時は夢のように・・・。  第六話『心と心は・・・。』 あたる「・・・ん・・。今・・何時だ・・?」  どこまでも見えそうなくらい真っ青な五月晴れ。五月中旬の朝。  俺の意識はものすごく深い所から目覚めた。  布団の中からもぞもぞと手を伸ばして、時計を取って目の前にかざす。  時計の針は、八時を少し回ったところ。  見間違いじゃないかと思って、目を疑った。  は・・・八時だとぉっ!  学校の始業時間は八時半。 あたる「やばいっ、遅刻しちまうっ。」  手際良く(?)一瞬でパジャマを脱ぐと、Tシャツと制服を引っ掴んで、着替えながら階段を駆け下りる。  悠長に朝飯を食ってる暇なんて無い。  靴紐を結ぶ手ももどかしく、玄関の戸を開けるなりダッシュする。  その時、背後から声が聞こえた。 母「あたるっ、コレ食べなっ!」  『ビュッ』と切れのいいモノが俺に向かって投げられた。  こんがりといい感じに焼けたトーストだった。バターも塗られてる。 あたる「サンキューっ、母さんっ。」  俺はトーストを頬張りながら、学校まで必死に駆けた。                              *  ラムたちの京都旅行から、半月が過ぎた。  五月も半ば、街は初夏の気配でほのかに包まれていた。空が青く、高くて、日々木々の緑が色濃く力強さを増していく。木の葉をを揺ら す風が、少しだけ優しく感じられてきていた。  月末に、沙織ちゃんがやってるテニスの試合があるとかで、唯も練習に付き合わされて、早朝練習によく出かける。  近づいてきた試験に備えて、UFOで勉強しているラムとも、あまり会っていない。  そのせいで、このところすれ違いが多くなってきた。確かに、大学受験は無視できない難関だ。たまにラムと顔を合わせても、上の空だ ったりする。最近、二人とまともに会話をしていない。  なんとなく、二人の元気が無いような気がする。なにかあったんだろうか・・。  俺は、唯の部屋で見かけた家族の写真のことを、ふと思い出した。  彼女の両親と妹は、フロリダにいる。  家族と離れて暮らすのは初めてだって言ってた。きっとすごく心細くて、寂しいだろう。  俺にはどうする事もできないのか・・・?  ラムもラムで、最近、根つめて勉強に勤しんでいる。たまに難しい顔して考えこんでたり、やけにイラついたりしてるし・・。  ホント、二人ともどうしたんだろ?  その日の放課後、俺はこの悩みを面堂達に打ち明けた。 あたる「・・・・ってワケなんだ。二人ともどうかしてるだろ?」 面堂「ふぅーん。そうだな、五月病ってやつかな。面堂邸の新人社員とかだと、新しい環境に慣れてきた頃、ちょうど五月頃になるが、    身体の不調や精神的な疲れが出たりするっていうからな。じゃなければ、ホームシックかもしれんな。躾の厳しい、いい家庭のお嬢    様なんだろ?」 あたる「そうか。もしだが、もしかしてなにかすごく深い悩みとかあるんじゃないかな? 身体の不調ってのはどういうふうに出るんだ?     なあ、面堂、どう思う?」 面堂「どう思うもナニも、おまえな。この・・・妄想権化の低脳男。」  俺と机を向かい合わせて座っている面堂は、俺の気も知れず、ずけずけとあくたいをついた。  カチンときて、木槌を構えた。だけど面堂は涼やかな顔をして話しを続ける。 面堂「貴様、今の状況わかってるのか? 来週から中間テストだぞ。この僕が貴様の苦手な所を見てやってるんだ、しつこくつきまとって    『教えてくれ教えてくれ』ってせがむから、こうして付き合ってやってるのに。ラムさんや唯さんの心配もいいが、自分のことをち    ゃんとしてからにしろ。そうでなきゃ、二人に捨てられてしまうぞ。それから、パーマ! さっきから黙ってるが、なにか質問はない    のか?」 パーマ「それがよ・・・分かんねぇところばっかりでよ。どうすりゃいいのか、分かんねぇ!」 面堂「きっぱり言い切るんじゃないよ・・・。」  面堂はがっくりと肩を落として、溜め息混じりにつぶやく。  顔を上げて辺りに目配せすると、愛刀を床にガツンと突き立てた。がらんとした放課後の教室に、五人ばかりの男子生徒が残って、物理 の教科書とノートを睨んでる。