時は夢のように・・・。  第七話『滅びの序曲。』  後で聞いた事だけど、その日の天気は、朝からひどいものだったらしい。  夕暮れ・・・ひどい土砂降りの中、俺は大きなバックを雨避け代わりに、家に向かって走っていた。南からやってきた大型の台風が、太 平洋に逸れる気配も見せず、ダイレクトに関東を直撃したのだ。  おりしも6月も半ば終わった頃の・・・梅雨も真っ只中の事だった。  玄関の前に着くと、俺はバックを落とし、両肩の水滴を払いのけた。濡れてるってモンじゃない。シャツもジーンズも、絞り出せるくら い、雨水を吸ってる。しかもこの暑さ・・・まるで街がサウナになってるみたいだ。  空を見上げてみると、空は暗く澱んでいた。この分だと、雨は当分やみそうにない。  一呼吸して、俺はドアに鍵を突っ込んだ。  回すといつも通りガチャっという音が聞こえたので、ノブを引っ張った。  ビクともしなかった。 あたる「あ、あれっ?」  俺は焦った。なんせこの数日、留守にしていたのだ。鍵の手応えはあった・・・ってことは、開けっ放しで出かけていた事になる。  泥棒が入ったとして・・・何日も居座るとは思えないが、用心にこしたことはない。俺は鍵を開けなおすと、ゆっくりノブを引いた。  ふー・・。落ち着け、諸星あたる、18歳。もう高3なんだぞ。  俺は息をひそめて、静かにドアを引いていった。  後ろで稲妻がほとばしり、引き延ばされた俺の影が、土間のタイルに張りついた。  振り返るまでもない、ただの雷だったんだが・・・。 「キャーーッッ!!」  直後に絹を引き裂くような悲鳴が続いたので、俺は尻餅をついた。情けないけど・・・腰を抜かしてしまったのだ。声は、玄関の奥から 上がった。  な、なんだぁ!? ウソだろ、ホントに誰かいるぞ!!  さらにそこで、もう一度ピカッ…稲妻の光が玄関に差し込んだ。  おかげで、侵入者の姿が、ハッキリとわかった。 「やーん! もうやァだ!」  ベージュのTシャツの上から水色のエプロンをつけた女の子が、両耳を押さえて、俺の目の前でうずくまってる。右手に持ってるのは ・・・あれは“おたま”だ。  あぁん!? あたる「ゆ、唯ちゃんじゃないか!?」 唯「あたるさん、閉めて閉めて! ドア閉めてってばぁっ!」  しっかり片耳を押さえたまま、おたまをふりふり、唯は叫んだ。顔は真っ青。  床で打った腰がズキズキするけど、そんなこと気にしてる場合じゃない。ワケがわからなかったが、とにかく立ち上がって、俺はドアを 閉めた。  電気がついてなかったので、玄関は薄暗くなったものの、強い雨脚の音が少し和らいだ。唯は、ほっ、と息をつくと、その場にフニャフ ニャ。 あたる「どうしたの、大丈夫?」  こう訊くと、青かった顔が、急にカーッと赤くなった。 唯「えっ、ええ。ごめんなさい、もう平気だから。」  顔を背けると、しおしおした動作で、唯は身体を起こした。こんな姿をみせてしまって恥ずかしい・・・顔がそう言っている。  ところが不思議なことは、そこから起こった。次の瞬間、彼女は弾かれたように、俺の方を振り向くと、両手でグッとおたまを握りしめ て、 唯「それより・・・どうだったの、お仕事の方は?」 あたる「はぁ?」  漆黒の宝石みたいな瞳に見つめられ、俺は眉をひそめた。  仕事だって? 仕事で出張してたのは唯だろ? しかもその事情を、俺に訊いてどうする? そもそも、いつ帰ったんだ?  むむむ、やばいぞ、出張の疲れで、唯の神経がおかしくなったんじゃ・・・。  なんて、俺が勝手な結論を出しかけた矢先、 唯「どうだったの? あの後、おじ様が出張で行ってる北海道の事務所まで書類届けて、ちゃんと間に合った?」  すごく真剣な眼差しで、唯が言った。  脳みそを、記憶がほとばしった。  そうだそうだ、忘れてた。  それが我が家を一週間も留守にしていた理由だったんだ。一週間前、父さんが仕事の都合で北海道に半月程の出張になったのだ。出張先 が北海道ってこともあって、観光気分で母さんも一緒にくっついて行っちゃったんだけど、翌日の朝、父さんから電話があって、「極秘緊 急書類を忘れたから大至急持って来い。間に合わないと首を吊るしかない・・・。」その電話を受けた俺は、唯ちゃんにバイクで羽田まで 送ってもらって、飛行機で北海道へ向かって・・・!  ラムも、一緒についてくはずだったんだけど、急にラムの父から連絡が入った為に、母星に一時帰ることになってしまった。だもんで、 結局俺が一人で行くことになったんだけど・・・はぁ・・。 あたる「ああ・・・あれね。」  俺は土間に腰かけると、スニーカーを脱いだ。  唯も膝を折ると、俺の顔を覗き込む。 唯「間に合わなかったの? まさか・・・最悪な状況に?」 あたる「いいんだよ、あんなクソ親父。ホントに首つって・・・。」  俺が毒づくと、隣で、カラーン、と音がした。  床の上で、おたまが転がっている。唯が取り落としたのだ。 唯「く・・・首吊った?」  今度こそ、本当に真っ青な顔で、唯。  総毛立ったのは、逆に俺の方だった。 あたる「ち、違う違う! 首吊ってくれりゃいいのになー、って言おうとしたんだ! 死んでなんかいない! なんせ父さん、俺をさんざ急か     した書類を自分で持ってたんだからな!」  俺は立ち上がってわめいた。  唯は、綺麗な顔に困惑の表情をのせて、こっちを見つめたままだ。 あたる「だから・・・その・・・間違いだったんだよ。父さんの勘違いだったんだ。」 唯「・・・ど、とういうこと?」 あたる「つまり、はじめから自分で持って行ってたってコト。」  俺は溜め息をついて、続けた。 あたる「父さんさ、会社に到着してすぐに、大切な書類だからって金庫にしまったんだよ。ところが次の日だよ・・・あんな親父だろ?     自分が金庫にしまったコトすっかり忘れてさ。