微笑み返し (Page 2)
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「冗談に決まってるでしょうに。まったくこれだから男は油断ならないのよ」
「いいじゃないのキッスぐらい。初めてじゃあるまいし・・・」
「あら、わたしは初めてよ」
「嘘つきっ、俺としたことあるくせに」
「さあ、覚えてないわねえ」


そうしているうちにもう日は西に傾きかけていた。
「あれ、もうおしまい?」
少女が残念そうに訊いた。
「うん、たぶん・・・」
少年はもう一度本を手に取り、ぱらぱらと振ってみた。
すると、本の間から写真が一枚だけひらりと畳の上に落ちた。
ふたりとも間髪を入れず、まるでカルタ遊びのように手を伸ばした。
わずかに少女の方が早く、少年の手は彼女の柔らかい手の上に
ちょうどのっかった格好になった。
「あたしの勝ちね」
「うん、タッチの差だったな」
普通の男女ならドキリとするようなこんな場面でも
幼なじみの二人にはこんな会話になってしまう。
「じゃ、先に見ていいよ」
少女は嬉しそうに笑いながら写真を手に取った。
だが、そのまま彼女の動きは止まってしまった。
「あ、あたるくん・・・」
言葉を失い、ただ呆然としている少女の脇から
少年はその問題の写真をのぞき込んだ。


・・・たった一枚のスナップ写真、
       ふたりがまだ幼かった日の・・・


・・・口付けの瞬間・・・


たぶん当時せいぜい四つか五つだったふたりにしてみれば
ふざけてやったことに過ぎないだろう。
だが、少年はともかく少女にはこの過去を単なる
甘酸っぱい思い出などという風に受け止めることはできなかった。
複雑な気分・・・。
「こ、これももう昔の話よね・・・」
そう言って写真を破り棄てようとした少女の手を少年の手が強く掴んだ。
「あたるく・・・」
そう言いかけた少女の言葉を遮るように
少年の唇が彼女のそれに軽く触れた。
少女の手に握られた写真はそれを合図にしたように
するりと彼女の細くなめらかな指を抜けて床に達した。
彼女は勿論、少年の頬に平手打ちをしようと思った。
しかし、力が入らなかった。
全身が震えた。
なぜだか涙が溢れてきた。
しばらく時が止まったように感じられた。
窓の下を一台のトラックが通過していった。
自転車の音と共に子供達の声が近づき、遠くなっていった。


「どうしてこんなこと・・・」
あまりに突然の出来事に少女はただただ困惑するばかりだった。
なぜこんな事をしたのか?
少年にも良くわからなかった。
ただ、体が勝手に動いた・・・。
「だって俺まだ・・・しのぶのこと・・・」
「言わないで・・・聞きたくないわ・・・。
 私はもうあたるくんの事なんて何とも・・・」
そう言って少女は言葉を詰まらせた。
そして自分の胸に問い返してみた。
本当に・・・本当に何とも思っていないのだろうか。
口付けされたとき・・・本当は嬉しかった。
そう思うと、なぜだかよけいに涙がこぼれた。
「そうだったね、しのぶにとっては昔の話だったね」
春のうららかな陽気とは対照的に
部屋の中には何か重たい空気が流れた。
そしてしばらく沈黙
「あたるくんにとっても昔の話じゃないの。あなたにはラムがいるわ」
それは少年に向けられた言葉だったが
同時に少女自身に向けられた言葉でもあった。
(そうよ、あたるくんにはラムがいるわ。
 私もあたるくんも、お互いにもう何とも思ってないわ・・・)
「ねえ、私とキッスするときラムのこと思い出さなかったの?」
少女に問われて少年は改めて、ラムについて考えてみた。
いつでも少年のことを思っていてくれる・・・。
そして、彼の為だけに笑ってくれる・・・怒ってくれる。
(確かに、今、自分が好きなのはラムなのかも知れない。でも・・・)
「君とキッスをするときには君しか見ていなかった」
無意識のうちに少年は少女の肩に手をまわした。
(それでも・・・それでもしのぶが好きだ)
 しのぶには、ラムに言えないことでも言える。
 自分の弱いところもみせられる。
 お互いにすべてを知っているから。
「あたるくん・・・。私怖いのよ。今こうしてると、
 また・・・またあなたのこと好きになっちゃいそうだから・・・」
「しのぶ・・・」
「だから、あんまり優しくしないで・・・。今お互いに好きになっても
 きっと傷つけ合うだけだから・・・」
そういって涙を拭うことしかできなかった。
「寂しかったのよ。私ずぅっと寂しかった。つき合っていた頃も・・・
 あなたにはいつでも、私だけを見ていて欲しかった。
 いつもいつもわたし不安だった。ラムが来てからは特に・・・」
「いつでも君が一番だった・・・。あの頃はいろんな子に
 こういうこと言ってたから信じてもらえなかったかもしれないけど
 今のは本当だよ」
「今は?今でもわたしが一番って言える?」
この問いに対して少年は言葉を詰まらせてしまった。
本当は直ぐに“もちろんだとも”と言いたかった。
しかし何かがそうさせなかった。
「言えないわよね・・・。だったら・・・いっそのこと
 おまえなんか嫌いだって・・・そう言って・・・お願い」

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