俺とパーマとメガネ達だ。 面堂「それで、他の三人は、質問はないのか? なければ先に進むぞ。ここまでして追試を受ける羽目になっても、泣きつくなよ。」 チビ「そんなぁ。何を聞いたらいいのか分かんないんだよぉ〜〜。」  パーマの隣の席に座っていたチビが、情けない声をあげた。  これは、放課後の自主的な勉強だ。  俺たち、成績のよろしくないメンツが揃って、放課後に机を突き合せて勉強してる。  一人だけ抜きん出て頭のいいヤツが、みんなの相談にのってる・・・そんな状態だ。もちろん、頭のいいヤツってのは面堂のことだ。  みんな、大学受験を控えていて、自分の成績の悪さからケツに火がついて、最後の望みの綱の面堂に泣きついたのだ。面堂は普段、爪を 隠してるけど先生より頭がいいくらいなんだ。  俺は窓の外を見た。  透き通ってどこまでも真っ青な空を、白い飛行機雲が横切って伸びていく。  もう少ししたら梅雨だってのが嘘のように、夏がすぐそこまできてる予感がした。  勉強に身が入ってないのは、認める。  でも、二人の事が気になるのは、しようがないじゃないか。いつも一緒にいる家族みたいな二人。誰よりも身近な他人同士。 面堂「・・・諸星、物思いにふけるのもいいけど、ひとつ忠告しとく。」  面堂が物差しで俺の額をピシっと弾く。 面堂「唯さんは、貴様が考えてる以上に、貴様のことなんか気にしてない。ラムさんだって、今は受験の事とかでいっぱいいっぱいみたい    だし、彼女達には彼女達の時間と、事情があるんだ。」  俺はズキッとした。  二人は俺のこと、迷惑に感じてるのか?  なんとなく避けられてるって状態はうんざりだ。直接、二人にぶつかってみようか。  その夜、別々の食事を終えた後、唯は自分の部屋に引きこもってしまった。ラムは学校から直接UFOに行ってしまった。今夜も降りて こない・・・かな?  UFOまでは行けないけど、とりあえず、俺はお茶の準備をして、唯の部屋の扉を叩いた。 唯「ああ・・・あたるさん。いいわよ。急ぎの仕事があってさ・・・ちょっと休憩しようと思ったところ。」  部屋着に薄手のセーターを羽織った唯が、嫌な顔もせずドアを開けてくれた。 あたる「お茶の用意したんだけど・・・どうだい?」  机の上には、マグカップが湯気を立てていた。 唯「あれはインスタントのコーンポタージュよ。ありがとう、お茶も飲みたいと思ってたんだ。」  唯はくらくらするような、人を魅了する罪な笑顔になる。途端に俺の動悸は速くなり、胸が苦しくなってくる。  ずっと唯の笑顔を見つめていたい。だけど、見ているとだんだん、身体が熱くなって胸がドキドキして、苦しくなるから・・・どうした らいいだろう。  前に入ったときより、机のフォトスタンドが、一つ増えていた。アルミ製で可愛らしいハート模様のスタンドで、ディズニーのキャラク ターの絵ハガキが飾ってある。 唯「これね、妹からのハガキなの。」  唯はフォトスタンドに入れていたハガキを大事そうに両手で持って、俺に渡した。  いつ届いたんだろう。宛名は鉛筆で、ローマ字で書かれてる。  MISS YUI INOSE ・・・・・・TOMOBIKI NERIMA TOKYO JAPAN.  文面は日本語だった。女の子らしい文字で、  『おねえちゃん、おげんきですか? わたしもげんきです。   あたらしいおともだちもいっぱいできました。たのしいけど、さびしいです。   おねえちゃんにあいたいな。                                     姫』  と、綴られていた。 あたる「唯ちゃんの妹は、小学校二年生だったっけ?」 唯「ええ、二年生になったばかり。姫ったら、すっごいやんちゃだったの。まるで男の子みたいで、いっつも泥だらけだったなぁ。フロリ   ダじゃ少しおとなしくなったって、両親からの手紙には書いてあったわ。」  唯は遠くを見る目をした。憂いをたたえた眼差しは、初めて会ったときの、戸惑いと不安に包まれていた、切ない表情。  不謹慎かもしれないけど・・・そんな時の唯は、とても綺麗だ。 