家に忘れたと思い込んで、俺に持って来てくれって泣きついてきたんだよ。でも、     俺が持ってった封筒をみたら思い出したみたいでさ、金庫の中から出してきて、『あったあった』って喜んでたよ。怒りや呆れ     を通り越して、涙が出たね。ああ、なんでこんなバカタレと血が繋がってんだろ、って感じでさ。」  情けない・・・。俺は頭をかいた。  無言のまま、茫然と俺を見つめていた唯だが、 唯「よ・・良かったじゃない。おじ様。」  やっとそれだけ呟くと、呆れとも安堵ともとれる表情を浮かべた。マンガみたいな出来事を受け止めかねているのだろう。 あたる「心配かけたかな・・? ごめん。ホラ、俺の父さんって結構ノリで生きてるところがあるから。」 唯「ううん、い、いいのよ。そのおかげで、私もここにいれるわけだし・・・。」 あたる「そ、そうかな? あははははーっ。」 唯「そ、そうよ。大事なくてよかったじゃない。」  と無理に微笑んでみせる彼女だったが、その顔は、少し引き攣っていた。  父さんの責任とはいえ、バツが悪かったので、俺も笑って誤魔化した。  直後に起るトラブルなど知る由もなく、俺は笑い転げた。 あたる「うはははは・・・はは! そ、そうかぁ! 人間ノリだよなぁ!」                               *  玄関を上がると、なにやらいい匂いが鼻先を通り過ぎていった。唯が既に夕飯を作っていてくれたのだ。  夕飯は、唯のお手製のビーフシチューだった。  シャワーを浴びてスッキリした俺は、脱衣所を一歩出たところで、ビーフシチューのいい匂いに釣られた。  匂いに引かれて茶の間までやってくると、唯がビーフシチューを取り分けているところだった。  俺たちはテレビを観ながら、ビーフシチューをつっついていた。  ブラウン管の向こうでは、大阪出身の二人組みお笑い芸人が、身体を張ったギャグをブチかましてる。唯はというと、笑いを噛み殺すの に必死だったようだ。噴出すのが怖いらしくて、口のものを嚥下する時は、必ずテレビから目を離す。しかし、それでも耐えられず、たま に口を押さえては、ククク、と笑いを漏らした。  俺にとっちゃ、テレビより唯の素振りの方が笑いを誘ったんだけど・・・。 あたる「・・・でさ、唯ちゃんの出張の成果はどうだったんだい?」 唯「えっ?」  皿に突っ込んだスプーンが、一瞬、ビクッと止まり、唯は顔を上げた。  うわわ、一気にマジな顔になっちゃってる。  彼女は、俯き加減で、俺から目線をずらすと、 唯「う、うん・・・今度、私が担当する結婚式はちょっと厄介で・・。式場が栃木県の那須高原にある、結構有名なステンドガラス美術館   なんだ。で、新郎新婦と一緒に那須まで下見に行ったんだけど・・、新婦がね・・、私に相談があるって言うから、ちょっと聞いてあ   げたら、『この結婚・・本当は・・したくないんです・・・。』って言うの、とっても苦しくて、やっと声に出したってかんじだった   ・・。理由は、ドラマとかでよくあるお父様の会社の関係で、お見合いして・・政略結婚っていうの? 私、それを聞かされた時、すご   くショックだった。本当にそういう結婚があるのに驚いた。それにしても、自分の娘を政略結婚させるなんて、信じられない! 娘の幸   せを第一に考えるのがお父さんでしょ?! 娘さんが嫌がってるのに、それを分からない親なんて・・っ!! 新婦さんも新婦さんよ! 自   分が嫌だったらハッキリと嫌だって言えばいいのに・・。・・私・・この結婚式、最後まで担当しなきゃダメかな・・・。」  それから、ハァー、と苦悶のタメ息。  聞いてるだけで、心苦しくなってしまう。 あたる「げ、元気出してよ。唯ちゃんは一人じゃないんだから、沙織ちゃんだっているんだし。」 唯「・・・・そうね。沙織ちゃんに相談してみようかな。沙織ちゃん、頼もしいところあるし。」  唯は笑ったが、その笑顔は、弱々しいものだった。  俺は、ゴホン、と咳払いし、 あたる「えー・・・、家にはラムもいるし・・・、その・・俺もいるし・・。」 唯「?」 あたる「だからぁ、仕事を助けてあげれるワケじゃないけど・・、少なくても、家では寂しさを紛らわしてあげれるってこと。」 唯「え・・・ええっ。」  彼女の顔が、みるみるうちに、赤く染まっていく。 あたる「それに、唯ちゃんがガッカリしてたら、俺たちまで心配しちまうだろ? いつも笑っててくれとまでは言わないけど、落ち込むのは     ダメだ。」 唯「ご、ごめんなさい・・・でも・・・ありがと。」  俯いて、茹でたロブスターみたいに真っ赤になった唯。湯気が見えてきそうな照れっぷりだったけど、彼女は、すぐに顔を上げて、 唯「じゃ、じゃあね、あたるさんの話しましょ?」 あたる「はぁ? 俺の?」 唯「だってやることなかったから北海道で遊んできたって、シャワーの前に・・。」 あたる「確かにそうだけど・・・別に名所巡りしてたワケじゃないぜ? ただ、父さんの宿舎がある湧別の辺りをほっつき歩いてたってだけ     の話しで・・・。」 唯「いいから聞かせて! ねっ?」  唯は、俺の腕を引っ張ってせがんだ。  ハニカミな話題から話しを逸らしたいのかな、とも思ったけど、違うようだ。唯の瞳は、好奇心と期待で輝いている。どうやら、本気ら しい。  うーん、やっぱり女の子は不思議だ。ま、唯の場合は趣味が散歩ってところもあるから、少しは分からなくもないけど・・・それにした って、他人の旅の話しを聞いてなにが面白いんだ? 唯「ねえ、早く早く!」  と彼女は、再び腕を引っ張った。  こういう時の唯は、まるで子供だ。  ・・・仕方ないなぁ。 あたる「じゃあ、どこから話そっか?」  シチューの皿を退かすと、身を乗り出して、俺は話し始めた。  