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あなたの世界観
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No. 149-9 (2004/05/09 14:33:22)
Name :黒子
Title:(無題)
よしーまさんの文章すごい!(長い!)
まさにその通りですね

No. 149-8 (2004/05/09 05:18:53)
Name :よしーま
Title:私の世界観(5)押井うる星は「祭の前」、やまざきうる星は「祭の後」
{・・・(4)より}

BDのラストで、友引高校のチャイムが鳴り続けていましたが、あれは、やまざきうる星という、現実という映画(=夢)がまもなく上映開始することを告げています。
BDを上映した映画館の外に足を踏み入れた瞬間、そこはやまざきうる星の世界。つまり、”入っちゃった”ということ。
やまざき版には、ビルの谷間とか、都会の雑踏とか、道路の騒音とか、繁華街とか、近代化した現実世界に住むファンの世界がしばしば描かれています。
「うる星やつら2」の巨大看板は、押井うる星(夢)と、やまざきうる星(現実)の両方を指しているようです。二つの世界を仕切る板。どっちが「2」なのか判らなくなってきそうです。
あなたは「あたる」で、作品世界=TVでまだ放送しているうる星やつらが「ラム」です。
やはり決して結ばれられないが、ファンを辞めないかぎり、まだ夫婦のままです。
しかし、うる星やつらは放送終了してしまいました。

やまざきうる星は、「君去りし後」のあたるを体感させる試みなのだと思います。
あのときのあたるも、雑踏の中をさまよっていましたね。そして未だににファンでいる人を、RML、LTFが鏡のように映しています。そこには、ラム(=作品世界)と訣別したり、忘れそうになったり、思い出しだりするファンの姿が描かれています。

 LTFで、面堂が、戦士として成功し、富と名誉を手に入れ・・・
(かつてうる星ファンだった人が社会に出て、ビジネスで成功したり、
夢を叶えて大活躍したりしている未来の姿のようです。)
いま大勢の美女たちとハネムーンに行こうとした時に、ラムの記憶が一瞬よみがえり、空港の階段から転げ落ちるシーンで、面堂の目が画面いっぱいになり、彼の目の中に飛び込むように感じさせるところ。

観客は鏡に顔を一気に近づけたようになり、目の中に入ってしまいます。そこはあなたの脳の中。夢は脳の働き。

・・・・ところで、面堂というのは、やまざき派の象徴キャラだったと考えられます。(押井派はもちろんメガネ、出崎派は因幡でしょう?)

以上が、私のうる星世界観です。ようするに、体感ゲームです。
「アヴァロン」か。
あるいは万華鏡のような世界。合わせ鏡。絵本をめくる感覚。
今でも好きなので、連れ添っている「もののけ」のようなもの。

子供の頃、母の部屋にあった三面鏡を、三角にして、上から覗き込んだりしていた覚えがあります。
あの合わせ鏡の世界に見とれていた影響があって、やまざき版も好きになったのかな。RMLとか。合わせ鏡のような描写はBDにもあったな。

他にもいっぱい書きたいことがあるのですが、きりがないのでここまで。
 お読みくださってありがとうございました。・・・・・え? シャレにならん?

P.S. 私はTVアニメ派です。支持するのはTVシリーズだけ。
映画は4まで。
このような稀有な名作に出会えたことについて、
神様に感謝しています。

No. 149-7 (2004/05/09 05:14:55)
Name :よしーま
Title:私の世界観(4)4つの映画での角の描写について
{・・・(3)より}

白い花の髪飾りで角を隠しているウェディングドレスのラム(OY)
白い帽子で角を隠して「責任とってね(※注)」と言う幼女ラム
(BD)
ラムの子孫なのに角がないルウ(RML)
角のない普通の女の子になったラムが、胎児を見上げる。(LTF)
(そこは誰の子宮内か。父親は誰か)

このことから、なにかピーンとひらめくかどうかなんですけれどもね。
「うん、わかる」と感じるかどうか。
ほんのわずかの差で、いいほうにも、悪いほうにも解釈してしまう微妙なところ。

ちなみに、和式の婚礼で、花嫁が髪飾りに巻く白い布を、「角隠し」と言うそうです。

押井派の人に言わせれば、多分、角を「隠す」のと、「ない」のは違うというでしょう。
そこが、押井派とやまざき派の壁だと考えられます。
私は角を「見せない」または「見えない」というコトバで、
前期のラムと後期のラムをひとくくりしています。
(バリバリの押井派の人は、同じコトバで、前期と後期を区別しているのでしょうね・・・。)

