序 章    それは唐突に訪れた。  数億光年の遥か彼方から巨大な宇宙母艦が、突如襲来したのだ。  太陽系から外に出ることすら覚束ない地球人類にとって、未曾有の危機であった。  彼らの要求は、地球の資源、領土の解放、武装の解除、統帥権の譲渡など人類の主権に対し、あまりのも倣岸不遜なものだった。  勝ち目のない戦いを挑むべきか否か、各国の首脳は連日激論を戦わせていた。  そのような中、異星人は人類に意外な提案を示した。  コンピューターが無作為に選んだ地球の代表者一名と、一対一の勝負をしようと いうのだ。  それに勝てば、すべての要求を取り下げ、母星に帰還する。  ただし、負けたら無益な抵抗を諦めて投降せよとの主張であった。  双方の軍事力をぶつけあう戦争を挑まれたのならば、地球人類がいかに抗おうともその帰趨は知れたものである。  弓矢や投石器が戦闘機を撃ち落せないように、地上に存在するいかなる兵器をもってしても太刀打ちはできないであろう。  何しろ、敵の母艦がどうやって浮いているのか、それすらもまったく解明できないのである。  絶望的なほどに科学力、技術力等で遅れをとっている事は明白であった。  しかし、たとえ相手の選手がどれほどの実力の持ち主であろうとも、生身の人間同士、それも一対一の勝負ならばまだしも見込みがあると思えた。  国連に集った首脳たちは、思案の末にその提案を了承した。  というより、最初から他の選択肢はなかった。 そして、ただちに異星人のコンピューターが一人の少年の名を選び出したのである。  諸星 あたる。  この物語の主人公となる少年であった。 勝負の方法は地球で言うところの『鬼ごっこ』、逃げる鬼族の選手を彼が捕まえ、その象徴である角を掴めばよい。  たったそれだけの事であった。  鬼側の代表選手として呼ばれたのは、彼と同じ世代の少女、ラムであった。  元来より女好きの性向を持っていた彼は、二つ返事で引き受けた。  世界中が注目する最中、いざ勝負が始まると国連首脳部は自らの判断の甘さを思い知らされることになった。  もっとルールを詰めておくべきだったのだ。  少女は、不思議な能力を持ち、生身で空を自在に飛び回って見せたのである。  これでは、いかに俊足であろうと手が届くはずがない。  国連首脳部は、改めて開戦の準備を進めねばならなくなった。  例え勝てないにしても、多少なりとも地球人類の意地を見せておかなければ、対等な交渉など望めない。  十日間の勝負、日一日ごとに明らかになっていく劣勢。  諸星あたるは健闘していると言えたが、それを称える余裕など人類にはない。  いつしか、不甲斐なき彼を呪う声が蔓延していき、諸星あたるは次第に追い詰められていった。  いったい、何キロ走ったのか。  マラソンランナーは三時間弱で四十二キロメートルを走破する。    この勝負は夜明けから日没まで、彼が鬼に追いつくまで何時間でも続くのだ。  それを十日間連続で行うのである。  終盤にはもう、彼の肉体はボロボロの状態であっただろう。  「勝ったら結婚してあげる!」  この苦境の中、苦し紛れに放った幼馴染みの言葉が状況を変えた。  彼の疲弊していた肉体を気力が蘇生し、単調なレースに慣れ切っていたラムを戸惑わせた。   諸星あたるは、幼馴染みであり気心の知れたガールフレンドでもあった三宅しのぶとの結婚を確信し、おそらくはその先の事まで思いを巡らせていたであろう。  彼の奇襲は、飛び立つ前のラムを捕まえ、誰もが諦めかけていた勝利をもぎ取ってみせた。  「わかったっちゃ、そこまで言うなら結婚してやるっちゃ」  彼が無意識に口走っていた言葉を、ラムは自らへの求愛であると誤解し、応諾した。  鬼族の頭領、その娘の言葉である。  そして、これは公式な勝負事、彼女の言葉はただちに決定事項となった。  とりあえず、二人が日本の法律で結婚可能な年齢に達するまではラムの滞在を認める。 その代わり、地球の文化文明に対する一切の介入を禁ずる。  地球資源の持ち出しを禁ずる、他の異星人が地球に降りる際には事前に国連首脳部に了解をもとめ、他の一般市民の目に極力触れないようにすること。  また、地球側が指定した特定地域を除くすべての地域において、いかなる干渉もしないこと。    そういった取り決めが、誰も知らないところで行われていた。  非日常的な日常。  ラムの降臨による余波は様々な形で波紋を呼び起こし、友引町を揺り動かしていた。  三宅しのぶとラムの確執、諸星あたるの凶運がもたらす怪現象。  魑魅魍魎、他の異星人、異世界人による介入等々、異常が常態ともいえるような状況が現出し、そしてそれらは、そうであるのが当然であるかのように、時の彼方へと押し流されていった。     だが、まだ終わってはいない。  時は連なり、今と繋がっている。    そして今一度、また新たな、しかし懐かしい狂乱の物語が幕を開けていった。