高校野球編:夢の場所・元の場所(後編・最終話) PART1「【これが最後だ・・・】」 『さあ、九回の裏、ワンアウト三塁で、三番の諸星!途中怪我で退場の白井の意志を引き継ぎ、そして初の甲子園をめざし、最後のチャンスに挑みます!』 あたるはバッターボックスに立った。バットの先端を片手で持って、グリップのところを見つめた。 「・・・」 ベンチ 「ん?コースケのバット何処行った?」 親父はふと軽い疑問の声をあげ、それにあわせて緊張の糸が切れたラムが慌てたように振り返った。 「え?」 「コースケのバットがないんじゃ」 「・・・」 ラムは少し考えるように腕を組んで、頭を軽く肩に埋めた。 「ダーリンのバットは?」 「あるはずないやんけ。あいつが持っていった・・・」 親父の手にはあたるのバットが握られたことに、持った本人とラムは驚きを顔全体に表した。そして直感的に悟った。 「まさか・・・!?」 あたるがコースケのバットを間違えて持っていった!それが親父の頭が導き出した答えだ。しかし、ラムはその意見とはほぼ180度違っていた。 わざとコースケのバットを持っていったというのである。 サヨナラのゲームをコースケのバットで決めたい。というより、コースケのバットでなければ打てないような気がするのではないか?ラムはそう思っていた。 あたるはスコアボードの上の時計をみて、その後から太陽の光が強く降り注いでいるのに目を細めた。 時計の針が試合開始の一時から四時近くまで回っている。この炎天下で戦う球児をこの時計は何度も見ていた。逆転サヨナラでマウンドの上で涙を流す背番号1を付けた者もいた。 また最後のバッターを打ち取り、喜び合うナインも見たことがある。ホームランを打って歓声を上げる応援団や三振アウトを取ると立ち上がって喜ぶスタンドの生徒。 大会最も注目された人物がたたきのめされる波乱も見ただろうか。 毎年別々の場所で行われる県大会。この球場での県大会は久しぶりだった。決勝を最も高い位置から見ることの出来る時計は甲子園の決勝を思わせる激戦を堪能していた。 しかし、甲子園の決勝はこんなモノではないはずだ、もっとすごい戦いがある、と思う者がいた。ルパである。 彼は、あたると面堂の戦いの結果が誰にもわからない事を誰よりも理解していた。その試合を観たい。 だが、彰はルパが小さいときから従弟ではなく弟のように可愛がっていたのだ。彼にも甲子園に行って欲しい。甲子園代表は各県二校でやって欲しいと最も思ったのはルパだった。 あたるは風がグラウンドの土を巻き上げ、視界を悪くしている中、彰を見た。彰も同様、舞い上がった土で茶色に染まる視界にあたるの姿を見た。 彼らは、それぞれの黒い瞳の中にある熱いエネルギーを絶やすことはなく、そのエネルギーはふたりの間のちょうどど真ん中で、見えない火花を散らしている。 だれもが、その花火に緊張感を持っていた。この勝負で全てが決まる。この次のコースケに代わって入った神岡が彰から打てるはずがない。逆に点が入れば、その次の回にサヨナラと できる。どちらもがピンチとチャンスを目の前にしていた。 (コースケ・・・、見てるか?) 心で、今頃は怪我の治療を終えて病院のベッドで寝ているであろう親友に呼びかけた。あたるは、コースケにスタンドで応援しているかのように感じていた。 (お前のバット・・・、借りちゃっていいか?) あたるはもう一度バットを見た。今度はグリップを両手で持って、縦にすると見えるバットの芯あたり。そこが少し汚れている。ここにバットが当たるとホームランである。 今まで、彼は何人のピッチャーからホームランを打ったのだろうか? 「頼んだぜ・・・、コースケよ」 彰はマウンドの上でジーッと右手の中にあるボールを見つめた。そのボールをキャッチャーに投げる楽しみを知っている1人だ。バッターを打ち取る事に楽しみを覚え、 接戦をより楽しむ性格の彼には相手があたるであることに不満足はしていなかった。しかし、ここで負けるかもしれないとここまで思ったのは初めてのことだ。 「相手が彼らとあっては負けるわけにはいきませんから」 マウンドに集まっている一刻商ナインの輪の中心で彰はそう呟いた。彰以外の内野は先輩なので、敬語がでるのか珍しくない。 「彼ら?相手は諸星あたるだけだぜ?」 「そうですよ・・・。ただ、白井さんとサヨナラにしたいと考えているんですよ、彼のバットを持ってね」 「・・・」 先輩達は無言で彰の言うことを聞いていた。