それからの唯の表情は、面白いの一言に尽きた。  最初に、俺がサロマ湖に行った話しをすると、 唯「海と繋がってるのに、透明度は高いって話しなのよね。見てみたかったなぁ。」  羨ましそうに、まず、うっとり。  次に、能取岬の先からオホーツク海を一望したぞ、と言うと、 唯「うー、いいなぁ。壮大な景色だったんでしょうねぇ。」  今度は遠い目で、吐息を漏らした。  さすがに女の子・・・パリやローマへ旅行するのが夢っていうだけあって、こっちが一言いえば、勝手に想像を巡らしてくれるから、話 しが早い。  その後も、しょーもないことで驚いたり、目を輝かせたり、笑い転げたり・・・写真集のアルバムが一冊できてしまうほどの表情を見せ てくれた唯だったが、牧場で目の当たりにしたキタキツネの親子の話をすると、細眉をハの字に曲げて、俺をなじった。 唯「えーっ!? やだやだ、どうして写真撮ってくれなかったのっ!?」  イタタタタ・・・。そうきましたか。 あたる「ホ、ホラ、別に観光目的で北海道に行ったワケじゃないんだし、俺としては暇つぶしにブラついてただけだから、写真までは・・     ・。ごめんね。」  俺は、手を合わせて、笑顔を作った。  しかし唯さまは、ソッポ向き、 唯「もうっ、男の子ってこれだからイヤだわ。沙織ちゃんだったら、写真の一枚ぐらい撮ってきてくれますっ。」 あたる「だって俺、沙織ちゃんじゃないもん。」 唯「あーっ、開き直った!」  彼女はふくれっ面で、俺を睨みつけてきた。  いかん・・。押されっぱなしは、よろしくない。 あたる「そうだ・・! 話しは変わるけどさ、さっき玄関でなにやってたんだ?」  これが、うまくいった。 唯「えっ、えっ?」  慌てて顔を逸らす唯。ちょっと鼻の辺りが赤くなった。 あたる「ホラ、俺がドアを開けると、キャーって・・・。」 唯「あっ、あれ? あれは、その・・・あれよ、あれ。」  とゴニョゴ二ョ。ただし、どことなく焦って見える。  ・・・ははーん、そういうことか。  俺はニンマリ笑い、指を一本立てると。 あたる「わかったぞ、定番って言っちゃあなんだけど・・・雷が怖いんだろ?」 唯「ま、まっさか!」  と澄ましてみせる唯だったが、額から冷や汗がひとすじ。  怪しいので、俺は身を乗り出し、まじまじと唯の瞳を見つめた。  漆黒の瞳が、揃って右側に寄った。彼女が視線をずらしたのだ。  俺は顔を近付け、唯の瞳を追った。  双眸が、今度は左に向けられた。  もっと近寄り、深追いしようとする俺だったが、 唯「もうっ、なぁに!? 恥ずかしいじゃない!」  天井に向かって唯がわめいたので、仕方なく体を戻した。  くっそー、ここでゴロゴロっとくれば・・・。  このセコい願いが、神に通じたらしい。  突然、遠くで大砲をぶっぱなしたような音が上がったと思うと、壁から天井までが、ビリビリ震えたのだ。低周波ってのは、人間の耳じ ゃ方向を特定できないそうだけど、俺も足元が揺れてるような錯覚を起こした。カーテンは閉め切ってあるから、稲妻の光は入ってこなか った。  この様子だと、かなり近い・・・しかし俺は、フッと目を閉じると、両手を広げた。  唯ちゃん、きみが雷が苦手なのはわかってるんだ。さあ、この胸に飛び込んでおいで。  轟音の余韻が響く中、俺は待った。  しばらく待った。  腕に伝わってくるはずの感触は、一向にない。  ・・・おかしいなぁ?  しびれを切らして、薄目を開けると、 「どうしたっちゃ、手なんか広げて?」  俺の背後から、聞き慣れた声が茶の間に広がった。  振り返ると、瞬きしながらラムが不思議そうに、こっちを見つめている。  ・・・クッ! あたる「いやあ、ラジオ体操でもやろうかと思ってね! 帰ってたのか、ラム。」  手のやり場に困った俺は、立ち上がると、背伸びの運動ってやつをやりはじめた。  ああ〜、どんどん健康になっていくぅ〜! ラム「?」 唯「おかしなあたるさん?」  おいっちに! おいっちに! ・・・なにやってんだろ俺、泣けてきたよ・・。 「久しぶりやな、あたる。しかしいつまでたっても、おんどれのアホはなおらんようやなぁ。」 あたる「むっ、その声は・・。」 ラム「そうそう、テンちゃんが通ってる小学校、今は夏休みなんだっちゃ。」  ジャリテンが戸の影から、ひょっこり顔を出した。 あたる「でたなジャリテンっ! んんっ? 夏休みって・・まだ六月だが・・。」 ラム「鬼星の小学校の夏休みって、三ヶ月間あるっちゃよ。6月7月8月はずーっと休みだっちゃ。」 テン「そーなんやぁ〜。せやからなぁ、夏休みの間だけ地球に遊びにきたんやぁ。」  なんじゃそりゃ。さしずめアメリカの大型サマーバケーションだな。  唯はラムたちに目配せすると、 唯「おかえりなさいラムさん。テンちゃんお久しぶりね。」 テン「わーい! 唯ねーちゃんやぁーっ!」  ジャリテンは、思いっきり唯の胸に飛び込んだ。  くぅぅそぉぉーーっっ!! ジャリテンのヤロー、帰ってきてイキナリ子供の特権を乱用しやがってっ!  俺の拳にギリギリと力が入る。顔も幾分ひきつっているはずだ。  そんな俺を横目に、ラムは俺の隣にちょこんと座った。 ラム「ただいまダーリン。わぁいっ♪ 今日はビーフシチューだっちゃね。おいしそーだっちゃ〜♪」 唯「そう、腕によりをかけて作ったんだから。冷めないうちに食べてね。テンちゃんも、ねっ。」  唯はそう言うと、ジャリテンをテーブルの上に座らせて、シチューを二人分皿によそった。  二人には呆れられるわ、邪魔者(ジャリテン)は帰ってくるわ・・・ロクなことはなかった。                             *  夜も更けて、午後11時過ぎ。  俺たちは、ときおり雷鳴が響く二階の廊下にいた。 唯「台風、ひどくなってきたね。」  突き当たりの窓から、外の様子を窺い、唯がこぼした。  