あたる「ちょっと気になってたんだけど、唯ちゃん、何か悩み事があるんじゃないの?」 唯「・・・え、どうして?」  唯は首をかしげて、ニコッて笑った。  でもそれはいつものような、こっちまでうきうきしてくるくらいの明るい笑顔じゃなく、どこか寂しげな影のある微笑みだった。 あたる「どうしてって・・・。」 唯「そんなこと、気にしないでいいのに。あたるさんは、今それどころじゃないでしょう?」  唯は黒く澄んだ大きな瞳で、俺をじっと見つめた。 唯「大事な試験が控えてるんでしょ? 三年生なんだし、もう受験はすぐそこよ。私が元気ないように思えるのは、仕事のせいでしょ。今は   本腰入れて仕事に打ち込まなきゃいけないし、今月末には沙織ちゃんとダブルスで、テニスの試合もあるし。今、心残りのないように   やっておかなくっちゃね。」 あたる「あの、沙織ちゃんが、唯ちゃんは秋の選考に上ればフロリダに行くって。」  唯は顔を上げ、毅然とした表情で俺を見た。 唯「人のことなんか気にしないで。あたるさんには、自分の事を第一に考えててほしいの。」  それって、どういう意味なんだ?  なんかごちゃごちゃして、何から考えたらいいのか、分からない。  一番大事なことから始めろって、サクラ先生も言っていた。  でも、俺の一番大切なことって? 将来の夢? 進路の選択?  ・・・俺、何がしたいんだろう。  唯や沙織ちゃんみたいに憧れの職業とかがあるでもなし、面堂みたいに頭がよくもない。パーマやメガネみたいな行動派でもない。  俺の夢は・・・なんだ?  単純で馬鹿で、なんとなく俺にも入れる大学にいけばいいなんて、子供みたいな考えしかなかった。そんな自分が恥ずかしくなった。  他人の心配なんて、十年早いな・・。 あたる「分かった。部屋に戻って、自分の事をするとしよう。邪魔したね。」  俺が立ち上がった時、唯は一瞬、すがるような眼差しをした。  だが、それはすぐに消えて、本心を隠したやさしい微笑みがとってかわった。  信用してくれてるんじゃなかったのか・・?  俺は彼女の悩みを打ち明けてもらえないくらい、頼りなく思われてるのか。それとも年下だからかな・・。  なんか、悔しかった。                              *  中間テストは終わった。  試験期間中、学校は早く終わる。  俺とラムは学校帰りに駅前のスーパーに寄った。母さんに、夕飯の材料を買ってくるようにと頼まれたからだ。  人参、ジャガイモ、玉葱、豚肉・・・今夜はカレーだな。  家に着いたけど、唯はまだ帰ってない。  母さんがパタパタと小走りで廊下をやってくると、俺の顔を見るより早く、 母「あっ、あたる、帰ってたの。ついさっき、あんたに女の子から電話があったわよ。」 あたる「なにっ! 女の子って、誰から?!」 ラム「むぅー・・。ダーリンっ。」  途端に顔色が変わるラム。最近、ちょっとした事で機嫌が悪くなるから困るよなぁ。 母「このメモの所に電話ちょうだいって。なにか急用みたいだったわよ。名前も言わずに切られちゃったんだけど・・。」  そう言うと、母さんはエプロンのポケットから出したメモを俺に渡して、買い物袋を受け取ったら、パタパタと台所に行っちまった。 あたる「え・・と、番号は・・・○○○○-○○○○ か。」  俺は言われるがまま、メモにあった番号に電話をかけてみた。 あたる「あ、もしもし、あの、諸星あたるっていいます。なんか電話を頂いたみたいで・・。」 「あたるくん! やだーっ、なによそいきの声出してるのよ。わたし、沙織!」 あたる「沙織ちゃん? なぁんだ、驚くじゃなぁい。」 ラム「なぁんだ、沙織だったのけ?」  熱くなりすぎてバチバチと放電しまくってたラムは、電話相手が沙織ちゃんだと分かったら、急に冷めてしまったみたいだ。 沙織「なにか誤解させちゃったかな・・。ごめん、ごめん。・・・さっそく電話してくれたのね。ありがとう。ちょっと聞いていいかな?    ねぇ、唯、どうしてる?」 あたる「どうって・・?」  ラムにも話しを振ってみたけど、やっぱり「?」って顔してる。 あたる「まだ仕事から戻ってないよ。」 