そう言われると諸星あたるという男は前の打席とは違う、ふたりで1人というような雰囲気を漂わせていた。 「討ち取れるか?」 心配そうにする声を耳に入れた彰はフッと笑って見せた。 「打ち取ってみせます。甲子園制覇は一刻商の夢ですから」 そういうと、彰は自軍のベンチではなく敵軍のベンチのラムに目を向けた。スコアブックを片手に、頬から汗が垂れ落としていた。 その目の向かう方向にあたるがいることを彰は直ぐに悟った。 「なんだかんだ言って俺は敵だな・・・」 彰のほぼ独り言に等しいその言葉に先輩達は視線を集中させた。 「だれが敵だって?」 1人の言葉に彰はベンチから彼をみた。 「少なくとも俺は味方のつもりだぜ?」 この男は彰の言った一独り言を完全に理解していなかったが、それでもその一言は彰を最後の戦いへの励ましの一言になった。 「俺もですよ。気が合いますね」 多少冗談交じりに言ったが、感動的な台詞も浮かばなかった彰の本心混ざった声がマウンドにいる一刻商ナインに何らかの力を与えていた。 あたるはバットを構えた。その光景を見ていた友引ナインは目を上下に拡げた。その姿はあたるのものではない。 顔はまさしくあたるのものだが、バッティングフォームがコースケのものだった。あたるは誰もやったことのないフォームを実現していた。 「こ、コースケ・・・?」 驚きと、そしてわずかな懐かしさを声に出した友引ナイン一同であった。 『さあ、友引高校のエース諸星と、一刻商の四番黒川の今度は立場が逆転しての対決!しかし、立場が逆転しても名勝負には代わりありません!勝つのは諸星か、黒川か!  そして甲子園初出場を狙う友引高校か、はたまた甲子園初優勝を目指す一刻商か!!試合は終盤にさしかかっています!』 その実況にあわせるかのように両校応援団が一層声を張り上げ始めた。互いの応援合戦か、相手に対するプレッシャーをかけるためか。 その応援の結果、どちらが勝つにしても決して応援が足りなかったわけではない。彼らの入り込む余地のない戦いなのである。 しかし、少しでも力になりたい。プレーは出来ずとも、せめて目指す場所は皆が同じでもいいのではないのだろうか。 (これが最後だ・・・・) この夏、東東京地区予選決勝、試合は9回の裏、ワンアウト三塁で友引高校の攻撃。打席には三番、諸星あたる。 PART2「【夢は終わったんだ】」 彰は最初の一球を投げようと肩の力を抜いて構えた。 一球でも甘いところに入れば、コースケになりきったあたるはスタンドまで運んでいくことだろう。 ボールは急激な彰の大きな力を得て、ここ一番のストレートと化し、あたるに挑戦状をぶつけた。 あたるもその力を凌駕するべく、全神経をボールに集中させ、そして、親友と共に彰の挑戦状を受けた。 躊躇することなく振り抜いたバットは球と激突し、豪快な金属音を発するとボールは進む方向を変えた。 一刻商のサードにとっては一瞬何が起きたか解らなかった。まるで拳銃の弾が、いやその力強さから戦車の弾と言うべきだろう。それが体の右横を走り抜けた。 サードはボールが後方のフェンスにあたった時、やっとそれがあたるが打ち返した弾だと言うことに気付いた。 彰のピッチングから繰り出される剛速球とあたるのスイングから出されるバットの破壊力は凄まじい物があり、場外は一瞬静まりかえった。 『な・・・、なんという一瞬の出来事か!恐らく今日、いや今年で最高のピッチングであろう球を諸星は打ち返しました!わずかにファールではありましたが、  この一瞬の勝負に場内は静まりかえりました!!』 (速い・・・。タイミングが合わない・・・) あたるは今ファールしたボールの行方を目で追い、その後に彰の目に視線の槍を投げつけた。 (強い・・・。この速さであれか・・・) 今の返された打球の速さを見た彰もまた視線を投げ返す。ふうっと2人とも大きな溜息をつくと第二ラウンドの構えをした。 (やっぱ、プレイするのは俺か・・・) あたるは今度はコースケのフォームから自分のフォームに変えた。やはり、ここまでコースケに頼るのは癪な気もする。しかし、バットだけでもコースケと共に行こうという 気持ちは少しも傷つくことはなかった。 『第二球!投げた!』 そう言い終えた瞬間は既に第二ラウンドは終了していた。ボールはバックネットに直撃していた。 『またしても、一瞬の勝負!この2人の決着はそう簡単に決まりそうにありません!これで、ツーナッシング!