(※注)あくまで、一つの解釈のためにこのシーンを引用したまで
です。
 この台詞、幾通りもの解釈が考えられるので、上記のような読み方はほんの一例にすぎません。

・・・(5)に続く

No. 149-6 (2004/05/09 05:12:27)
Name :よしーま
Title:私の世界観(3)「君去りし後」のイマジネーション
{・・・(2)より}

星空を見上げると言うのは、過去を見上げるのと同じことです。その星の光は何万年も前に出てきた光なので。

「君去りし後」のあたるの彷徨シーンで、彼が星空を見上げる絵があるのですが、その星空に重ねて、ラムの絵が映っています。
ラム=作品世界と考えると、これは過去のうる星やつら、つまり、1981年から1986年にかけて放映されたTVアニメ版うる星やつらを指していると思われます。

TVの放映というのは、その時代とともに、消えてしまうものです。今はもう過去のもの。脳の中にある記憶なのです。

TVの入れ子の画像を思い出します。TVのニュースキャスターの後方に、(TVスタジオ内に)小さなTVがあり、そのなかのニュースキャスターの後方に、またさらに小さなTVがある・・
合わせ鏡のような世界。ニュースキャスターが動くと、
同時に入れ子TVのキャスターが動きます。

「君去りし後」で、星空と重なったラムの絵を見上げるあたると、その画像を見る自分が相似形になっていることに気づきます。つまり、もう20年も経つのに、いまだにファンでいる自分は、あのときのあたると同じじゃないかと思うのです。
そう思うと、彼が泣きだすと、けっこう自分のことのようにしんみりしてきます。

このあと、あたるの泣き声を機械から聞いたラムの台詞「うちがいない間が心配だっちゃ」は泣かせます。ラムの優しさ、母性を感じます。
これは、あたかも作品世界のほうが、自分のことを
心配してくれるような感覚を与えてくれます。

このエピソードで、二人は相思相愛であることがはっきりしましたが、私とうる星やつらも相思相愛だということがはっきりしました。だから
ファンはやめられない。

私は、最終話の直前に「君去りし後」が放映されたことを重視します。私はかねてより、うる星やつらの最終回に相応しいのはこれだと思っていたので、当時納得して観ていました。

・・・(4)に続く

No. 149-5 (2004/05/09 05:09:41)
Name :よしーま
Title:私の世界観(2)TVシリーズの構造
{・・・(1)より}

「あたるとラム」は、男性なら「自分とラム(作品世界)」と置き換えられる。
したがって、ファンでい続ける限り、うる星やつらはその人にとっては完結しない。
ラブストーリーはまだ続いている。

うる星やつらのラストに相応しいのは、以下の2話
「君去りし後」(67話・最終話前/やまざきうる星の原典)
「ときめきの聖夜」(19・20話/押井うる星の原典)
・・・LTF、OYの縮小版

うる星やつらの頂点、あたラムの魅力が最も輝いた作品は
TVでは以下の2話
「死闘・あたるVS面堂軍団」
(129話/押井期最終話)・・・押井風RML
「異次元空間・ダーリンはどこだっちゃ」
(130話/やまざき期第1話)・・・やまざき風BD

実際の第1話はやまざき派のタブー
・・・LTFの、体を秘匿した十二単姿の鬼姫ラムに対して、
ラムの胸見せ。
実際の最終話は押井派のタブー
・・・BDのキス寸前シーンに対して、”目を閉じて”実際にキスしてしまう二人。

ファンサービスだったのかも。

・・・(3)に続く

No. 149-4 (2004/05/09 05:07:06)
Name :よしーま
Title:私の世界観(1)「ときめきの聖夜」のイマジネーション
{私の世界観(序)より}

うる星やつらは「あたるとラム」のラブストーリーである。

「あたるとラム」は、「既婚のプラトニックを維持する夫婦」。
フィアンセではないし、結婚をゴールにする恋人同士とは違う。すでに夫婦である。

うる星やつらの最終回の想定として、
 1.ラムがなんらかの理由で星に帰らなければならないことになり、
   あたると永遠のお別れをする。
 2. ラムが普通の女の子になって、あたると結ばれる。