青い布地に、氷の結晶がちりばめられたパジャマ姿だ。憂いを含んだ瞳で、不安そうに窓の外を見ている。  強い雨脚の音は、家の中にもライブで伝わってきていた。バサバサってざわめきは、庭の広葉樹の悲鳴だろう。窓越しに、何か白い物が 吹っ飛んでいくのが見えた。取り込み忘れた近所の洗濯物か・・・でなきゃコンビニの袋だな、あれは。 あたる「ま、諦めるしかないよ。天気予報だと、今晩から明日の朝までが山場って話だし。」  心配している俺たちとは対照的なのは、この二人。 ラム「また今年も台風だっちゃーっ♪ きゃっほーう♪」 テン「おもろいなぁーっ。きゃはははは・・♪」  台風のどこが面白いのか・・。ま、毎回のコトだからな、もういいや。 唯「例年にない勢力ってコトだったけど・・・大丈夫だと思う?」 あたる「思うって・・・なにが?」 唯「この家。」 あたる「は?」  またおかしなことを、と思っていると、 唯「ほら、ニュースでやってたでしょ? アリゾナで発生した竜巻が、民家二十棟・・。」 あたる「台風と竜巻は違うでしょ。」 唯「でもでも、同じ風の・・。」 あたる「バカ言ってないで寝よう。じゃないと・・・襲っちゃうぞ?」  俺は両手を振り上げ、唸ってみせた。  唯は少し赤くなって、むーっ、とおれをねめつけると、 唯「あたるさんのエッチ! 知らないっ!」  誰が見ても冗談なやりとりだが、来た。  ドバババババッッ!!! あたる「どぎゃぁああーーーっっ!!!」 ラム「ダーリンっ! 唯に手を出すんじゃないっちゃ!」 テン「唯ねーちゃんに悪さしてみぃ! ワイが許さへんでぇ!」 あたる「やかましいっ! お前らも早く寝ろっ!!」  三人はむくれっ面で唯の部屋に消え、思い切りドアを閉めてしまった。 あたる「おやすみ〜。」  揺れる『ユイ』のプレートを見ながら、俺は苦笑した。あくびをすると、焦げ茶色の身体を引きずりながら自分の部屋に入って、ドアを 閉めた。  久しぶりの我が部屋は・・・おかしな話だが、出て行く前より、少し綺麗に見えた。  ま・・まま、まさか、唯ちゃんが俺の部屋を掃除してくれたのか?  俺は咄嗟に、部屋のいたるところに存在しているエロ本を確認してまわった。  どれも、調査が入った形跡はない。  ほっと安心した途端、長旅の疲れがどっと浮上してきた。布団を敷くと、すぐに部屋の明かりを消して、カーテンを閉めるのも面倒臭く 、俺は布団にひっくり返った。  意識が飛ぶ実感も無いうちに、俺は寝ていた。                             *  コンッ、コンコン、コンッ!  コンコンコンコン、コンコンッ!  あれから何分たっただろう・・・ストレスが溜まったキツツキの音みたいな不協和音が、俺の意識を戻した。  ・・・なーんだ、この音は?  薄目で天井を見つめながら、俺は考えた。  何時間寝ていたかわからないが、とにかく暗い。  そこでさらに、コンコンコン。  コンコンコンコンコンコンコンコン・・。  その音がドアのノックだということ気付いたのは、ひとしきりイラついた後だった。 あたる「ったく、誰だよこんな真夜中にぃっ!」  扉の向こう側の人物に毒づきながら、ドアを引っ張った。  ふわっと、青い影が突っ込んできたから、俺は驚いた。  青い影は、俺の胸の中で顔を上げると、 「ご、誤解しないでよねっ! お、音は平気なんだからねっ!」 あたる「ゆ、唯ちゃん?!」  青く見えたのは、唯のパジャマだった。真っ青な顔で、ブルブル震えている。  しかし・・・さっきの妙なセリフはなんなんだ?  その後すぐ、ラムとジャリテンが顔を覗かせた。 テン「どないしたんやぁ、唯ねーちゃん?」 ラム「唯ったら、急に部屋から飛び出したりして、びっくりするっちゃよ?」  窓から稲妻の閃光がさしたのは、そんな時だった。  面白いことは、それから起きた。 唯「やーーん! もうやだぁ!」  唯は悲鳴を上げて、俺のシャツをギュッ、しがみついてきたのである。  ・・・そういうことかい。                             *  数分後・・・カーテンを閉め切り、照明もつけた部屋で、俺たちは膝をつき合わせた。  ジャリテンは、口を大きく開けてあくびをした。ラムは、きょとんとした表情で俺たちの顔を目配せしている。唯はというと、少し俯い てたが、申し訳なさそうに上目使い。覇気がない。 あたる「・・・で、雷が怖くて、落ち着いて寝られない、と?」 唯「ちっ、違うもんっ!」  青白い顔のまま、唯は顔を上げると、 唯「おっ、音は平気なんだからっ! ピカッていうのが怖いだけなんだからっ!」  大きい目はウルウル。今にも泣きそうだ。  憮然とした態度を決め込みながら・・・唯には悪いが・・・俺は内心、爆笑していた。  うひひーっ、なんだよ、それ? ゴロゴロってのは平気なのに、ピカッてのがダメ? 常識で考えりゃ、前者の方を怖がりそうなもんだが 、やっぱり変だぞ、唯って!  俺は湧き上がる笑いと格闘しながら、 あたる「それで、俺にどうしろって言うんだ?」 唯「べ、別に何も。あたるさんは寝てていいわよ。」  この期に及んでも気丈を装うのは、さすがにプライドの高い唯だが・・・。 あたる「じゃあさ、この手、離してくれる?」  と、俺は自分自身のわき腹を指差した。  先ほどから彼女の細指が、俺のシャツの裾と、ラムのビキニパンツの縁をしっかり掴んでいたのだ。しかもよほど力を込めているらしく 、手の皮膚が、真っ白くなっている。  さて、どう出るか、と思っていると、唯はへの字口で俺を見つめて、 唯「・・・やだ。」  あらら。 ラム「離してくれないと、ウチら寝れないっちゃよ?」 唯「・・・このまま寝て。」  ダメだ、もう限界だ。  俺は、クックックッ、とやりはじめてしまった。 