形の上では黒川が諸星を追いつめた状態ではありますが、  実際に追い込まれているのは黒川かもしれません』 彰はいつにない最高の球を二回連続、尽くファールにされたのだ。しかも、わざとファールにするためにカットするようなスイングではなく、 空振りするかもしれないホームラン狙いのスイングで。彰は経験と才能で培ってきた自信を踏みつぶされそうな気がした。 友引ベンチ 「この勝負は絶対につかない。つくとすれば、一瞬でも勝とうとする意志が弱くなったときか、あるいは・・・」 メガネがパーマ、チビ、カクガリを背に声を低くして言った。背中を向けられた三人はコンクリートの床に守備からの余韻となる汗を落としながら、メガネの次の言葉を待った。 「甲子園を忘れたときだ・・・」 三人の他にも親父や他のナインも小さくうなずいた。 「あいつも前に二度も甲子園を忘れたことがある・・・」 あいつと呼ばれた友引高校のエースは今バッターボックスにいる。そして、終生のライバルとなる面堂のいる舞台へ上り詰めるため、もう1人のライバルを倒そうとしている。 しかも、本業のピッチャーしてではなく、バッターとして。 彰が再び投球の構えを見せるとあたるのバットも自然とうなりをあげる。そして、彰の右腕が第三ラウンドの狼煙を上げる雄叫びをあげると、あたるのバットも飛び出した。 カキンッ!! ボールは高く上がった。 『ボールは高ーくあがりました!しかし、これは一塁側スタンドに入りそうです』 その実況の言葉通り、ボールは急な放物線を描きながら、一塁側スタンドに消えていった。 「ファール!」 そんなことは球場の誰もが解っていたことだが、審判は規定通りファールの宣告をする。 『またしても、ファール。三球連続でファールです!』 「チッ!!」 そう舌打ちしたのはあたると彰だった。どちらもこれで決めようとして、結局普通の型どおりの結果に終わったからだ。 あたると彰はこの後、未だつかぬ勝負がどこまで続くのか見当もついていなかった。 四球目。力と信念のこもったボールは空気を切り裂き、あたるはなんとかこのボールをカットした。 五球目。今度は一転して、彰のボールにわずかながら力が入っていないことがあたると投げた本人の目には明らかだった。彰は絶望を感じ、あたるは勝利を確信した。 そして、バットに当てたボールは大きな放物線を描いた。 『諸星の当たり、行ったかァ!!?』 しかし、ライトスタンドの端を目指していたボールはわずかながらファールとなった。彰は少しでも気の抜けたボールを投げたことを反省し、 あたるは一瞬でも勝利におぼれた自分を未熟者だと思った。 六球目。2人ともそれぞれの反省の後、再び最高の戦いを観客に見せつけた。彰の球は拳銃となり、あたるのバットは日本刀と化す。 どちらもお互いを切り裂こうとして、同等の力で、反発しあった。またしてもファールだ。 『これで、六球連続ファールです!この2人の勝負はいつまで続くのでしょうか!!次は七球目です!』 「これで、六球連続や・・・」 ベンチの中で親父がそう呟いた。その言葉には勝負のつかないこの2人の勝負を神の戦いのように見る気持ちが混ぜられている。 ラムもその言葉を理解し、そして共感した。 七球目。彰はロージンを使って、手の汗を取ると七球目にもかかわらず、この試合で登板して以来、最高の球を投げた。 あたるもこれに劣らないバットスイングでヒュッと言う音を出した。ボールはまたしてもバックネットに直撃した。 ガシャーンという音が前にバックネットに当たったときより、大きくなっているのに、バックネット裏の観客は気付かない。 『七球目も、ファール!諸星、なんとか耐えています!この勝負に終わりがあるのか!!』 球場に風が吹き始めた。その風は球場にこもる熱気を少しづつ外に排出し、戦う選手達への多少のごほうびのように感じられた。あたるの髪はなびき、 彰の服が揺れ、応援団の体を冷やし、あたるはタイムを取った。 「ターイム!」 審判が両手を拡げて、タイムのポーズを取った。その瞬間に一球の緊張感が解けた。球場全体から大きな溜息が緊張感を乗せてこぼれる。 あたるもふうっと溜息を吐いた。 (くそったれ、打てねぇじゃねえか・・・) あたるは怒りと言うより冗談めいた皮肉を言う感じでバットに視線を投げかけた。 バッターボックスから少し離れて、二、三回素振りをすると、グリップの裏に何か書いてあるのを発見した。油性マジックで書かれていて、かなり薄くなっていたり、こすれているので だいぶ前に描かれた物だろう。