Topic 5:降順
「リメンバー マイ ラブ」について
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No. 5-57 (2023/08/14 16:06:58)
Name :なるほど
Title:ここ読むのが面白い
私は正直退屈でつまらなかったです。
ありきたりの話で、高橋留美子のセンスが全く感じられなかった。
しのぶの語り、3年に進級したあたりだけしんみりしましたけど。
まあ、私はビューティフルドリーマーも憂鬱でつまらなかった変わり者なので、こういう人もいるということで。
理屈としては、皆さんの書いていることも分かります。
なので、ここ読んで良かった。
No. 5-56 (2023/03/01 16:54:16)
Name :くうにゃん
Title:リメンバーマイラヴ 呪いの解釈
幾つかのコメントを読ませて頂きましたが、私個人の見解を記載します。
呪いがラムが存在した事についての記憶を消してしまうという内容ですが、私は記憶喪失の様に突然記憶が無くなるのではなくて、ラムの存在は有ったという事実は変わらずに、徐々に皆の記憶から忘れられていく。
という流れが呪いの狙いなのでは?と思います。
皆さんも子供時代の友人で、当時は一緒に遊んでいたのに今現在は忘れてしまった人や思い出せない人はいませんか?
呪いはその方法で、あたる・面堂・しのぶ・メガネ・パーマ・カクガリ・チビやその他地球のメンバー全員と弁天・おユキ・ラン・テンなどのメンバーに、自然と忘れてしまったと思わせる、呪いのせいだと思わせない巧みな怨念だったと私は考えています。
面堂が「大事な人、大事な物を失って僕達は大人になっていくのか」
みたいなセリフを言った時に、ああそういう事か?と思いました。
うる星キャラ全員が呪いのせいとは気付かずにラムの事を自然に忘れてくれる事で誰にも邪魔されずに呪いが成立する。
水晶球はそれを狙っていたんだと私は考えます。
そして、その呪いに流されずにラムの事を思い出したのが、あたるだけだったという事です。
全員がラムを忘れる方向で生活し始めた中で、あたるだけがラムを思い出してラムを連れ戻したいと考えた訳です。
そこにあたるとラムの絆の強さを描いたのではないでしょうか?
No. 5-55 (2016/05/23 05:25:15)
Name :ローラ‐レイ
Title:無題
押井映画版ビューティフルドリーマーに倣ってやまざきが自分の思いを込めて作った
ラム・ザ・フォーエバーは無理してつくった張り巡らせ過ぎた伏線回収しきれなくなったり、
肝心な部分や繋ぎめをバッサリバッサリ・・・カットしまくった(せざるをえなかった)結果、
押井映画版2と同様にやまざきかずお版らしいうる星やつら映画を作ろうと失敗して
結局、ナニを云いたかったのか?ナニを描きたかったのか?
見る方が理解しがたくワケのわからない作品に仕上がり
辻褄合わせのラストと共に駄作と呼ばれてしまう作品となった
No. 5-54 (2015/11/11 19:17:32)
Name :モーニングスケッチ
Title:ここのセリフとシーンの入れ替えがあればましだったかも
以前も、私はリメンバーマイラブは納得いかない、許せないと書きましたが、もし、このセリフがこうだったらましかもと思ったので投稿します。
それは、ルウがラムに言うセリフ「人間に戻る頃はラムのこと無茶苦茶恨んでるだろうね」のところを「人間に戻る頃は、ラムのことすっかり忘れているだろうね、ぼくがそうさせたんだ」、とすればまだましかなと。
でも、メガネたちはラムのことを覚えているのでやっぱりまだおかしいですね。あたるが人間に戻る頃には登場人物全員がラムの存在を忘れるというほうが、やっぱり良かったと思います。メガネがラムの写真を焼くシーンとあたるがガールハントを始めるシーンが逆だったら、みんながある日を境(あたるが人間に戻る頃)にラムのことを完全に忘れたと、なんとか解釈できないこともなかったのに、と思います。
缶ジュースで手を切った時に、あたるだけがラムのことを思い出す。このとき、二人の愛の前に呪いが最初に敗れたときだと思うので、水晶玉にヒビが入る描写があったらいいなあと思います。悲しい空想ですけど。