沙織「仕事?! あの娘、仕事に行くって出かけたの?」  沙織ちゃんが電話の向こうで大声をあげた。 あたる「・・・? なにかあったんですか?」 沙織「唯ったら、今日は仕事に来てないのよ! わたし、同じ仕事場で、テニスサークルだもん。どっちにも顔出してないのよ。休みの届け    も出てないし・・・・変だと思ったの。」 あたる「なんだって、そんな馬鹿な!?」 ラム「どうしたっちゃ? 唯がどうかしたっちゃ?!」  隣に居たラムが、すごく心配そうに声を震わせた。  俺はラムに「まぁ待て。」って具合に手で合図する。 沙織「う・・うん。・・・あちゃー、ちょーっとまずったかなぁ。」 あたる「あの、沙織ちゃん。唯ちゃんのこと、何か心あたり無い? 最近元気ないみたいで、気になっててさぁ。でも、俺には何も話してく     れないんだ。」 ラム「それ、ウチも気になってたんだっちゃ。唯、最近つれないっちゃよ。」  やっぱり、唯の異変に気付いてたのは、俺だけじゃなかったか。 沙織「それが、わたしもよく分からないのよ・・・・家族のことかな・・・・それか、アレかな・・。」  沙織ちゃんはふと考え込むように、言葉をとぎらせた。 あたる「えっ?」 沙織「ううん、実はね・・・・あの娘が憧れてた、同じ職場の先輩がいたの。今年の春、転勤が決まって引っ越したんだけど、時々職場と    かサークルに顔出してくれてた。あっ、もちろん、唯と先輩が付き合ってたとか、そういうんじゃなくて。唯って結構ぽーっとして    て奥手だから、顔を見てるだけで満足してたみたい。それが、今月に入ってからぱったりと、先輩の足が遠のいちゃったの。でも、    どうかなぁ、そのせいっていうのもちょっと納得いかないんだけどね。私も、最近あの娘が暗いからどうしたのかと思って・・・・    しつこく聞いて、怒らせちゃったの・・・・でねあたるくん、聞いてる?」 あたる「あ、ああ。その人、先輩はなんていう名前なの?」  俺はおもいのほかショックだった。その後は何を話したのか、よく覚えていないのだ。『先輩』の名前も聞いたけど、思い出せない。 ラムにも沙織ちゃんとのやりとりを説明したんだけど、ちゃんと説明になってるか分からない始末だ。  唯には、好きな人がいたのだ。  片思いだとしても、唯が勇気を出して告白していれば、うまくいかないわけない。相手に決まった彼女がいれば別だろうけど。 ラム「唯、かわいそうだっちゃ・・。」 あたる「・・・うん・・。」  なんでか、俺はすっかり落ち込んでしまった。  だけど・・・・とにかくなにかするんだ。俺は馬鹿だから、いくら考えたところでネガティブになっちゃうだけだ。  着替える間も惜しんで、街に飛び出した。もちろんラムも一緒だ。  唯はこの街が好きだと言っていた。お気に入りのスポットを片っ端に当たるのだ。  まず最初は、友引公園。  唯が家に来たばかりの時は、ここには満開の桜が咲きそろっていた。  「夜桜ってのもなかなかオツなもんじゃござんせんか。」って言って、唯を連れ出して桜を見たっけ。今では柔らかな若葉がぎっしりと 生い茂っている。  公園の奥のイチョウ並木も、緑の葉に覆われている。そこにあるベンチに座って本を読むのも、結構好きっぽいからと思って行ってみた けど、そこに唯はいない。  遊歩道を行くと、友引町を見渡せるくらい景色のいい場所がある。そこは階段になってて、たまに学校帰りに三人で待ち合わせに使う所 だ。唯が指定してくるほどの場所だから、きっとそこだろうと思って期待するけど、やっぱり唯はいなかった。  駅に向かう商店街を歩いてみる。  いつも三人で軽く腹ごしらえするお好み焼き屋、なかなかお洒落な喫茶店。このあたりでぶらついて時間を潰すなら苦労はしないだろう けど・・・。それとも、新宿とか渋谷に出たとか?  可愛い娘は街にいっぱいいるだろうけど、唯なら目立つ。必ず、スカウトとかヤクザか変な輩のヤツに目ぇつけられる。唯はしっかりし てそうだけど、ヘンなトコでうぶだったりするから、マジでやばいかも。  こいつは危険だ!  俺たちは家に取って返した。  繁華街だとすると、あてもないのにむやみに出かけても、どうしようもない。  