少し見えにくいが、何とか読解した。“打倒、水之小路!目指せ、甲子園制覇!” (水之小路・・・?) あたるその名に少し戸惑ったが、直ぐに思い出した。面堂を四番に擁する豪太刀高校のエース、驚異的なコントロールで有名な全国区ピッチャー、水之小路飛麿だ。 彼との間に何があったかは聞いていないが、あたるの他にも友引高校内で豪太刀の選手をライバル視する奴がいたことに少しの驚きを感じた。 そして、心の中で何か光る物があった。もう十分に光っていたあたるの心に別の光が沸いてきた。 (俺が面堂と勝負するということは、コースケと飛麿の勝負にもなるわけだ・・・) あたるはバッターボックスに立ち、ヘルメットを取って汗でしめっていると言うよりぬれている髪の毛を軽くかき回すと、またヘルメットで覆い隠す。 そして、バットを持って構える。ホームラン狙いの一発勝負、友引高校と一刻商業高校の運命を決する最後の戦い。それを繰り広げる友引高校のエースと一刻商業の四番。 本来なら逆の立場の方が名勝負となるであろうが、そうではない。だが、彼らは不本意な勝負でも手抜きはしない。不本意な勝負とも思っていない。 ただ、勝ちたいという信念が同じ強さである以上、それが名勝負というものであるから。 彰は振りかぶった。八球目。まだ二年生ではあるのに、その力はとてつもない練習量から成り立った奇跡の一球となる。 彰の今日最高の球であり、一生これ以上の球を投げることはなかった。その背後にはルパの姿があたるの目に映った。 そして、手を完全に振りきった。 あたるの背後には3人いた。ルパとコースケとラムだ。背負う人数だけでそれが力にもなるが重荷にもなる。その重荷をあたるは担ぎ続けてきた。 その重荷を下ろすときが来た。 (・・・) あたるは左足をあげ、バットを振った。勝利を呼ぶため、甲子園行きの切符を勝ち取るため、両者の分身とも言えるボールとバットが勝者と敗者をきめた。 キィーン・・・・・・ 球場に響き渡った金属の快音は余韻を残しながら、少しずつ静寂の一途をたどっていく。観客の誰もが目を上下に拡げ、ボールの行方を追った。 綺麗な放物線を描くそのボールに球場内の誰もが魅了された。 放物線がラムの目に映り、面堂の口に軽い笑みを浮かべさせ、あたるの目から涙を溢れさせた。誰の心も一瞬緊張感から一変して、静かになった。 『諸星の当たりは左中間!!間違いない!!』 あたるは疲れ切った体から右手を挙げて、勝利を確信し、甲子園を確信し、夢の実現を確信した。 ボールは友引高校を甲子園という野球の聖地へ乗せていき、兵庫県のある南西の方向へアーチを描いていく。 友引ナインがベンチを飛び出した。誰もが目を熱くして、なかなか終わることの無かった緊張を高鳴りにかえて飛び出した。 『まさか、まさかの奇跡が起きた!!逆転サヨナラツーランホームラン!!主砲、白井が希望を託した諸星が試合を決めたァ!!』 ボールがレフトスタンドに入るのを見るとコースケのバットを両手でしっかり抱き込んでグラウンドを走り出した。 土を少し巻き上げながら、このグランドで行われる最後の高校野球のラストランナーはバットを歓喜極まりない友引応援団にかざした。 それに反応して、「あたるコール」は始まった。球場内に大合唱が響き、試合を見に来ただけの観客から拍手が送られる。 その大声援に包まれたあたるは二塁ベース上を走ったところで、既に友引ナインがホームベースであたるの帰りを待っていた。 それをみて、先ほど出た涙が再び目下のこぼれ始めた。 「やったやないか」 あの声だ。あたるを闇のそこから復活させた懐かしい大人びた女性の声だ。あたるは慌てて涙を拭く。 (おかげさまで) あたるは心で返事をした。 「あんたも大したもんやな。これなら、あの娘のことも安心や」 (あの娘って、ラムのことか?) あたるの問いかけにその声は返事することはなかった。しばらくの沈黙の後、三塁ベースを回ってあとは友引ナインの輪の中に入るだけのあたるに言う。 「ほれ、あんさんの仲間が待っとるで。いってやんな」 (・・・ああ、そうしようか) マウンドの上では彰がうずくまって大粒の涙を茶色い土の上に降らせていた。何度も何度も拭いても止まらないその涙は負けた悔しさと甲子園の夢を絶たれた絶望にあった。 だが、彼のやってきたことは誰でも高い評価を残すだろう。朝晩、ランニングと腕立て伏せ、腹筋背筋などのトレーニング。それを馬鹿にする者はあたるでも許さない。 