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あなたの世界観
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No. 149-29 (2004/12/18 08:18:28)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(11)BDを観ている人
>「BDのラストで、友引高校のチャイムが鳴り続けていましたが、あれは、やまざきうる星という、現実という映画
(=夢)がまもなく上映開始することを告げています。
>BDを上映した映画館の外に足を踏み入れた瞬間、そこはやまざきうる星の世界。つまり、”入っちゃった”ということ。
やまざき版には、ビルの谷間とか、都会の雑踏とか、道路の騒音とか、繁華街とか、近代化した現実世界に住むファンの世界がしばしば描かれています。」

上記は、[No.149-8]拙文「私の世界観」(5)の一部分です。
BDを原作者の高橋留美子先生もご覧になったことでしょう。
この作品は、観た人を、「友引町の住民」にしてしまいます。もちろん漫画家もです。
高橋先生は、BDがお嫌いだそうです。その理由はたくさん考えられるのですが、以下は一つの推論です。

まず、うる星やつらの創造主は誰か?もちろん高橋先生です。
しかし、BDを観せることで、原作者よりも大きな創造主がある世界へ、原作者を入れてしまいました。
原作者まで、友引町の住民と化したのです。だからLTFでは、面堂による「住民説明会」のシーンで、観客の中に、高橋先生の姿が鏡のように映っています。
もう「うる星やつら」は、もともとの創造主の手を離れて、もっと大きな創造主によって動くようになってしまいました。
それは漫画家にとっては容認できなかったのではないでしょうか。

BDの夢邪鬼。彼は押井監督の影というのが、大方の見方ですが、
私は夢邪鬼は「同人作家・コミケ」の象徴と考えます。
同人作家・コミケが潜在的に恐れるもの。それは「著作権」でしょう? だから、(C)マークのついた”がしんたれ”(夢を喰うバク)が活動するのを恐がっていました。

BDのラストの、例のキス寸前シーンで、メガネたちが唸っている声に混じっている女性の声。(よーく聞くと判ります。)
これ、誰? しのぶは画面に映っていないし、初期うる星と違って、しのぶは面堂が本命なので、あたるとラムがキスしようとするところに唸ることもないだろう。まさかセンセイの声じゃないでしょうね。

それでは、うる星やつらの本当の原作者はいったい誰になったのでしょう?
私は、「観ている人(つまり、あなた」)」だと思うのです。(BDの風鈴のシーンの後にも出ていましたね。)
なぜなら、今、あなたの目に映っている世界は、自分の脳が、目から入った情報を一旦バラバラにしたのを組みなおして作り上げた「あなたの作品」だからです。

観ている人が出てくる映画を観ている人の現実世界という映画の中に住んでる観ている人が観ている映画という現実の夢を観ている人の現実の映画という夢・・・・・(合わせ鏡、入れ子構造)

No. 149-28 (2004/12/18 08:15:35)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(10)「ときめきの聖夜」と「異次元空間」との対称性
☆「ときめきの聖夜」(19話/”押井うる星”第1話)
ラム「ダーリンはうちが嫌いなの?」
あたる「いや、好きだよ」

☆「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ」(130話/”やまざきうる星”第1話)
ラム「ダーリン、うちのこと、好き?」
あたる「ばぁか、そんな恥ずかしいこと昼間っからいうやつがあるか」

私には、この二つの話の矛盾は感じられません。ラムの質問は逆ですが、あたるが彼女に伝えていることは同じです。

もっとも、130話のあたるの返事に対して、
19話で、あたるは、”昼間っから”「好き」といってるではないか・・・というツッコミは出来ます。
私は、このことについて、以下のように解釈しています。

「ときめきの聖夜」は、「ダーリンはうちが嫌いなの?」と訊かれたから、
「昼間っから」でも、言ったのである。

「あたしのこと嫌いなの?」という女の子の問いに、「そんなこと無いよ」だの
「嫌いじゃないよ」ではダメ。うろたえてもダメである。「いや、好きだよ」が最良の答え。

「嫌い?」ラムが心理的に離れていく。それなら、「いや、好きだよ」とサラッと答えて引きつける。
ここで問題になっているのは、あたるが「組野おと子」とデートするかどうかであって、あたるがラムのことを
好きでいるというのは自明という状態。
「ラムのことが好きなのに、なんであたるは他の女の子とデートするのか」と思う人がいるだろうが、
あたるの言い分は、押井版うる星の中にはっきりと書かれている。
(もっともそれは男性ファンなら理解できても、女性ファンや、女性の原作者には容認できない論理でしょうな)