どこにいるのか分かれば、すぐに飛んでいくのに。  こんな事考えたくないけど、もし何かあったら、電話がかかってくるかもしれない・・・・俺たちはずっと電話の側から離れなかった。  仕事にも行かないで、唯が時間を潰しに立ち寄りそうな場所なんて、見当もつかない。  じりじりする時間が流れていく。  俺とラムは無言のまま、電話とにらめっこしていた。そして、しびれをきらしていた時だ。  ジリリリリリン・・・。  電話が鳴った。あわてて、俺は受話器を取った。  隣にいるラムが、すがる様な目で俺に目配せする。ホントに唯のことが心配みたいだ。  ごくっと唾を飲んで、 あたる「はいっ、諸星です! もしもし・・・?」  ・・・・ハァ・・ハァ・・ハァ・・・。 あたる「・・・もしもし? あのぉ・・。」  ハッ・・ハッ・・ハァ・・・。  荒い息づかいだけが聞こえる。  これってさー、もしかして・・・変態電話?  唯だと思ってあわてて電話とったのにっ! ムカついて電話を叩き切ってやろうとしたとき、誰かが電話に出た。 「あっ、もしもし、すんません! うちの犬が電話機のオンフックのボタン押しちゃって! なんかこいつ遊んでたら、お宅につながっちゃ ったみたいなんス。」  受話器から、すっごく聞き覚えのある声が聞こえてきた。 あたる「パーマじゃないか! さっきのは、おまえんちの犬か?」 パーマ「あらっ、なぁんだあたるか。そうか、うちのタロウ、おまえんちの電話登録しておいた短縮ボタン押したんだなぁ。たまには、     そんなコトもあるって。悪かったな! じゃなっ。」  勝手に言い立てて、パーマは電話を切った。  なんでパーマなんだよ・・・しかも犬って・・。  おれはがっくりした。  じりじりして、もうじっとしてられなくなって、立ち上がって電話の前をウロウロする。同じところを数回往復して、また座る。  イライラがつのって、我慢が限界に近づいたときだ。 母「あんたたち、夕飯できたわよ。お父さん残業で遅くなるみたいだから、先に食べちゃいなさい。」  もう、夕飯の時間になっちまったじゃないか・・。  茶の間に行こうとしたけど、ラムのすごく心配してる表情を見たら・・、やっぱり夕飯どころじゃないよなぁ。 あたる「いや、もう少しだけ、唯ちゃんを待ってみるよ。」 母「あ、そう・・。じゃあ、母さん、先に食べちゃうわよ。唯ちゃん、今日は遅いわねぇ・・。」  そう言うと、母さんは茶の間に行ってしまった。 ラム「唯のバカ・・。いったい何時だと思ってるっちゃ・・。」  実際はそれほど夜遅いってわけでもなかった。いつも唯が早いから、余計に待ってる時間が長く感じてしまうんだろう。  いつまでたっても電話はなさそうだから、俺たちは茶の間に移動した。ふと時計に目をやると10時をまわったところ。  待ちくたびれていたころ、玄関でドアを開ける音がした。 あたる・ラム「!!」  俺たちは顔を見合わせた。  茶の間から駆け出して、玄関に向かうと、 父「ただいま。」 あたる「なぁんだ父さんか・・。」 ラム「お父様・・。お帰りなさいだっちゃ・・。」  はぁ・・、溜め息が口からもれる。 父「な、なんですっ?! なにか不満でもあるのですかっ?!」  父さんも帰ってすぐ、夕飯を済ませて、お風呂に入った。  母さんは、もう寝ちゃったのかな・・?                              *  11時過ぎになって、バイクのエンジン音が庭先に響いた。  バイクの音が止まってしばらくすると、玄関のドアを開ける音がした。 唯「あっ、あの・・・た・・ただい、ま。」  唯がそうっと入ってきた。  玄関を上がろうともせず、しゅーんとしているから、俺たちは向かえに出た。 あたる「・・・お帰り。」 ラム「唯っ、こんな時間まで・・!」  頭ごなしに怒鳴りつけようとするラムを、俺は手で合図して制した。  俺だって、心底、あれもこれも言ってやりたい気持ちだ。だけど、身を縮めて情けない表情をしている唯を見たら、どうでもよくなって しまった。 唯「あ・・・、いい匂いがする。」  唯の顔がパアッと明るくなった。  