友引高校の敵として最後の最後に散ったこの男は、いずれもっと大きな大木になる。いまは、この試合に負けたことに存分に涙を流すことが大切なことだ。 彼の周りにたたずむ一刻商ナインの三年生は涙を流すことはなかった。だが、彰の前では涙を流しては行けないと思っていたのだ。此処で泣けば、彰を責める事になりかねない。 ここはグッと涙を堪えて、彰を励ますことに全力を注ぐことで最後の夏を終わらせた。 「俺たちの夢は終わったんだ。だが、お前にはまだかなえるチャンスがある。来年行けよな、甲子園・・・」 あたるはホームベースでワクワクしながら待機する友引ナインに飛びかかった。たたかれ、抱かれ、ほおずりされてと普段なら怒ることも、喜びしかなかった。 共に鬼監督の猛練習の成果と3年目に掴んだ栄光の甲子園はこの友引ナイン全員に与えられる。この暖かいチームの中で、暖かい心を持つ者しかいない。 最後で今までにない厳しい戦いに勝利し、バッターとして奇跡を起こしたエースと激痛に耐えながら気を失うまでマスクを被り続けた四番、 そして友引高校野球部総勢五十二人が勝ち取った栄光の瞬間は午後四時三十八分のことだった。 『友引高校、甲子園初出場!!』 PART3「早すぎるお礼」 コースケは布団から体を起こした。白を基本とした部屋の中にいる。病院の部屋のようだ。布団ではなくベット言うことも気付いた。 「起きたか」 ドアから入ってきた人物にコースケは視線をスライドさせた。黒い肌に車いす。それだけでルパ以外の人物に見えないはずがない。次に顔を確認して、ルパと言うことを改めて認識した。 「あ、あの、試合は!?」 身を乗り出して訪ねたコースケにルパは少し笑った表情で口を開いた。 「ああ、それなら・・・」 口を開いたにはいいが、「ああ、それなら・・・」だけしか言うことが出来なくなった。 ドアを殴り飛ばすように入ってきた数十人の汗まみれの泥まみれ、顔の見た目も形もロクなのがいない見たこと在る顔が並んで入ってきたのに、 ルパもコースケも何も言うことは出来なくなったのだった。息切れの音が何重にも部屋の中を走り回っている。見たところ、友引野球部の三年だけらしい。 その中から一歩乗り出して出たのがメガネだ。 「ハ・・・、ハハハハ・・・」 笑いとも息切れの音とも聞き取れる声を出しながら、少しづつ歩み寄ってくる。 「?」 コースケはその謎の行動にしかめた面をした。 「コースケェ!!」 メガネの野生の遠吠えが病院中に響き渡った瞬間、友引野球部の男の波が一気にコースケを飲み込み、ルパをはじき飛ばした。 コースケはけが人である。そんなことが起きたらたまったモンではないだろう。が、それは未来形から過去形へと瞬間移動した。 「馬鹿ヤロォ!!痛テェじゃねえか、こんにゃろォ!!どけい!!」 コースケはけが人だと言うことに気付いた男の波は1人一言ずつ謝罪し、飲み込んだコースケを解放して、ベットの周りを囲んだ。 何人かは先ほどはじき飛ばされ、カチンときているルパにも謝罪した様子だ。 「んで、なんのようだ?試合は?」 そう言い終える前にメガネ他レギュラー組が「優勝」と書かれた表彰状を、手を目一杯伸ばして見せつけた。 「だれが、試合を決めた?」 「は?」 「は?って名前の奴、野球部にいたっけか?」 「いや、そうじゃなくて・・・」 メガネはいつもの熱血を何処にやるべきか迷った。 「じゃあ、だれなんだ?」 「もうちょっと、嬉しそうにしろよ。なんのために病院まで来てやったと思ってんだ。それに優勝したんだぞ、甲子園だぞ」 パーマが裁判所で、被告人が裁判長に救いを求めるような表情で言った。 「そんな長い名前の奴いたか?」 その瞬間、一同が揃って何処からともなくバットを取り出すと、殴る体勢満々の状態になった。 「冗談だよ!だから、その・・・、いきなり優勝の賞状見せられても実感わかないし、途中で試合から抜けたし、自分でもよくわからんのだ。もっと、優勝って実感出来るものがないと」 はっきり言えばそれは贅沢であったかもしれない。 「そんなこといわれても、俺たちは表彰状しか貰ってないし・・・」 コースケのわがままみたいな言葉に友引ナインは困り果てた。 「そういえば、あたるは?」 その姿を見て、話題を変えるべきと思ったのか、本当にあたるがいないことに疑問を持ったのか、コースケはエースの居ない男の壁を見渡した。 「あれ?いたんじゃなかったのか?」 メガネ達が周りに視線を配ってみると、「あたる」の「あ」の字も見えない。