バッターボックスでコースケが目で謝っていた。あたるは目で許すといって彰に続きを話し始める。 「ウチの四番は結構な努力家でね。一年の時は結構、俺と一緒に練習サボってたけど、家で決行打撃練習してたんだよな〜。しかもあいつには才能がある  から、才能と努力を掛け持った四番なんだよ」 あたるはコースケを見ながら少し自慢げに言った。コースケと同じチームであることに少し誇りさえ思えた。 コースケもまた同じ事を考えていた。あたると一緒のチームで誇りに思っていた。 「努力しているのは友高だけじゃないですよ」 彰は静かに反論した。というよりこの反論を聞いたらどう反応するか、それが気になった。コースケが大山のボールを打った。 しかし、あたりは良かった物のホームランのコースとはほど遠い物だった。内野スタンドに弾丸のように突っ込んでいった。 「確かにそうだろうな。でも、コースケは打てるような気がする」 あたるは笑いながら、右手で握り拳を見せた。そして、彰は笑った。 「そうですか?おれは打ち取れるような気がしますけど・・・」 両者それそれの大黒柱に絶対の信頼を置いていた。それだからこそ、多少の無理が出来るような気がした。 「でもいいですね、友高は・・・」 彰が再び口を開いてみせた。 「なんで?」 「大黒柱がふたりもいるんですよ。ナインから信頼を得ているエースと四番がいるんですから・・・」 彰は寂しそうだった。再びコースケのバットが音を鳴らした。しかし、今度は後方へ大きく飛んでいって、バックネットを越えていった。 「お前、信頼を得てないのか?」 あたるは少し改まって言った。 「分からないんです・・・」 「二年生っていうのはそう思ってしまうんじゃないか?三年生を差し置いて四番に座ることにどうしても抵抗があるんだろ?」 彰からの返事はなかったが、軽くうなずいていた。あたるは腰に手をおいてふうと溜息をつく。 「いいだろうが別に・・・。お前は四番に座った以上、プレゼントする義務があるんだよ」 「プレゼントって・・・、なにをですか・・・?」 「・・・、最後の夏をだよ!」 彰は聞き取れなかったが、聞き返す暇がなかった。 コースケの打った球が、彰の左上をノーバウンド通過しようとしていたのだ。これに気付いたあたるは走り始め、彰はそれを取るべくジャンプした。 彰にとって取れるか取れないか微妙な高さだ。 これは長打になると誰もが思った。それに合わせるように友高応援席で歓声が上がった。 しかし、あたるはもしかしたら彰だったら取れるかもしれない。彰程の瞬発力があれば取れる範囲だ。 あたるは彰がボールをキャッチしないことを願った。そうすれば同点。そしてもし取られればコースケはサードライナーでアウト。あたるは 飛び出したせいでアウトになる。あたるは彰が取るか取らないかの二分の一の確立にかけた。取れない!そう思った。 あたるがサードとホーム間の半分も行っていないとき、友高応援団と反対の方向から歓声が上がった。 あたるは最悪の事態を振り向き様に見せつけられた。日太陽の中に彰の姿が見えて逆光ではっきり見えなかったが、その姿が目に焼き付いた。 そして彰は光りの中から産み落とされたかのようにバランスを崩しながら背中から落ちていった。そのグラブの中にコースケが放った白球がすっぽりと納まっていた。 『と・・・』 ラジオから聞こえる実況の声が何か行ったような気がしたが、聞く人たちには何を発したのか分からなかった。 『取ったァァァ!!!』 実況の声と共にそれをかき消すような大歓声が上がっていた。 『サード彰、超ファインプレー!!!』 コースケが一塁ベースに届く前にその足を止め、彰が取ったボールを呆然と眺めていた。 七回裏ツーアウトランナー無し。何故か友引ナインは絶望感に襲われた。 〜続〜