何か深刻な事で遅くなったわけではなさそうだ。安心して気が抜けた途端、とってかわって今度は怒りが込みあがってきた。 あたる「こらっ! あ、いい匂いがする、じゃないだろっ。唯ちゃんが帰ってくるのを待ってたんだぞ。」 ラム「そうだっちゃ! ウチら唯と一緒にご飯食べたいから、今までずぅぅーーっと待ってたんだっちゃよっ。」 唯「あ・・ありがとう・・。ごめんなさい〜。」 あたる「いいから、あがんなよ。」  唯が靴を脱ぐまで待って、ラムが唯の手をつかまえて台所に引っ張ってきた。 唯「あ・・あの・・ね、わたし・・。」  言いかけた時、唯のお腹が、ぐぅ、と大きく鳴った。 ラム「おなか、減ったっちゃね。」  唯は黙ってうなずいた。 あたる「早く着替えて、手を洗ってきたら。言い訳はいいから。」 唯「うんっ。」  唯はなんだか嬉しそうだった。トントンと軽快に階段を上がっていく。  いいことでもあったのかな?  まさか、先輩とデートとか? 大人のデートって言ったら、食事してカラオケボックスとか行って、密室をいいことにあんなことやこんな ことしたりして、それから、それからぁ・・っっ!  妄想は底無しにエスレートしていく。 あたる「そ、それはないか・・・唯ちゃんはいつもと変わらないし、腹減ってるみたいだし。」 ラム「なにブツブツ言ってるっちゃ、ダーリン?」  あらっ、やばい。また考えてるコトが口に出てしまった。どの辺から言ってただろう・・。  冷や汗を手で拭いきったときだった。 唯「あたるさん、お腹すいた!」  子供みたいに、唯が階段を弾んで下りてきた。台所に来ると、俺の向かいの席にちょこんと座る。  俺はすぐに笑顔になったりするのは悔しいから、こらえて、無表情を装った。  ラムが湯気の立つなべから、ちょっと多めによそったご飯にたっぷりとカレーをかけた。 唯「うわー、おいしそうっ! いただきまーすっ!」  外で何も食べなかったのかな? 唯は『無我夢中』って具合に顔も上げずに、一生懸命になってカレーを食べた。 唯「おかわり、してもいい?」 あたる「うむ! ま、いいだろっ。」  ラムが唯からお皿を受け取ると、2杯目をよそる。  その2杯目のカレーライスをニコニコしながら口に運んでいた唯が、食べながら、ふと、ホロッと涙をこぼした。自分でも、どうして涙 が出てくるのか不思議そうに、涙を拭った。  ぽろ・・ぽろ・・・。  涙はとめどなく溢れ出て、唯の頬をつたって落ていく。 ラム「唯・・、どうかしたっちゃ?」 唯「・・・・おいしい。あたたかくて、とってもおいしい・・・・安心したの、そうしたら、急に、なんだか・・・私って・・。」  俺はティッシュ箱を手渡した。  唯はぽろぽろ涙しながら、カレーを食べた。食べては、目もとをティッシュで押さえた。それから、また食べた。  その夜、俺たちは唯に何も聞かなかった。  問いただしたらよかったのか?  でも、あてもなく、夜の街を歩く唯の姿が浮かんでくる。  タチの悪いオヤジとかニイチャンが声をかけてきたのかもしれない。きっと怖かっただろうな。  だけど、ただ歩いていたかっただけじゃないのか・・・。なんとなく、そんな気がした。 唯「あたるさん、ラムさんも、とってもあったかい。」  2杯目のおかわりを食べ終えた唯が、手の甲で目もとを拭ってつぶやいた。 唯「このカレー、好き。きっと一生忘れない。」 あたる「そんなに?」 唯「うん。大好き。・・・私にはマネできないや。」  涙のにじんだ目で、唯はくすっと笑った。 ラム「唯、そんな事言ったら、ウチの立場はどうなるっちゃ。」  俺たちは、真面目くさった顔を見合わせた。そして、誰からともなく、ぷーっと吹き出した。 ラム「ウチ、お料理をもっと頑張って、レストランのシェフになろっかな。」 あたる「あ、ラムはやめといたほうがいい。俺がなってやるよ、シェフ。料理の勉強して唯ちゃんをあっと言わせてやる。ほら、女子栄養     料理科大学ってあるでしょ。」 唯「でも、そこは女子校よ。あたるさん。」 あたる「そうか、そうだよな。女子だもんなっ。」  みんなちょっとキテた。ちょっとしたたわいもない事で、俺たちは笑い転げた。  