一同は顔を合わせた。 友引墓地の入り口 「どうしたっちゃ、いきなりかーちゃんの墓参り行こうなんて・・・」 「まずはあいつに報告せなあかんやろ、甲子園初出場が決定しましたて」 親父が早歩きで花束も何も供え物を持たずに墓にはいると、ラムもそれを慌てて追う。親父の横に並んだところで、制服姿のラムは甲子園初出場を決めた瞬間を思い出した。 「友引高校甲子園初出場。鬼木監督、監督生活十四年目の悲願の夢叶う」 ラムが新聞の見だしを読むように言った。 「ん?なんや、いきなり・・・」 「なんでもないっちゃ」 親父は笑顔で答えたラムに何の意志があったのか問う気も失せてしまった。 墓の中の道を右に曲がったら、すぐにラムの母親の眠る墓がある。親父達がその曲がり角を曲がったところで、風が吹き、2人の髪を少し揺らした。 その風が吹く中で、1人の男がラムの母の前で手を合わせている。さっきまで球場でサヨナラの歓喜の中心にいた男である。 「あたる・・・」 名前を呼ばれた男は振り返った。 「監督・・・」 「お前何でここにおんのや?」 あたるは墓を見て口元へ笑みを浮かべて、風が吹き終わるのと同時にゆっくり言葉を発した。 「恩人ですから・・・」 「恩人・・・?あいつはお前やラムが小さいときに死んだんやで。ラムはともかくお前も覚えとるんか?」 「いえ」 「じゃあ、なんや恩人って?」 「・・・救ってくれたんですよ。闇のそこから、友引高校を・・・。サヨナラに出来たのもコースケとおばさんのおかげなんですよ」 親父は何も答えることは無かった。ラムの母親は死んでも、親父達の力になってくれることに感謝の念が絶えなかった。 「そやったら、ちゃんと感謝しとかないかんなぁ」 そういうと、墓の前でその大きな体を膝を折って沈ませると、そっと手を合わせた。その横にラムもしゃがんで同じ行動を取る。 また、墓地に風が吹いた。 ルパは家に帰って決勝戦の試合結果を今聞いたところだった。 「あたるが、勝ったか・・・」 ルパの目の前には面堂が居る。出された麦茶を少しすすり、目に笑顔を作った。 「ええ、あいつは投手としての才能の他に土壇場に凄いことを起こす奴と言うことを実感しました。打者としての才能もあるのかもしれません」 「元・投手だった人間の方が偉大な記録を作ったりするもんさ。王貞治もイチローも高校時代はピッチャーだった」 「そうですね。あいつならやりかねないです」 何か納得したような言い方にルパは多少の驚きを持った。四番打者として天性の才能を持つ男があっさりこういう事を認めたからだ。 「でも、あいつが通算本塁打世界記録やシーズン最多安打世界記録を塗り替えようが、おれはその上を行くまでです」 自信に溢れる面堂の表情はどこか、あたるに似ていたような気がした。 「あいつもまた同じ事を考えているさ。お前がピッチャーになったとして、通算最多勝や奪三振記録を塗り替えたとしてもその上に行きたがる。  お前ら2人は頂点を何よりも望むからな。そして、良きライバルだと思っている。いいことじゃないか・・・」 面堂はしばらくルパから窓の外の風景に視線を移して、少し間をあけてから答えた。 「今の時期は良きライバルでは在りません。チームが異なる以上、あいつは俺たちのチームを脅かす強大な存在でしかないんです。それに今はあいつが怖いんです」 あたるはともかく、面堂にとって中学の時はB級投手だったあたるがいきなり超A級投手になった。下から舞い上がってきて、いつ自分を追い抜いてしまうかわからない。 そのことに面堂は無意識の恐怖を感じていた。それが今の時期になって自覚症状がはっきり出てきた。その恐怖が錯覚であることをあたるに勝って証明するしかないのだ。 「負けませんよ。あいつには・・・」 面堂は立ち上がって、帰りの支度をしながらそう答えた。持ってきたバックを肩に担ぎ、ドアノブに手を掛けるともう一言いった。 「おれも、ラムさんに惚れている男の1人です。負けようがありません」 「それじゃ、一回学校戻ってから、家に帰りますから・・・」 あたるは墓地の前で親父に一言挨拶をしてから、学校の方へ歩き始めた。その後ろにはラムが後からついてくる。 親父は2人の姿を少しだけ見届けてから、タバコを一本吸いながら、町の風景を見て回った。 2人は公園の森林の道を歩いていた。蝉が鳴き、試合後の疲れにかなり響くような音だった。全力投球で一試合を投げきり、 最後に緊張の打席に立った男は心身共に疲れ切っていた。それでも彼は堂々と歩いていた。