以前の私の投稿では、あたるはラムのことは決して忘れてはいなくて、呪いを打ち破る怒りのパワーをラムから得るため、あえてラムの嫌がるガールハントを手当たり次第にやっていく案を話しましたが、こっちよりはやっぱり全員忘れるほうがいいのかなと思います。
私もラムがルウを追いかけるシーンは好きなんです。ラムが「もういい加減にするっちゃー」と言って電撃を放つラムの仕草が可愛いですよね。もう一捻りあれば、もっといい映画になったのにと思います。
No. 5-53 (2014/10/31 23:42:12)
Name :等伯
Title:(無題)
悪くはないと思うけど、許せない(というかおかしい)という描写があるのがいやです。
ラムとルウの追いかけっこ(?)はかなり良い仕上がりだとは思います。
しかしあたるがラムを忘れる、というのはいかがなものでしょうか。
自分はリアルタイムでみれなかった人間ですので、(とってもくやしい)本編を全部読んだ後に映画をみました。
最終話のボーイミーツガールで最後にあたるは、ラムのことを
「忘れるもんかぁーー!!」
と言いますが・・・思いっきり忘れてんじゃねぇか。と思いました。なんか、台無しです。
そして弁天達が地球から引き上げてしまうところ。これもどうかと・・・。
これもボーイミーツガールで弁天は、地球人を気に入っているといって、ラムが自分だけでなく弁天達の記憶までを消そうとしたことに怒りをあらわにしていました。
さすがに矛盾してるなーと思いました。
このへんは酷いですね。
そのへんがちょっと違っていたらよかったかなと思います。
No. 5-52 (2014/05/31 15:01:29)
Name :モーニングスケッチ
Title:あたるがラムをすぐに忘れたのが許せない
あたるはラムの事を好きなのは今までのテレビシリーズや原作などから明らか。それなのに、ラムがいなくなって、あたるがカバから人間に戻ったらすぐにガールハントをして、それを続けた事が納得できないです。それも、完全にラムの事を忘れていたような感じ(あたるが「なんで今頃になって思い出すんだ?」というセリフから推測すると)。
こんな薄情な事があってはならないと思っています。百歩譲って、呪いがあたるからラムの事を完全に忘れさせたと言うならば、メガネやしのぶたちもラムの事を忘れなければならないと思うんです。
メガネたちはラムが忘れられなくて苦悩しているシーンがあることから、メガネたちは忘れていないという事になります。ラムと一番接していて好きという感情も持っているあたるが完全に忘れているのにメガネたちが忘れていないというのはちゃんちゃらおかしい。呪いであたるがラムの記憶を奪っていたとしても、メガネたちは奪っていないのだから、なんぼでもあたるにラムの事を思い出させる事は可能ですよね、設定が間違っていると思います。
それに弁天たちも、ラムがいないからといってあっさり引き上げすぎでしょう。だって親友でしょ。親友なら何が何でもラムを取り戻すって思うべきじゃないでしょうか。
そこで、私的には後半はこのようにしてほしかったと思っています。
弁天たちは、地球人は足手まといだから、いったん引き上げてラムを取り戻す方法を考えるというスタンスでいったん地球を離れる。
あたるはあたるで、ラムがいないと動揺する事を最初から自分で理解をしていて、どうやってラムを取り戻すか考える。呪いが関わっている事は、今までの経緯から明らかなので、呪いに勝つ方法を考える。地球人は科学力も無いし、力も無いので、ラムのパワーを引き出すしかない。ラムが最も自分に対して感情をぶちまける時のパワーが呪いに打ち勝つ唯一の方法と思い込む(実際は唯一の方法でもないと思いますが、ストーリー的に)。
ラムの感情が高まり、怒りのパワーがみなぎるのは、あたるがガールハントをしている時であることをあたるは思い出す。「ラムがいないときにガールハントをするのは不本意ではないが、ガールハントをしまくろう、ラムはきっとどこかで見ているはずだ。それでラムのパワーが呪いを打ち破って、きっと俺を追いかけてくるようになるに違いない」とあたるは思う。だからガールハントばっかりするようになる。