唯「もっ、もう、馬鹿にしてー! あたるさんは男の子なんだからね、男の子は、女の子を守ってくれなきゃダメなんだからね!? ちょっと   ぐらいわがままきいてよ〜!」  俺の腰の辺りをグニグニ押しながら、唯は懇願した。  唯がこんな態度をとるのは珍しい。実際に俺より2歳上ということもあって、普段は少しお姉さんぶっている唯だが、この駄々のこね方 を見ると・・・よほど怖いんだろうな。ラムの電撃リンチの時に発する閃光には全く平気っぽいのに・・・ほんと変だな。 あたる「わかったわかった。じゃ、台風が過ぎるまで、俺も起きてるから。それでいいだろ?」 ラム「ダーリンが起きてるなら、ウチも付き合うっちゃ。」 唯「ほ、本当? ホントに?」 あたる・ラム「ホントホント。(だっちゃ。)」  できるだけ爽やかな笑みを心がけ、俺たちは頷いた。  それが効いたのか、彼女は、ホッと息を吐き、 唯「よ、よかった〜!」  と、その場にグニャグニャっと突っ伏してしまった。  なるほど、玄関でやってたのも、これだったのか。 あたる「唯ちゃ・・。」 ラム「弱味につけ込んで、デートの申し込みはありえないっちゃよ。ダーリン。」  ここぞとばかりに俺が言う言葉を、ラムは即座に察知したようで、話し出してすぐにラムが突っ込んだ。  グゥの音も出やしない。ラムって、ホントに俺のことが何でもわかるんだな・・。  しかし・・・唯にとって悪いことは続いた。ゴロゴロって雷鳴が響いたかと思うと、急に部屋が真っ暗になってしまったのである。  突然だったので、俺も少し慌てたが、考えてみれば原因は単純だ。落雷が、どこかの変電所を直撃したか・・・要するに停電である。と にかく真っ暗になってしまった。  でも面白いのは、それからだった。 唯「キャーーッ! なになに、どうなったの!? もうっ、なんなのよォ!?」  暗闇に唯の悲鳴が上がったかと思うと、続いて、ドカッと音がして、 唯「いったーい!」 ラム「唯っ、痛いっちゃよぉーっ!」  な・・なにやってんだ? あたる「こら、動き回るな! ただの停電だ、停電! 落ち着けよ!」 唯「あたるさ〜ん、痛いよ〜! もう死んじゃう〜!」 ラム「泣きたいのはこっちだっちゃ!」  部屋の隅から、情けない声が聞こえたのも束の間、すぐに、 唯「キャーッ! いるいる、なにかいるよ!! 光ってて・・きっと目だわ! やーん!」  続いて、何か柔らかいものを投げる音が伝わってきた。  反応は、すぐにあった。 「いだぁぁーーっ!!」 ラム「光ってるって・・テンちゃんだっちゃよ、それ!? 大丈夫け、テンちゃん?!」 唯「もういやいやいやいやっ! テンちゃんなんか大っ嫌い! みんな嫌い!」 テン「ゆ、唯ねーちゃん・・そりゃあんまりやないけぇ〜(泣)。」  俺たちを代表してジャリテンが語ってくれた。 ラム「っんもぉーっ! 世話が焼けるっちゃ!」  ラムは手探りで窓際まで進むと、思いっきりカーテンを引いた。  月明かりなんて洒落たものは差し込まなかったけど、少しはマシになった。  しかし・・・運が悪かった。闇を切り裂いて、稲妻の光がほとばしり、部屋を埋め尽くしたのだ。 唯「キャーッ! またピカッて、ピカッて〜! もう・・・わーーん!」  たった一瞬のことなのに、部屋の隅で、ついに唯が泣き出したからたまらない。しかも散らばっているものを、手当たりしだい投げてき た。ゲーセンでとった縫いぐるみや、消しゴム・・・掴めるものなら、何でもだ。 あたる「おわっ! おい、やめろって!」  俺は恐ろしくなった。  パニックとヒステリーが一緒くたになっちゃってる。このままだと・・・マジで死人が出かねない。本を投げられたって、打ちどころが 悪いと死んじゃうらしいからな。 あたる「落ち着け、落ち着けっ! これから蝋燭とってきてやるから! なっ?」  俺はわめいた。  唯はやっと手を止めると、涙目で、 唯「・・・本当?」 あたる・ラム「ホントホント。(だっちゃ。)」  さっきの繰り返しだが、俺たちは頷いた。 唯「じゃ、早く行ってきてよ〜!」 あたる「わかったわかった、今すぐ行くから、これ以上俺の部屋を荒らさないでくれよっ!」  一応釘を刺して、俺はドアを引いた。                             *  蝋燭の光は、人の心を和らげる効果があるという。  30分ほど前までは、ギャーギャーやっていた唯だったが、俺が一階から蝋燭を発掘してくると、次第におとなしくなっていった。  今、目の前にある顔は、まだ少し青いが、いつもの唯のものだ。 唯「あの・・・さっきはごめんね。」  体育座りの唯は、決まり悪そうに笑った。  皿の上に置いた蝋燭の火が、下から唯を照らし、絶妙な造形の顔に影を作っていく。炎が揺らぐたびに影の位置が変わり、いつもの唯と は雰囲気が違って見えたので、俺は妙にドキドキさせられた。  しかも、唯は知ってか知らずか、はだけた襟元から胸の谷間が覗いている。その陰影のつき方が、これまた何とも柔らかそうな・・! ラム「気にすることないっちゃよ。誰にだって、苦手なものはあるっちゃ。」  うわっ、ラムのことはあまり気にしてなかったけど、今のこの状況にビキニスタイルってのも、すごくイイっ。  蝋燭って魔物だな・・。人を変える魔力があるぜ。 ラム「・・ねっ、ダーリン。」 あたる「そ、そう。そうだぞ。気にすんなよ。」  変な気になりかけてた俺は、顔を背けながら答えた。  カーテンを再び閉めなおしたから部屋は暗いが、ピカッてのはなくなったし、蝋燭の光のおかげで、少し落ち着いた感じがある。あちこ ちに散らばってる俺の私物は・・・仕方ないから、明日片付けるとするか。  唯は、やっぱり外が気になってるようだったが、こっちに向き直ると、 唯「ね、これからどうしよっか? トランプでもする?」 