甲子園出場を決めたその高揚感が彼の足を支えていた。 「疲れた・・・」 あたるが試合が終わり、ラムに最初に話しかけたのはこの一言だった。ラムに疲れた体の面倒を見て貰いたいという甘えが入ったのかも知れない。 「ウチは何をすればいいっちゃ?」 あたるの甘えに全く気付かず、言ってはならない一言を堂々と言ってのけた。 「べ、別に、何もないわい!」 心にぐさっと刺さった音を隠しながら、あたるは強気の姿勢に出たが無意味だった。それをラムが少し微笑んだ後、前をみた。 そこにある男が立っていた。夕方の太陽の光が逆光となって姿形がはっきり見えない。 「どうも・・・」 その男は小さく挨拶した。あたるとの激闘で敗れた男である。まさかの逆転サヨナラ負けにグラウンドで涙した一刻商の四番であり、二番手ピッチャーだった。 「彰・・・」 あたるは彰の顔を直視することが出来なかった。彼の顔は悔しさとショックで生気を失っているかのように見える。 そんな顔にしてしまったのはあたる本人である。敵の夢を絶たねば、自らの夢は叶うことはない。一つの負けが即、青春の幕を下ろす高校野球。 県予選から一度も負けなかったチームだけが手に入れることの出来る日本野球の聖地の最高峰。その夢を競って友引高校と一刻商は戦った。 結果は三番ピッチャー諸星のサヨナラ逆転ツーランホームラン。 「正直に言います。あなたが憎たらしいです。夢を叶えて、大好きな人々に囲まれて。俺は悔いを残さない戦いをしたつもりです。それでも夢が叶わなければあのときこうすれば、  このときこうやっておけば、という言葉が頭の中を離れることはありません。勝てばそういう気持ちも無いでしょうに・・・」 あたるは静かに聞いていた。彰がそう思うのも無理はない。負けたからだ。いつかは悔しさが糧となり、彼はもっと強くなる。だが、そこまでの過程が厳しい。 「お前は来年は友引高校負けないと言いたいのか?」 「ええ、それもあります。チームのために今度の練習からは東東京地区王座奪還のためにやります。ただ、個人的な理由でいうと貴方が標的です。  あなたのポジションがうらやましいんです。いつか、そのポジションを自分の物にしたい。それを言いたかっただけです。今度はバッターとして、いつか必ず」 あたるのポジション。それは彰が最も欲しかったところ。ラムを一目見たその時から欲しかったところ。それを負けたことで得るチャンスを無くした。次のチャンスは未だ先のことだ。 「冷たいことを言うかも知れないが、おれの今の敵はお前じゃない。面堂なんだ」 「解ってます。だから、来年を見ていて下さい。あなたが高卒でプロ野球選手になるか、大学に行くか、野球を止めるかどうかなんて俺には解らない。  ただ、また貴方と戦えるレベルにまで来たら、その時は頭の隅っこでも良いです。ライバルとして認めて下さい、野球だけでなく・・・。貴方の生きる道の障害物として」 「ああ・・・」 あたるは低くそう答えると彰は小さく礼をしてあたるに背を向けた。一刻商の制服が夕日で紅く燃え上がっているかに見えた。 来年、彰は再び大舞台へと立ち上がることになる。 「なんのことだっちゃ、ポジションって・・・」 「そのまんまだよ」 「エースの座って事?でも、バッターとしてもう一回勝負したいって言ってたし・・・」 ラムは肩をすくめて考え込んだ。あたるはそれを少し高い視線から目だけを動かして様子を見てみた。ラムは意味がよく解っていないらしい。 「親父さんは泣いていたか?」 あたるが話題を変えたことにラムはわずかに戸惑いを感じたが、直ぐにそれなりの返答した。 「ああ、見てないっちゃ」 「なんだ、残念だ。一生に見れるかどうか解らないのに・・・」 「なんで、とーちゃんが泣かないといけないっちゃ?」 ラムが疑問を投げかけるとあたるは笑みを作って、自分たちが歩いている道の先を眺めた。 「言ってたろ?『男は悲しいときに泣くもんじゃない。うれしいときに泣くもんだ』って・・・。甲子園の初出場決めたんだから、嬉しいことなんだから・・・」 「きっと家で泣いているっちゃよ・・・」 「そうかな?」 「そうだっちゃ」 そこで2人の会話が途切れた。足の地面を蹴る音が微妙に重なって耳に入る。2人は夏の蝉がやかましくなり始めたこの時期、久しぶりに2人きりになった気がする。 夏らしい恋愛物語をお互い期待はしていなかったが、それなりに意識し、少し緊張しながら歩いていた。 