「好き?」ラムが心理的に近づいてくる。それなら、ああいう風にはぐらかして、先に歩いていくことで、
ラムをリードする。後からラムが追っかけるのですが。
あたるがラムについてどう思っているのかはっきり言う場合は、かならず男性キャラの前だけであって、
ラムがいるところでは、「嫌いなの?」と訊かれない限り言わない。
あたるは好きと「言わない」だけであって、「言えない」訳ではない。

そういうバランスで付き合っている。あたるが、ラムとの距離を微妙にキープしているのである。
他の女なら、飛びついたり、キスしようとしたりするのに、ラムにはそうしない。
なぜか。「本当に好きな女(ひと)」だからですよ。(←わかるかな〜〜)

あたるに「好き」と言わせるのは簡単なんだ。
「うちのこと嫌い?」と直接訊けばいい。
あたるが、ラムのコトを嫌いになるはずがないだろう。

なお、原作34巻「ボーイミーツガール」には、上記の2話と対照的な台詞(※)

ラム「(ダーリンは本当に、うちのこと、嫌いだっちゃ?)」
あたる「(言わなくちゃわからないのか)」

もう一組、
ラム「好きって言うっちゃ〜〜〜!!」
あたる「誰が言うかアホ〜〜〜!!」

(※)「対称」と「対照」は違うことに注意。【重要】

No. 149-27 (2004/12/18 08:13:15)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(9) 因幡篇についてA
実際怪しいと思われるポイントの一つに、あたるが未来の扉のノブをつくって、ラムのいないハーレムが出たことが挙げられます。
その後、「ハーレムなんか作ったって、ラムがいなくちゃ」と言う。
つまり、あたるはラムのいるハーレムを想像したはずだと考えられます。それでラムのいないハーレムが
出てきたすれば、「運命製造管理局」というシステム自体を疑わなくてはならないでしょう。
もう一つは、「ボーイミーツガール」で、作っても作っても黒いノブが出てきて、扉の向こうは真っ暗であると
いう因幡の台詞。これは、地球が必ず闇に覆われる未来を示します。
でもルパは地球人に茸を駆除する豚を貸したので、扉のとうりになりませんでした。

この「運命製造管理局」という組織は、ただの未来予想屋なのではないでしょうか?予想なので、当たることもあれば外れることもある。
実際の未来がそうなるという保障にはなりません。
扉を落下させても、予想を撤回しただけの話。
一方、RMLの「ラムはルウという少年の遠い先祖」は「予想」ではなく、そういう”設定”なのです。(※注)
では、もう一人の男性の先祖はだれか?赤い糸を信じるなら、もう答えは明白です。

(※注:原作「系図」もそうです。しのぶは将来「諸星こける」という名前の男の子を産むという”設定”。
ただ、原作ファンで、あたるvラムが将来結婚すると信じたい人、および因幡vしのぶが将来結婚すると信じたい人なら、
「運命製造管理局」の話が有効である・・・つまり、しのぶとあたるが夫婦になっている未来の扉の落下によって、
「系図」が無効化されたと信じなければなりません。
そのかわり、あたるvラムの結婚式の未来も一緒に無効化されたことを認めなければなりません。)

「『赤い糸』なんか無い」というなら、「『運命製造管理局』なんか無い」と私は返します。
運命を作っているところなんか見えないからです。赤い糸も見えませんけど。
見えないものをあるとか、無いとかいっても、それは神様がいるかいないかの論争と同じで、答えは出ません。
どちらを「選ぶか」の問題です。私はRMLを選ぶ。

因幡篇をアニメ化しても、それはやまざき版とは前提が違う世界のうる星です。
前提が異なる作品を同じグループにしたら混乱するだけです。だから線引き。

私が「TVうる星」派と自称し、TVシリーズとLTFまでの4つの映画を支持している理由は、
そこには「系図」も「因幡」も無いからです。その方が好都合ですもん。あたるvラム派としては。

「運命製造管理局」の局長さんは、やっぱり原作者なんですかね?