ラム「うふふふ、なんだか修学旅行みたいだっちゃね。」  何かやって気を紛らわせたいんだろう・・・ラムも笑いながら答えた。 唯「あっ、あたるさんとラムさんって、今年だったわよね? どこ行くの?」 あたる「京都。ウチのガッコは、いつも同じところ。」 ラム「だっちゃね〜♪ 今から楽しみだっちゃ♪」 唯「あーっ、京都行くんだ? いいなっ。」 あたる「いいなって・・・二人はついこの間、沙織ちゃんと行っただろ?」 唯「だって、何度でも行きたいでしょ? 季節の変わった頃に行くと、また違った京都の顔が見えてくるもの。・・それに評判の和菓子も買   えなかったし・・・。」  ちょっと口惜しそうな唯。  実際、二人はこの前のゴールデンウィークに京都に行っている。その頃は、まだ今みたいに打ち明けた仲じゃなかったし、まさか女友達 同士の旅行についてけるはずもなく(ホントは無理矢理にでも行きたかったけど・・。)留守番役だった俺へのお土産は、『えんむすびお守 り』と『金魚鉢の風玉』がラムからので、『KYOTOのバスタオル』『日本刀のキーホルダー』この二つは沙織ちゃんだったっけ、『う さぎと金魚の匂い袋』と『よーじやの油取り紙と手鏡のセット』と、あとは八つ橋とか・・お菓子の数々は、唯からだ。 ラム「和菓子って・・・どら焼きだっちゃ?」 あたる「あー、あの、前に唯ちゃんが言ってた『笹屋伊織』の?」 唯「そっ、竹の笹で包まれたやつ。こーんなの。」  唯は両手の人差し指で、ラインを描いてみせた。  俺はおにぎりみたいなものを想像したが・・・違うな、きっと。 ラム「ウチが買ってくるっちゃよ。まだ先だけど、行ったらお店に寄ってみるっちゃ。ウチもそのどら焼きは、心残りだったっちゃ。」 唯「えっ!! ホント!?」 あたる「フッフッフ、任せとけ。大船に乗ったつもりでいなさい。」 ラム「それ、ウチのセリフだっちゃよぉ!」 唯「わーい! つもりでいるいる〜!」  と唯は笑顔でバンザイをした。  無邪気といえばそれまでだったが・・・喜び方が普通じゃない。無理がミエミエだ。  そして綺麗な顔は、笑みを浮かべたまま、急速に青くなると、 唯「・・・この家、ホントに大丈夫かな〜?」  またまた泣きそうな顔で、唯は俺のシャツを引っ張ってきた。  直後に起きた事態を考えれば・・・唯には予知能力があったのかもしれない。  しかし俺は、にっこり笑いながら、 あたる「だから、心配することないって! 大丈夫だよ!」  大丈夫じゃなかった。  まさか、あんな凄まじいことが起きるなんて。  当初、間近でダンボールをぶっ潰すような音がした時、俺は隣家に雷が落ちたのかと思った。音が近かったし、揺れがあまりに酷かった からだ。いつの間にか寝ていたジャリテンが、床で飛び跳ね、仰向けだった姿勢がうつぶせにひっくり返っちまった。  直後・・・部屋の中だというのに、なぜか雨に頬を叩かれ、俺は顔を上げた。  何か奇妙なモノが、天井から生えている。蝋燭の明かりしかないので、目を凝らしても、よくはわからない。だが形から見て・・・咄嗟 に俺は、馬鹿でかい黒板を連想した。その角が雨の水流を伴って、頭上の亀裂から顔を出している。  き・・・亀裂だって!? 天井に!! 唯「あっあっあっ・・・あたるさ〜ん!」  天井を見上げた唯も、情けない声で俺を呼んだ。  頭上の巨大な板が、木材のきしむ音とともに、大きく動いた。 あたる「どわわわわわっ!」 ラム「だ、ダーリンっ!」  風で飛ばされたどっかの板が、ウチの屋根を直撃したんだ・・・なんてまともな理屈は、後で思いついたことにすぎず、この時俺は、完 全に正気を失っていた。凍りついた唯を抱えて部屋を飛び出せたのは軌跡といっていい。  底が抜けるような破壊音は、俺たちが廊下に出た直後・・・ラムがジャリテンを抱えてドアから飛びぬけると同時に起こった。頭なんか 使ってる余裕はなく、俺は最も近い部屋・・・唯の部屋のドアを開けた。まずラムとジャリテンが飛び込み、俺も後に続いた。  後で冷静に考えれば、家の外に逃げ出した方がよかったのかもしれない。だが、真っ暗な部屋に逃げ込むやいなや、俺たちは隅でかたま ると、濡れた子犬みたいに肩を寄せあって、台風が過ぎ去るのを待った。  家がきしむ震動は、ひと晩中、壁を揺らし続けていた。                             *  翌日の早朝。  過ぎ去った台風が辺りの雲をKOしていったらしく、空は不気味なほど晴れ渡っていた。文字通りの快晴・・・雲ひとつない。  どこからともなく、チュンチュン、って雀の鳴き声が聞こえてくる中、俺は道路から我が家を見上げながら、大きくタメ息をついた。  正面から向かって屋根の左側に、馬鹿でかい長方形の板が刺さっている。正確な大きさまではわからないが、軽く見積もっても、長さが 3メートルはあるようだ。  さらに・・・板の絵柄が、果てしない脱力を誘った。  『鳥だ!飛行機だ!チョコバナーヌくんだ!』  手足の生えたバナナのお化けみたいなマスコットキャラが、屋根の上でグーサインを出していた。逆さまになって、顔が隠れていはいる が、見たければ、俺の部屋に行けばいい。机や箪笥を押しのけ、デカイ顔でニヤッと笑ってやがる。  俺はがっくり肩を落としてしまった。  ・・・勘弁してくれ、マジで。  関東を中心に展開しているクレープチェーン店のロゴ大看板だ。最近、友引町にも支店ができて、ラムと唯がよく待ち合わせで使ってる って言ってたけど、よくよく縁があるらしい。昨晩の強風に乗って、ウチの屋根に突っ込んできたのだ。  でもあの店って、商店街のド真ん中だぞぉ? ここまで飛ぶかぁ〜?  さらに、被害はこれだけに留まらなかった。玄関に戻ると、俺は憂鬱な気分で、ドアのノブを引いた。  