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「完結篇」について
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No. 100-15 (2019/08/18 01:47:31)
Name :るな
Title:声優さんの演技が凄い
完結編はいいですね。アニメは玉石混交で、ひどい出来の作品も多いですが、最終エピソードは原作を超えてる。脚本演出もいいですが、なんといっても声優さんの演技が素晴らしい。とくに古川登志夫さんの演技は神がかってる。全エピソードでもベストの演技だと思います。
No. 100-14 (2016/05/23 05:11:23)
Name :ローラ‐レイ
Title:この原作最終回には、どんなオリジナりティーでも勝てない
企画・プロデューサーだった、故・落合氏が遺した
僕のプロデューサー(秘)かけだし日記に書かれている事
やら、うる星やつら完結編について色々な媒体にこたえられていることが全て
No. 100-13 (2015/12/02 13:32:36)
Name :七緒双葉
Title:ツノの行方の意味するもの
初めまして。
最近になって、うる星やつら熱がぶり返した七緒という者です。
本放送をリアルタイムで視聴、漫画も全て読み90年代終わりにBDを観てからずっと観ていなかったので、これを機に映画を全部視聴しました。(TVシリーズは現在観ています。)
完結篇のツノを落とすシーン、漫画と映画では拾うか拾わないかで違いますね。
そこで僕が感じたのは二点、一つは「間」を表現したかったのではないかと思います。
完結篇ではあたるが落としたツノがゆっくり宙を舞い、それを見たラムは今までの思い出を回想します。
原作では回想はありませんでした。
回想の後、あたるの胸に飛び込んで行くところがスピーディに展開します。
その静から動の流れの中に、ツノを拾う動作やカットを入れると間やテンポが途切れてしまう、と判断されたのではないでしょうか。
もう一つは「あたるの疲労感」。
原作では最後まで走っていますが、完結篇ではいつ倒れてもおかしく無いくらい疲弊しています。
その状況で、ツノを拾いに行く余裕は無かったのでは無いかと思います。
その二つを総合して、ツノを拾う場面をカットしたのでは無いかなと思っています。
しかしあれだけ疲弊していたのに、その後皆に追いかけられて全力で逃げるあたるを見るとやはり化け物だ〜と思ってしまいます(^^;;
それかラムちゃんがあたるの元に帰って来て、いつもの調子が戻ったのかも知れませんねw
No. 100-12 (2015/06/06 16:29:07)
Name :コリエル
Title:ツノの行方の意味するもの
モーニングスケッチさん
5年も前の投稿にレスつけて頂きありがとうございます。
>友引高校の屋根は尖っているので、ツノを落としても落ちていって拾うことができなかった。
状況の「説明」としては確かにその通りだとおもいます。
ですが、私が知りたいのは何を表現したくて、「ツノを拾わない描写」を選んのかという点です。
文芸/映像作品では、作者は何かの意図をもって描写をしている、と考えています。
アニメの場合は、全ての映像が人の手で作成されているのですから尚更です。
No.148-30で書きましたが、完結篇はBGをほぼ忠実にアニメ化した上で、ラストシーンを変える
ことで全く違う主題を描いています。
ラストシーンの違い
BG)
・鬼ごっこのゴールから幾ばくか経過した後
・真っ白な背景に二人だけ
・読者を背に走り去っていく
完結篇)
・鬼ごっこのゴールの直後
・レギュラーメンバーに囲まれて(追いかけラテ)
・視聴者に向かって走って来る
この描写の違いにより、BGはうる星やつらからの「別れ」を完結篇はうる星やつらからへの「回帰」
を表現していると考えられます。
この点から考えて、重要アイテムのツノを「拾う」「拾わない」の描写の違いにも、何か意味が
あるのだろうと思っている次第です。しかし、残念ながら私には真意が分かりません。
単に尺の問題だった。「拾わない」ことに意味はない。というのが答えかもしれません。
本当の所は監督に聞と分からないところですが、考えさせられるシーンです。