No. 149-26 (2004/12/18 08:10:40)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(8) 因幡篇について@
因幡は完結篇の監督を務めた出崎哲氏の影キャラです。因幡が出てくるOVAのディレクターを務めたのも
この人でした。
しのぶは原作うる星の象徴キャラ、高橋留美子先生の影です。
本当はしのぶのような地味目の女学生がヒロインになるほうが、この漫画家らしい。
因幡はラムには目もくれず、しのぶ一筋です。だから出崎氏は「原作に忠実に」完結篇を作りました。

原作の、因幡がでてくる作品群では、あたるとラムが別れた場合の未来が幾つか提示されていますが、
これをアニメ化したら、RMLとコンフリクトします。
この二人に未来があるとしたら、「ラムがあたるの妻になっている(正式に結婚している)」は外せません。
他の登場人物の組み合わせは、いろんなバリエーションがあってもいいですが、
すべての未来の扉に、二人は別れていないという状態が描かれていなければ、
もうRMLとは別次元の話になります。
「赤い糸」は切れないし、二人に将来というものが仮にあるとしたら、
二人の子孫ルウが存在していることになっているからです。
(「異次元空間〜」で出てくるバリエーションは、「パラレルワールド」であって、未来の話では
ないです。)

さらに、二人が結婚している未来の扉は落下するはずがありません。それでも落下してその未来が否定されたというなら、
「赤い糸は切れない」と矛盾します。
となると考えられるのは、【「運命製造管理局」というシステム自体が怪しいこと】です。

No. 149-25 (2004/12/18 08:07:37)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(7) 「うる星やつら2つ」
私はアニメ版うる星を、以下のように分類しています。

まず、TVシリーズとOVA、LTFと完結篇との間に、それぞれ境界線を引きます。

TVシリーズと、TVのディレクターがそのまま監督を務めたLTFまでの4つの映画をひっくるめて
「TVうる星」(=アニメ版うる星やつら)
OVA、「完結篇」、「いつだってマイダーリン」を
「ビデオうる星」(=アニメ版うる星やつらII ※)と呼んで区別します。
{※「II」というのは、ちょうど原作派の人たちが、BDを観て世界観を崩されたと非難したことに
因んでいます。}

「いつだってマイダーリン」を、こんなのうる星じゃない!!という人は多い。
完結篇や、TVシリーズと同じ声優を起用しているのにも関わらずです。
キャラデザインや、声が同じだと、どうしても同一人物と思うものですが、多くの人が
「いつだって〜」のあたるはあたるじゃない・・・と言う。
その根拠はなにか。キャラクター(性格づけ)の違いでしょう?
性格づけの違いによる境界線引き。実は、TV130話のラムが、同じことをやっているのです。

パラレルワールドの優しいあたる。しかも声は明らかに古川登志夫さん。
ラムはそれでも、「惚れた」とか言われても、このあたるを別物として退けました。
ラムはどこで判断したのか。それはキャラクター(性格づけ)でしょう。ダーリンがあんな歯の浮く台詞を
言うはずがない。
そもそも、あたるという男は、ラムを口説かない。それは当たり前。なんで女房を口説かなきゃいかんのだ。
「惚れた弱みさ」は口説き文句である。
こういうことは、本物のダーリンだったら思ってても言わないはずなので、ラムはこのあたるを別物としたのでしょう。

(このシーンには別の解釈があって、このパラレルあたるが嘘をついているとラムが感じたというもの。たとえ男が女に甘い言葉を発しても
本心からのコトバでなければ、それは嘘と見抜かれてしまうものです。逆に一見素っ気の無い態度でも、本当は好きでいてくれるという
気配が、分かる人には分かるもの。「桜の枝を持っているあたる」の態度と返事から、そう感じたので、
ラムはそのあたるを本物のダーリンと特定した。)

たとえ見た目が同じでも、声が同じでも、違うものは違うと判断する姿勢を、ラムちゃんは身をもって示したのです。
私も、彼女を見習って、違うものは違うと判断させていただく。
「このあたるは、私の知っているあたるではありません。」この判断は、「ボーイミーツガール」に対して私もやったことです。
完結篇のあたるは、ニセモノと本物の区別が出来なかったが。
私にとって、「完結篇」と「いつだってマイダーリン」は、TVうる星に対してパラレルワールドです。