目に入ってきたものは、泥にまみれた土間だった。  砂利は玄関口だけに留まらず、廊下、茶の間をも浸していた。ここからじゃ見えないが、奥の間も似たようなものだ。そこら中が、ドロ ドロのグチョグチョになってる。  早い話、床上浸水ってやつだ。  上で縮こまってた時に、階下ではとんでもないことになっていたらしい。気付いたのはついさっき。階段から降りた途端、泥に足を取ら れ、俺はすっ転んでしまった。今では水こそ引いたものの、汚泥は堆積したまま・・・後始末を考えると、気が重くなる。  俺は靴のまま、廊下に上がった。  適当に見回っただけだが、我が家が被った被害は、次のようになるらしい。 “唯の部屋以外は全滅。”  嬉しくなってくる。  突っ込んできた大看板は、俺の部屋を全壊してくれた。一階は一階で、床上浸水だ。座る場所すらない。風呂場やトイレなどの水道設備 は、無事を確認済みだが、あくまで、水が流れたってレベルの話で、平常とはほど遠い。まだそこらじゅうが濡れているので、電気が通っ ているかどうかも不明・・・怖くてブレーカーを上げられないのだ。  被害を免れ、かつ寝泊まりできる場所は、唯の部屋だけだった。  俺は頭をかきかき、階段を上った。  唯の部屋だけが無事だなんて・・・、神様も皮肉な真似するよ。でもまあ、唯の生活空間は維持できてるんだし、それだけでもよしとす るか。じゃないと、唯がウチにいる理由がなくなっちゃうワケだしな。  そんなことを考えながら、階段を上りきった時だった。 ラム「あっ、ダーリン。靴はそこで脱ぐっちゃ。下はどうだったっちゃ?」  ラムが、俺を見て明るく笑った。衣類を抱えている。  全てをなくした状況では、男より女のほうが強いって話だけど・・、違いない。一旦部屋を出てからというもの、ラムと唯とジャリテン はああやって、他の部屋から使える物を運び出している。どこかウキウキしているように見えるから、こっちは関心せざるをえない。  俺は指定通りにスニーカーを脱ぎながら、 あたる「とりあえず、水まわりは無事だったよ。でも電気はやめといた方がいいな、まだあちこち濡れてるんだ。あとで電力会社に連絡し     てみるとしよう。」 唯「そうね。プロに任せた方が安全だもの。」 あたる「で・・、その荷物、どこへ運んでんの?」  俺は顎でしゃくってみせた。  ラムたちが抱えているのは、俺の衣類だった。夏場用のシャツやジーンズだ。 唯「どこって・・。」 ラム「唯の部屋だっちゃよ。」 あたる「それだったら、納戸の前に放り投げといてくれていいよ。後で分類するから。」 ラム「納戸の前? 廊下にけ?」  ラムの可愛い顔が、ネコみたいに首を傾げた。 あたる「ああ。下は乾くまで何もできそうにないしな。二階もこの通りだし・・・廊下で寝泊りすることにしたんだ。だから、さ。」 唯「廊下に寝るの?!」 あたる「だって仕方ないだろ。唯ちゃんを置いて家の人間が出ていくのも変な話だし、かといって唯ちゃんを放り出すワケにもいかない。     ま、幸い廊下は無事だったし・・、ホラ、納戸の前なら、唯ちゃんやラムの出入りの邪魔にもならないだろ? これぞナイスアイデ     ィアって・・・。」 唯・ラム「ナイスじゃありません!(じゃないっちゃ!)」  いきなり叫ばれたので、俺はびっくりした。  唯はこめかみを押さえながら、タメ息をつき、 唯「もう、男の子って・・・どうしてこうなの?」 あたる「な、なんだよー。じゃあ、どうしろっていうんだ?」  すると、ラムがひらめいた様に言葉を発した。 ラム「ダーリンっ! ウチのUFOにくればいいっちゃよ!」  げげっ、何を言い出すのかと思えば・・。そりゃ一番最悪なパターンじゃないか! それを言われるのがイヤだから、あえて「唯の部屋に 泊めてくれ」って言わないことにしたのに・・。 ラム『ダーリンを唯と一緒の部屋に置いたら、ナニするかわかったもんじゃないっちゃ。ウチのUFOに連れてくっちゃ!』  とか言って、強制連行されるのは目に見えていたのだ。  ラムのUFOで寝泊りするくらいなら、俺は廊下の方が絶対いい! あたる「却下却下。学校行く時とか出かける時はどうすんだよ? 第一、俺は空飛べないんだぞ! 」 ラム「ウチが送り迎えしてあげるっちゃよ。んふっ♪」  ラムは、この上ない満面な笑みを浮かべる。 あたる「そ・・そんなぁ・・。」  かなりヤバイ状況になってきたぞ・・。最悪なシナリオが現実味を帯びてきた。このままだと、流れ的に正当な理由でラムに拉致られて しまうぞ。  考えれば考えるほど、さらに気分が滅入ってきた。  俺は唯に目配せすると、唯は目を合わせた途端、なぜか顔を赤らめ、 唯「こ・・・ここがあるじゃない。」  と手前のドアを指差した。 『ユイ』  白木の小さなプレートがかかってる。いうまでもなく、唯の部屋だ。 あたる「ちょっと待ってくれよ、じゃ、自分は出て行くつもりなのか?! そんなのイヤだからな、俺は絶対に廊下で・・・。」 ラム「ウチのUFOで・・。」 唯「わ、わたし、出ていかないよ。」 あたる「・・・は?」 唯「無理すれば、みんなで住めないこともないと思うの。だから・・・その・・・。」  とゴニョゴニョ。  俺とラムが意味を理解したのは、5秒ほど後だった。  ・・・ほっ、本気か!?  めちゃくちゃ期待を込めて、俺は唯を見つめてしまった。  視線の先で、唯は火がついたように顔を赤らめると、 唯「ほっ、ほら! 二人とも、ちゃっちゃと片付けしちゃおうっ。」  と無理やりにニコニコ。  誤魔化したい気持ちはわかるが・・。 ラム「唯ったら、自分がなに言ってるのかわかってるっちゃ?」 唯「だ、だって・・・仕方ないでしょ。わたしって、家賃を払ってる訳じゃないから、極端な言い方をすれば、単なる居候なワケだし・・   ・。