No. 100-11 (2015/06/02 13:14:17)
Name :モーニングスケッチ
Title:ツノの行方について考えてみました。
このトピックを見て、コリエルさんの着眼点にはいつも感心させられています。なるほど、確かに原作ではあたるは落としたツノをすぐに拾っていましたが、劇場版はツノは拾うことなく落ちていっていました。
なぜツノを拾わなかったのか、私なりに考えてみました。単に最後の舞台が友引高校の屋根だったから、というのはどうでしょうか。アニメの友引高校の屋根は尖っているので、ツノを落としても落ちていって拾うことができなかった。
また、原作ではあたるがツノを落とした時、ラムは空中からそれを見ていました。でも劇場版ではあたるとラムは同じ高さの位置でした。あたるにとっては、同じ高さにいるラムの存在がわずか数メートルの距離に感じられた。だからツノを落として拾うことよりも、一刻も先にラムの元へ駆け付けたかったというのはどうでしょう。
ビューティルドリーマーやリメンバーマイラブの最後の場面は友引高校でした。アニメでは友引高校のシーンは原作以上に重要な地位を占めていたと思っています。だから劇場版の最後のシーンも友引高校にしたかった。友引高校にするなら、運動場よりは屋根のほうがいいだろうということになったのだと思います。
きっとあたるはあの後こっそり友引高校に戻ってきてツノを回収したと思います。
No. 100-10 (2010/10/07 23:30:51)
Name :コリエル
Title:ツノの行方
「完結編」は原作「ボーイ ミーツ ガール(以下BG)」をほぼ忠実にアニメ化した上に、サクラから弁天たちへの別れの言葉、
ラムとあたるの回想など、BGでは描かれなかったシーンを補って感動的な映画に仕上がっています。
絵も原作に近かったし、音楽も良かった。うる星やつらの映画では最高傑作ではないでしょうか。
(ビューティフル ドリーマーは押井印うる星やつらという意味で傑作ではありますが・・・)
さて、その完結編なのですが、私には一カ所だけどうしても分からないシーンがあるのです。
尚、以下は自分の不明を嘆いているのであって、映画の欠点を指摘しているわけではありません。
BGと完結編の結末の差も主題の違いと納得していますので、完結編を悪く言う意思はありません。
くれぐれも誤解なきよう。
で、そのシーンですが。
鬼ごっこのクライマックス、あたるは持っていたラムのツノを落とします。それを見てラムはあたるの本心を知るのですが、問題はこの後。
BGではあたるはすぐにツノを拾いあげますが、完結編ではツノは宙を舞ってあたるの手に戻ることはありません。
この演出がわからない。
ラムの抜け落ちたツノは色々なことを象徴していると思うのです。
・第1話であたるがラムのツノを掴んだことから、うる星やつらの物語が始まった。そのツノが抜けたのでうる星やつらの物語(記憶)が
宙ブラリンの状態にある。
・あたるがそのツノを持っているということが、あたるの本心がうる星やつらの記憶を守る側、引いてはラムを大切に思っていることを表している。
こう考えると抜けたツノはあたると共にラムのもとに還るのが自然だと思うのです。にもかかわらず、ツノは人知れず落ちてゆく。
無理に解釈すれば、
BG)あたるは抜けたツノに加えて新しいラムのツノに触れた
= ゴールイン後のうる星やつらは今までのものとは別(+αだから)
= うる星やつらからの決別
完結編)あたるは抜けたツノに替えて新しいラムのツノに触れた
= ゴールイン後のうる星やつらは今までのものと変わらない(プラスマイナス0だから)
= うる星やつらへの回帰
ということで主題を表現しているとも考えられます。
だとしても、ラムがあたるの本心を感じるきっかけとなったツノが無くなるというのはちょっと・・・
ツノが落ちていくシーンはスローモーションになっていますので、上映時間の制限とか、スピード感の保持とかの理由とも思えません。
そもそも、スローモーションにしているのだから何らかの意図があると思うのですが・・・
ツノにもスローモーションにも深い意味は無いと言われればそれまでですが、どなたかこのシーンの意味について分かる方、
返信をお願いします。
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