「ありがと」 ラムがいきなり言うのであたるは緊張の糸が勢いよくはち切れるのを感じた。 「なにが?」 「なにがって・・・、甲子園だっちゃ」 ラムが拗ねた表情をした後、あたるはポケットに手に入れた。 「お前がそれを言うなって・・・。甲子園出場することと全国制覇すること、それがお前が俺に頼んだことだ。まだ、一個しかかなえてないんだから、お礼を言われる筋合いはないよ。  今の台詞取り消せ、NGだ」 「ハイ」 ラムは敬礼をしてみせて、少しふざけてそう答えた。あたるは試合に勝った瞬間、大いに喜んだ。しかし、今は高揚感が感じられない。 実感はあるはずだ。サヨナラを決めたのは自分自身であるから。 本来なら真っ先にコースケの病院に行くべきなのに、あとに回しても良いラムの母親の墓参りを先にした。 コースケの病院に行かなかったのは、今はない高揚感のせいでコースケの前で笑えないからではないか。落ち着いた気分でこれる場所と言えば、墓場ぐらいだ。 逆に高揚感を持って墓参りをすれば、死者には眩しすぎる。あたるは気分によって行き先を変えていた。相手のことを考えすぎて、そういうワケの分からない行動になったと言うところであろう。 案外、だれよりも相手に気を使っているかも知れない。 「もし、甲子園で優勝出来たら話があるから・・・。その時に礼を言ってくれ」 あたるはそう静かに言って学校に向かった。 PART4「夏」 そして、彼らの新たな夏は始まった。 『さあ、ついにやってきました!!今年の全国高校野球選手権大会の決勝戦、最後を飾る瞬間です!!何も言葉は要りません!今大会、最強と呼ばれた2人の対決をご覧下さい!!』 得点板には先攻友引高校、後攻豪太刀高校の名が堂々と光っていた。その横には0がズラリと並んでいて、八回の表のところにある1が目立っている。 八回の表、友引高校の主砲、コースケが豪太刀エース、水之小路飛麿からスタンドの上段に突き刺さるソロアーチで得点し、この九回の裏、 ランナーをフォアボールとヒットで出し、ツーアウトランナー一、三塁。そして、バッターボックスにはコースケを上回りそして高校野球史歴代最高の豪太刀四番、面堂終太郎が立っていた。 さらにマウンドの上には同じく高校野球史歴代最高の友引高校のエース、諸星あたるが立っている。 この2人の甲子園での活躍は凄まじかった。彼らはプロ野球をも凌駕するほどの活躍で、ニュースの一面を飾り、友引高校は甲子園大会ではここまで三失点しかしておらず、 また、豪太刀高校は準決勝まで全試合二桁安打を記録した。 そのうちに彼らはあたると面堂を最強と呼び始め、好投手、好打者から怪物へ、怪物から英雄へ、その異名を変えていった。その2人の英雄が頂上決戦で対峙した。 この日の気温は彼らの熱気には涼しいぐらいであり、彼らの目の炎は日光より眩しかった。この日の対決を誰よりも望んでいたのはこの2人であり、勝とうとする信念はどちらも互角であった。 お互いを良きライバルと認め、ここまで来るのに両者とも違う苦しみを味わっていた。それが今終わりを告げる。長い長い三年間に終止符を打つときが来た。 風が吹き、太陽の光が降り注ぎ、汗が垂れ落ちる。あたるはその汗を手の甲で吹いた。投げる先はコースケのキャッチャーミットのみ。 そのコースケはやはりラムに惚れていた。それでもあたるとラムの仲を裂こうとは思わない。2人が幸せで在れば、自分は陰にでも何にでもなる覚悟だった。 ただ、彼は確認した。甲子園に来る新幹線の中で。 「あたる、忘れるな。俺はラムちゃんに惚れている」 周りが騒がしく、トランプやこっそり持ってきたゲームで遊んでいる中、この2人は静かに会話をしていた。ラムはあたるの肩に頭を置いて、寝ている。 「ああ、知っている・・・。俺とラムの不仲を望むか?」 「いいや、幸せになって欲しいよ。ただ、甲子園に行って、プロ野球にスカウトされたとしても、ラムちゃんだけは忘れるな」 あたるは一度、コースケの横顔を見て、彼の本心を悟った。叶わなかった夢を叶えても、かなえる前の出来事は忘れてはならない。 甲子園に着いたとしても、友引高校を忘れては行けない。結局彼らの帰るべき場所は一つしかないのだ。 「甲子園が終わったら、受験勉強でもやるか、ラム・・・」 あたるはラムに静かに言った。 風は止み、静かに手の中のボールを見た。夢の甲子園で最後の時が来た。 『諸星、第一球を・・・、投げたァ!!』 この日の甲子園は、五万人を超える大観衆は運命と高校野球の歴史の瞬間を目の前にしていた。 〜終〜