TV130話のパラレルあたるは、ひょっとしたら、完結篇よりずっと後のあたるだったのかもしれません。
ラムは彼にいくつか質問しますが、その答えは、このパラレルあたるが「2度目の鬼ごっこ」を経験していると
しても辻褄が合う。

No. 149-24 (2004/12/18 08:05:21)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(6)129話・130話はアニメ版の頂点
「私はアニメ派です」と表明したとき、どの範囲を示すのか。
たとえば、完結篇に関するレビューを読むと、原作より良かったという評価が散見される。
それなら、この人は、アニメ派なのか。「ときめきの聖夜」や、「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ」はアニメでは無いのか。
完結篇支持の人は、無意識の内に、「ときめきの聖夜」を無視してはいないか。

原作34巻のラムは、「ダーリンは好きって言ってくれたことが無い。」と言う。
これは完結篇では削除されているのか。私がこの映画を敬遠している理由は、この台詞が削除されていなくて、
完結篇がTVうる星の延長線上にある話だとすると、あたるとラムは完結篇で別れたという解が出てしまうと思ったからです。
その結論とは、「好きと言ってくれたことが無い。」というラムは替え玉。つまり、「ときめきの聖夜」のラムとは別人で、
本物のラムは「うちはルパと結婚するっちゃ」と言ったほうのラムになってしまうというもの。
ラムはあたる以外の男と結婚すると言い、あたるは替え玉ラムを最後に抱きしめて終わり。
「雪の中で手をつなぐあたるとラム」「桜並木を背景に腕を組むあたるとラム」の行く末が、
「ボーイミーツガール」(原作34巻)と同じとするのは、この二人の恋愛を愚弄することになるのではないだろうか。

私が監督で、原作どうりに制作するようプロデューサーに要求されたのなら、
完結篇とは銘打たず、単に「ボーイミーツガール」として、
ラムの髪を原作風に虹色にして、メガネは初めから一切出さない。
(メガネがいたら、ラム親衛隊による、ルパからラムを奪回するための工作活動が起こって、ストーリーが変容してしまうからです。)
過去のいろいろな出来事を思い出すという演出があるそうですが、それには原作の絵を使います。

プロデューサーは、「いつだってマイダーリン」をどういうつもりで制作することに決めたか。
パート5の映画を完結篇と銘打ったからには、続編など作るべきでは無いのではないか。

そういうお前、まず完結篇を観てから言え・・・と言われれば実は返すコトバは無いです。だから中身についてはこれ以上何もいわない。
だが、そう反論する前に、TVうる星の二人の次の台詞に耳を傾けたらどうだろう。

☆あたる「おっさんがラムに手を出したら張っ倒そうと思って」【BD】
☆あたる「俺はラムに縛り付けられるのはまっぴら御免だが、ラムを人にとられるのはもっと我慢ならんのだ(あたるの信念)」
【TV129話】
☆ラム「うち、何があってもダーリンと離れないっちゃ。(中略)いつかしのぶが言ってたっちゃ。結ばれている二人は、
赤い糸で・・・・うちとダーリンだって、・・・・うちは、ダーリンの妻だっちゃーーーーー!!!(ラムの信念)」【RML】
☆ラム「(『好き』と明言せず、はぐらかしたダーリンに対して)こんどこそ、本物のダーリンみたいだっちゃ」【TV130話】
129話、130話、BD、RMLのあたるとラムちゃんは、アニメ派の誇りなのです。
主人公は勇敢で男らしく、ヒロインは健気でエレガントでなければ!!

この二人の信念や態度を考慮すれば、原作34巻のアニメ化に疑問を持てないか。
あたるはルパを張り倒したか。ラムをルパの元に置いて茸を食らっていなかったか。
信念とは、何があっても優先される考えです。何があっても!!
この二人は、出会ったばかりの頃は、仲は最悪でした。しかし一緒に住むにつれて、しだいに慣れ、だんだんハマっていった
夫婦なのです。こういうプロセスを経たカップルは、そう簡単には亀裂など生じない。相手の欠点は、お互い知っている上で
連れ添っているからです。
しかも、「電飾魔境」を経験しているなら、なおさら、「ボーイミーツガール」のような展開になるとは思えない。
「電飾魔境」はアニメ化している。「見合いコワし」も、「君去りし後」も。