だけど、唯はいったい何を考えているのか、悩みはなんなのか・・・俺はそのことが引っかかって、頭から離れなかった。                              *  翌日、唯は、遊歩道の途中にある、友引町を見渡せる階段に座って、ぼーっと景色を眺めてた。  俺がチャンスを待って、じりじりと接近しているとも知らずに。 唯「・・ラムさん・・・なんで、そんなに強くいられるの・・。」  ポツリとつぶやくと俯いてしまった。すぐ背後まで迫ってた俺は、一瞬、声のかけるタイミングを失った感じがした。  唯のつぶやいたセリフは、核心に近づいてる気がしたからだ。  でも、ここは声をかけるしかない・・。でもぱーっと頭の中が真っ白になって、出てくる言葉がなくて、 あたる「こらぁーーっ、唯ぃーーっ!!」 唯「キャーーーーーアッ!!」  唯ときたら、お風呂を覗かれたときよりすごい悲鳴をあげて、あわてて振り返った。 唯「あっ、あたるさん?! なぁんで、こんな時間にこんなところにいるのおっ! 平日よ、今日っ!」 あたる「ばかやろっ! そいつはこっちのセリフだっ。唯ちゃんこそ、なぁんで今頃、こんなところにいるんだよっ!」 唯「あ、あの、それはね、有給を取ったの。そう、今日は私お休みなのよ。」  唯のヤツ、今更だっていうのに、この期に及んで、年上のプライドを取り繕う。 あたる「ふぅーん。今朝は『仕事に行ってきます』って言って出かけたのに?」 唯「えっ・・・そ、そうねぇ、ええと・・。」  あせって必死に考えをめぐらす様子が可愛くて、俺はもう我慢できなくなって、笑い出してしまった。 唯「なっ、なによ、何も笑うことないじゃない。」  唇を尖らせて、頬を膨らませても、唯はやっぱり可愛い。 あたる「だって俺、見てたんだよ。朝からずっと。」 唯「ええーっ?! 嘘っマジぃ!」 あたる「ホントだよ。言ってみようか。仕事場に行く時に通る交差点を、仕事に行くときは右折するけど、逆に左折しただろう。駅前の駐     車場にバイクを止めて、駅前の商店街をぶらついて、アジアン雑貨の店に寄って、百円均一で歯ブラシを買って、近くの喫茶店に     入ったよね。結構落ち着けるところだよね、あの喫茶店。それからアクセサリーを見に行って、それから駅前の本屋まで戻った。     そのあとは、またバイクで走って、んで、最後はこの場所に来た。」 唯「なんでそこまで詳しく知ってるの?!」 あたる「今朝、家を出るときからずっとマークしてたんだ。流石にバイクには追いつけないから、ラムからコイツを貸してもらったんだ。     唯ちゃん、ぜんぜん気付かないんだもんな、楽しかったよ。」  ポケットから携帯発信機を取り出して、唯に見せた。 唯「これって・・・発信機? いったい、どうゆうことぉ。」  唯は大きな目を見開いて、パチクリと瞬かせた。 唯「あたるさん。そういえばあなた、学校はどうしたの?」 あたる「今頃気付いた? 大丈夫、ラムにまかせてある。夕べ、電気が暴走して家が壊れちゃったから、後片付けしなきゃならないから休む     って。」 唯「そんな無茶苦茶な話し聞いた事ないわ、ラムさんに嘘をつかせたのね・・。」  唯は疑わしそうに、俺を上目遣いで見上げた。可愛い女の子がやると、こういう表情もまたゾクゾクしちゃうんだよなぁ。 あたる「それはね、マジで起こるからさ、ウチの場合。」  いたずらっ気を出して唯に目配せすると、唯はぷいっとそっぽを向いた。 あたる「唯ちゃんこそ今日が初めてじゃないだろ、仕事サボるの。くせになっちゃうよ。昨日の夜は、新宿か渋谷辺りをふらふらして、怖     い思いしたんだろう?」 唯「・・・池袋だもん。」  俯いた唯が、ぽそっと言った。  声が、震えていた。  俺はなんとなく、彼女に手を差し伸べた。  その差し伸べた手をすり抜け、唯は俺に飛びついてきた。  両手で俺のシャツを掴んで、必死に泣くのをこらえてるみたいに肩を震わせている。  柔らかい頬が触れる。肩の辺りが、俺にぶつかる。  そっと、両手で唯の肩を抱く。  その手には、唯の鼓動。響いてくるのは、激しく揺れる・・・彼女の心。  唯のぬくもり。