本当の第1話は「ときめきの聖夜」・・・ここからラブストーリーが始まった。
(後ろから遡って、これが最終話でもいい感じですが。)
本当の最終話は、実際の最終話の前の週に放映された、「君去りし後」
この2話は、上記の2.1.をギリギリまで表現したもの。

「ときめきの聖夜」と最終話直前「君去りし後」は”折り返し地点”ともいえる。通過点ではない。 あたるとラムは、この2話の間にいる。

二人は、決して結ばれない。なぜなら、住む次元が違うから。
二人は、決して別れられない。なぜなら、相思相愛だから。
「ときめきの聖夜」と「君去りし後」は上記のような2人の関係を表現している。

ラムが鬼や宇宙人のまま、彼の子供を身ごもったりすることは考えられない。それは別次元の話である。
「ときめきの聖夜」はホワイト・クリスマスイブ。最高のシュチュエーション。
手をつないで歩いているあの絵は、二人の和合を表している。
しかし二人が実際に結ばれる為には、ラムが普通の女の子にならなければならない。だがそれは出来ない。なぜなら、ラムはあくまで「もののけ」、夢の世界の女の子だから。

そして、二人とも、そのことを知っている。(←重要)
でも、手をつないで歩くぐらい、いいじゃないか。

(※RMLのルウ(ラムの子孫)に角は無いらしいのですが、彼は未来人であって、仮定のキャラだと考えています。
仮にラムに子孫がいるとしたら、こういう少年ということ。もしラムが普通の女の子になることができたら、あたるの子供を身ごもって・・・という仮定)

「ときめきの聖夜」で、あたるがラムの横顔にハッとさせられたのは、組野おと子バージョンのラムが見かけ上、普通の女の子に見えたからだと推測しています。あたるは、心の底では、ラムに普通の女の子として、現実化してもらうことを望んでいるからです。
そうでないと彼女と結ばれられない。
 それは、男性のうる星ファンでラム萌えしている人・・・ラムのような容姿と性格を持った女の子と付き合いたいと潜在的に思っている・・・が、望んでいたことではなかったか。
 それを映画化したのがLTFともいえる。私は、あの映画は実は、
”あたる”の内宇宙だったのではないかと考えています。
(BDはラムの内宇宙でしたよね。)

・・・(2)に続く

No. 149-3 (2004/05/09 04:56:52)
Name :よしーま
Title:私の世界観(序)
こんなトピックがあるなんて知らなかった。

では、私の世界観をここで披露したいと思います。(←得意になっている)

その前に、お断り。
うる星の世界観というのは、結局その人が、「うる星やつらをこういう作品として感じたい」という願いがこめられた解釈のことなのだと思います。
ある人の解釈を読んでも、それはその人の脳にはそう見えている(感じている)解釈であって、自分のうる星世界観と大きく異なっていても問題にする必要はないのです。

以下の書き込みは、あくまで私の目にはこう映っているという留保つきです。
ものの見方は人の数だけあります。正解は一つではないといってもいい。

 尚、私は、あくまでアニメ版の世界観の中で暮らす者です。
ここで言う「うる星やつら」はアニメ版のうる星やつらです。

・・・(1)に続く

No. 149-2 (2003/03/16 00:49:22)
Name :やぎやぎ
Title:カオス
無秩序な世界で繰り広げられる、ハチャメチャな日常。
宇宙人に襲われたり、校舎が崩壊したり、街がカメの上に
乗っていたり、それこそ本当になんでもありな世界。
その中で生きるバイタリティに溢れたキャラクター達。
掟など平気でやぶる大胆さ。
アニメが好きなのでこんな感じですね。言いたい事が色々
ありすぎて言葉では説明しきれないです。

No. 149-1 (2003/03/15 22:17:35)
Name :DDDD
Title:あなたの世界観
この掲示板に、何回か来ているうちに、みなさんのうる星やつらにもっている、イメージというか世界観がそれぞれ異なっているようです。
BDのところで世界観が壊れたという人がいるときいて、痛感しました。
俺は原作派なので、このような世界観をもってます。 なんでもありの設定の中で、繰り広げられる、大胆にうごきつつ、人間らしさを極端にだしたギャグ。これが俺のうる星やつらの世界観です。よーするに壊れているのにまとまっている(簡単になってないな)
みなさんはどういう世界観をお持ちですか? 

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