家主の息子さんを廊下で寝かせて、自分は無事だった部屋でぬくぬくと・・・そんなことできるわけないわ。」 ラム「でも! ダーリンと一緒な部屋で生活なんて、ずえーーーったい危ないっちゃ!」 あたる「おまぁな! 俺をなんだと・・っ!」  ラムの言った言葉にムカついて、声を荒げた時だった。 唯「・・・大丈夫。わたしは、ラムさんと同じくらいあたるさんも信用してるから。」  俺の目を見て、ニコッと微笑む。  そして鼻の辺りを赤くしたままで、ラムをねめつけた。  うわ、まずい。これはケッコー本気だぞ? ラム「唯がそこまで言うんだったら・・・ウチは別に・・。」 唯「そ、そお? じゃあ決まりね?」  ちょっとホッとしたように唯。  唯は荷物を入り口の傍におくと、俺の腕を取って、 唯「あたるさん、下についてきて。タオルとか雑巾とか・・・使えそうなもの取ってきましょ?」 あたる「う、うん。わかった。」  靴を履きなおして、俺は唯の後についていった。  平静を装って階段を降りていた俺だが、心の中ではこう叫んでいた。  うおおおお、やったぜーっ! ついに夢の実現だ!  今まで、俺と唯ちゃんの間にはなんの変化もなくて、無性に苛立ってたんだ。やっとチャンスがおとずれた! ここでなんとかキメられれ ば・・!  ところが、前にも言ったかもしれないけど、唯には俺の煩悩を封じ込める不思議なパワーがある。煩悩に対するアンテナがあるみたいで 、階下に下りると、唯はクルっと振り向き、 唯「先に言っておくけど・・・同じ部屋だからって、エッチなのはダメだからね。・・信用してるんだから。」 あたる「す、すんません。」 唯「あっ、ごめん。ちょっとだけバイク見てきていいかな。ごめんね。」  両手を合わせて、はにかむ唯。 あたる「じゃ、俺は郵便受け見てくるから。」  俺たちは、ドアを開けて、屋外に出た。  うーん、あっさり釘を刺されてしまった。あっさりすぎて、軽口を叩く余地もない。  でも・・・ま、いっか。今はそんなこと企んでる場合じゃないし。  そして、“今回最大のトラブル”は、俺が唯から背を向けた時に起こった。  唯の足音が、俺の背後でピタッと止まると、 唯「あ、あのっ・・・あたるさん? こんなときになんだけど、今のうちに聞いてほしいことがあるの・・。」  唯の、声のトーンが変わった。  二階では、ラムとジャリテンがせっせと俺の部屋から荷物を移動している真っ最中だ。 テン「ふーっ、やーっと終わったで〜。」 ラム「テンちゃん、ごくろうさまだっちゃ。後でご褒美に、おいしーいおやつ用意するっちゃね♪」 テン「わーいっ、おおきにー♪」  ポンポンと弾んで喜ぶテン。 ラム「じゃ、テンちゃんは休んでていいっちゃよ。ウチ、ダーリンたちのお手伝いしてくるっちゃ。」  ラムはドアのノブを押した。部屋から出ようとした時だった、 テン「あ、ラムちゃん? あたると唯ねーちゃんを一緒の部屋で生活させて、ホンマにえぇんかぁ?」  ラムの顔が少し影った。 ラム「平気、大丈夫だっちゃよ。ウチだってダーリンのこと・・・信用してるもん。」 テン「ラムちゃん・・。」  くるっとテンに背を向けると、階段を降りていった。  階段を降りると、すぐに二人を探すラム。でも、ほとんど探すこともなく、見つけることができた。  玄関ドアの向こう側で、二人の話し声が聞こえたのだ。  ラムは、ドアノブに手をかけて開けようとした、その時、ふと、二人の声が耳に入って、動きを止めた。  背後にいる唯の様子が、少しばかりちがうもんだから、俺は振り返ったんだ。  次の瞬間、ドンっと胸に衝撃が走った。衝撃と言っても全然痛くもない。  俺の胸の中に、唯が飛び込んだのだ。 あたる「唯ちゃん? ど、どうしたの?」 唯「そのまま聞いて・・。わたし、あなたのこと心から信用してる・・・ううん違う、この気持ちは・・・安心できるの。あたるさんがい   てくれるだけで・・。すごく心地いいの・・・でも、あなたとラムさんのことを考えると、心が叫んで・・痛くて・・どうしようもな   くなっちゃう・・。それでもわたし、心が抑えきれなくなって・・。 ・・・あなたが好き・・。」  その瞬間、俺は凍りついてしまった。 唯「ご、ごめんなさいっ。あっ、わたし、あ、あのっ、バイク見てくるからっ!」  バッと俺から離れると、唯はそう言って、庭の方へ走っていってしまった。  俺はちょっとギクシャクしながらポストを覗き込む。パニくってて、手紙が入ってるかなんてわかりゃしない。 あたる「・・唯ちゃんが、俺のこと・・? はははっ、夢だよな、こりゃあ!」  カクカクした動作で、ドアノブをとって、引っ張った。  ドアの向こうには誰もいなかったが、俺は、一瞬、虎縞のブーツが二階の影に消えていくのを見逃さなかった。  まさか・・・今の会話を聞いてたのか?!  俺は瞬間的に悟った。 あたる「ら、ラムっ!」  すごく焦ってたもんだから、玄関が泥まみれだってことも忘れて、玄関を上がるとき靴を脱いでしまった。床に足が着いたとたん、泥に 足を取られて思いっきりすっ転んだ。くそっ、二回目だぞっ。  そんなこと、もうどうでもよかった。泥まみれになりながら、俺はラムの後を追って二階に上がっていった。  部屋の前に着くと、ドアを勢いよく開け放つ。 あたる「ラムっ、話を聞いてくれっ。・・っ!」  それだけ言うと、俺は次の言葉が出てこなくなってしまった。  目を真っ赤にさせて茫然と立ち尽くしているラムが、俺の視界を覆ったのだ。 ラム「ダーリン・・・さっきの唯との話、なんなんだっちゃ?」  憮然とした声の中には、しかし押し殺された悲しみがあるのを、俺は感じた。 エンディングテーマ:Dancing Star                                                第七話『滅びの序曲。』・・・完