サラサラな亜麻色の髪からいい香りがして・・・。  俺はもう爆発してしまいそうなくらい心臓が早鐘を打って、手が震えて。 あたる「(ああっ、こんなチャンスはもう無いだろうなぁ。)」  ケダモノになりそうだ。でも、なんでかな・・・あまり煩悩が働かない。  きっと、パニックになってて、煩悩が萎縮しちゃってんだろうな。  しばらく、そのままでいた。  そして急に、唯は叫んだ。 唯「あっ・・・ごめんなさいっ!?」  おれがどうにも反応できないでいるうちに、唯は我に返った。みるみる頬を真っ赤にして、離れていってしまった。  そして、唯は両手で顔を隠して、泣き出してしまった。  最初は声も立てずに・・・しだいに、堰を切ったように涙が溢れ出す。  俺は、あんまり泣いたことないから・・・こんな時の女の子の気持ちなんて、よく分からなかった。ただ見つめているだけで、どうして やったらいいのか。そっと、肩に手を置いた。細い肩も背中も震えている。  俺はずっと唯の肩を抱いていた。  やがて、泣き疲れた唯は、放心したように、階段に腰を下ろした。  俺は近くにあった自動販売機でウーロン茶を2本買って、唯の隣に座った。 あたる「コレ飲んで、気分変えて・・さ。」  ウーロン茶を手渡すけど、唯は飲もうとはしなくて、目を伏せて、ぽつりとこぼした。 唯「私、急に寂しくなったの。・・・今まで、あたるさんやラムさんとの新しい生活に慣れるのに一生懸命だった。それに少し馴染めてき   た頃に、家族の手紙を見たら・・・なんだか急に。私は、この日本でたった一人なんだなって。気を悪くしないでね、家族と・・肉親   と離れてるんだって意味よ。すごく寂しくて・・・今思うと、いろいろ重なったのかも。沙織ちゃんともちょっと口喧嘩しちゃって。   春には親切にしてくれた先輩が転勤になっちゃったし、仕事でも、プレッシャーが大きくて。」 あたる「・・・・・」 唯「自分のことさえ、自分で分からなくなってた。ただ寂しくて、でも誰かに話すのも嫌だった。ごめんね・・・。私、この世でたったひ   とりみたいに思い込んでた。」 あたる「唯ちゃん・・・。」 唯「馬鹿だよね、私。ひとりじゃなかったのにね。こんなに近くに、あなたやラムさんはいたのに。」  顔を上げて唯は、潤んだ瞳を俺に向けた。  俺の手にウーロン茶の缶がなかったら、唯の手をぎゅっと握りしめていただろう。 唯「・・・えへっ!」  彼女はニコッと笑った。  それは無邪気な子供のようだった。ひさしぶりに見る、唯の心からの明るい笑顔だった。そうだ、唯ちゃんはこうでなきゃ。                              *  気がついたら、日は西に傾いて、街は黄金色の光に覆われて、あたたかい景色に変わっていた。  俺はあまり気が乗らなかったんだけど、唯がバイクに乗せてくれるって言うから、二人乗りして帰った。  意外にも、唯らしくない大人しい運転だった。とは言っても、普通からすると、全然ありえない時間で着いちゃったけどね。  唯が庭にバイクを置いてくるのを、玄関前で待って、俺たちは玄関の扉を開けた。 唯「ただいまぁーっ!」  唯の元気いっぱいの「ただいま」が玄関に木霊する。  玄関先では、ラムが、俺たちの帰りを待っていたように、 ラム「おかえりーーっ! だっちゃ♪」  ラムと唯は、笑顔で顔をあわせた。 ラム「早くあがって、手を洗うっちゃ。もうすぐ夕飯だっちゃよ。」 唯「うんっ。」  玄関をあがって、洗面所に向かう時、唯は足を止めて振り返った。 唯「ありがとう、あたるさん、ラムさん。私の為に・・・いろいろ心配してくれたのね。私ひとりで浸ってて、気付かなかったんだわ。」  しんみりとした口調で、唯は俺とラムを交互に見つめた。 唯「本当にありがとう!」  ラムはどうか分かんないけど、俺は、なんだか胸がつまって、何もしゃべれなかった。  うまい言葉なんて、そうそう出てくるもんじゃないよね。 エンディングテーマ:BEGIN THE 綺麗                                              第六話『心と心は・・・。』・・・完