でもいつまで経ってもラムが戻ってこないので、ガールハントもやる気をなくしてただ声をかけるだけとなり、最後に「どうして戻ってこないんだ、戻って俺を追いかけてくれよ、ラム」と言って泣き崩れる。そこにあたるの前にラーラが登場する。
弁天たちは、進んだ科学力を活かしてラムがどの結界にいるのかを突き止め、ラムのいる結界に行く方法が友引メルヘンランドであることもわかり、そこへ行くが、先にラーラとあたるたちがラムのいる結界へ行ってしまい通路が閉じてしまう。後は、映画の通り。
というストーリーならまだ納得できるのです。うる星やつらが好きなんで、いろいろ自分なりのストーリーを考えたりしています。
No. 5-51 (2012/09/22 22:41:30)
Name :バカルディ
Title:The Bottomline of UY
この作品は赤い糸の伝説を使ってうる星やつらの結論を出していますね。
運命の赤い糸は左手の小指についているものです。つまり、あたるの右手についていた糸は彼の浮気性をあらわすものに過ぎず、ラムとあたるは結ばれる、というのがうる星やつらの結論です。
他の映画に比べて良くも悪くも軽い(?)感じの作品ですが、二人の愛をしっかりと描いたRMLはうる星にとってなくてはならないストーリーだといえます。
ルウの存在感があまりないのもかえって良かったと思います。もしルウがラムとあたるの子孫としてTVシリーズにも頻繁に出てきたらどうでしょうか? 愛に満ちた未来が決まっていることの幸福と決まっていないことのロマン、RMLはそのぎりぎりのバランスを表現しています。
No. 5-50 (2011/12/03 22:42:31)
Name :コリエル
Title:劇場版オリジナルのNo.1
うる星やつら3リメンバー マイ ラブ。うる星やつらの劇場版オリジナルアニメとしてはNo.1だと思っています。
原作のテーストを残しつつ、アニメならでは躍動感ある映像を配し、ラムとあたるのラブ話も盛り込んであり、とても楽しめる作品だと思います。
私は「ビューティフル・ドリーマー」についてのトピックで、BDを『押井(印)うる星やつらの傑作』と書きました。
一方で、こちらではRMLを劇場版オリジナルNo.1と書いている。傑作とNo.1と、何がどう違うんだというのを書いてみたいと思います。
BDは押井守監督が「うる星やつら」の違う可能性に挑戦して生まれた作品と考えています。挑戦といっても、無謀な賭けをした訳ではありません。
押井監督はTVアニメうる星やつらのディレクターを3年間勤めています。その中で、「そして誰もいなくなったっちゃ!?(1983/7/7)」や
「みじめ!愛とさすらいの母!?(1983/7/27)」等の野心的な作品を生み出している。また、オンリーユー(1983/2/13)でも監督を勤めていたわけで、
どの程度の先鋭さなら観客から受け入れられるのかは、ある程度把握していたと思います。その上での挑戦が「傑作」を生み出したのだと考えています。
一方のRML。序盤で「呪い」の存在と「赤い糸」伝説を披見し、あたるの変身・ラムの失踪に続いて、「うる星やつら」世界の喪失を描き。
そこから、「赤い糸」にからめて、ラムとあたるがお互いを救うために行動して、最後は目出度くハッピーエンド。
実にオーソドックスに予定調和の美を描いています。
BDが、未知の航路を開拓する冒険の船なら、RMLは景勝地を巡って回る遊覧船。ゆったりと、安心して見られる映画に仕上がっていると思います。
逆に、その点においてRMLはBDと比べて物足りないと感じる方もおられるようですが。
私は、上述の冒険の分がある点で、BDは「うる星やつら」そのものではないと感じています。そのため、どうしても「押井(印)の」の形容詞を付けずには
おられない。本当にアニメ史に残る傑作ではあるのですが。
そして、RMLの方はオンリーユー、ビューティフル・ドリーマーと来て、3作目にして一番バランスのとれた作品に仕上がっていると思う。
もし、「うる星やつら」が寅さん映画なみに製作され続けたとしたら、RMLはきっとその原点となる作品になっていた事でしょう。
本当に、リメンバー マイ ラブに続くかたちで、うる星やつら4、5・・・が作られていたらと良かったのにと思います。
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