No. 149-23 (2004/12/18 08:03:16)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(5)ラムは観念=脳の働き
LTFは「ラムの角が消えた」です。「抜けた」のではありません。
(DVDパッケージには「14.ツノのぬけたラム」とプリントされていますが
・・・これは間違いか、意図的なものでしょう。)
もし抜けたのなら、あたるの部屋の床に角が転がっていなければ
なりません。しかし、LTFにはそういうカットはありません。ラムは「モノ」ではないからです。
幽霊の足がスーッと消えて見えなくなるように、ラムが角を”見せなくなった”
あるいはこちらから、”見えなくなった”と考えます。

ラムは鬼族の宇宙人ということになっています。誰も鬼なんかに出会ったことなど無いでしょう。
宇宙人だってそうです。だから、彼女は観念的存在です。幽霊や精霊や、妖精などと同じです。
私は、ラムは、望ちゃんや、小鳥ちゃんと同じ次元の女性と考えます。
ラムは幽霊ではないのですが、鬼とか、宇宙人というのは、想像上の存在です。

原作34巻では、ラムの角が、彼女の身体から「離れて」しまいました。幽霊や、妖精や、精霊のようなものが、
身体性を帯びてしまった。
「幽霊が骨折する」ようなものです。私はついていけなかった。
(テンちゃんの角が落ちたり、コタツ猫のヒゲが切れてパラパラと落下する絵はあるのですが、これらのキャラは
いいです。サブキャラですから。)

しかも、角が抜けるプロセスがいかんともしがたい。ラムが自然に成長して、その過程として
角が抜けるのならまだいい。でも、ゲストキャラによって、強制的に成長させられています。
女性を連れ去るために、女性の体に細工をして無抵抗になったところを狙い撃ちするのには、
ある種の犯罪性を感じざるを得ない。

34巻では、ラムの方を見れば、角は「見えない」のですが、あたるの手に握られているので、
角は「見える」。だから、私は「ボーイミーツガール」についていけません。

一方、押井版オンリーの人にとっては、「ときめきの聖夜」のあの髪型だから角が見えないのであって、
普段のラムの髪型で角を見えなくしているというのが、ついていけないから、LTFが嫌なのかもしれませんね。

見えないから、無いのか。無いのは、見えないからか。
無いから、見えないのか。見えないのは、無いからか。

LTFのラムの角の喪失は、「普通の女の子になる」であり、「ボーイミーツガール」のそれは「大人になる」ですから、
意味づけが微妙に、しかし大きく異なっています。
「大人になる」は、いろんな意味があるコトバです。「ボーイミーツガール」のラムは大人だろうか。

No. 149-22 (2004/12/18 08:01:14)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(4)RMLの見方
ルウはあたるとラムの子孫です。赤い糸で結ばれているから当然です。
赤い糸は切れません。
ラムから伸びる赤い糸は一本だけで、あたると結ばれていたので、ラムが結婚するとしたら、
相手はあたるしかありえないということです。

ならば、ルウがラムの子孫なら、あたるの子孫でもあるということです。単純な話です。

しのぶの台詞は微妙です。「これ(赤い糸伝説)は地球の話だから」ここで言葉が切れているのがミソです。
しのぶが言いたかったのは
1.「赤い糸伝説は、地球人同士の男女間において適用されるの。宇宙人には適用されないわ」かもしれないし、
2. 「私は地球にしか住んでいないので、赤い糸伝説と同様の話が宇宙にもあるかどうかは私にはわからないわ」
かもしれないです。

それで、あたるとラムが赤い糸で結ばれているのであれば、
「地球人同士の男女でなくてはならない」あるいは「宇宙にはこのような伝説は無い」としても、
宇宙人のラムが地球人のあたると赤い糸で結ばれていたのなら、それは「ラムが地球人の女の子(普通の女の子)になる可能性」
を示す。
という意味を引き出せるのではないでしょうか?ラムが普通の女の子になったら糸が切れるなんて誰も言っていない。

二人の子孫に角が無いということは、この二人に将来というものがあるとしたら、考えられるのは次のパターン。

1.ラムが地球人の女の子(普通の女の子)になって、あたるとの間に角の無い地球人の子供を生んだ。
その後、ルウの代でも角は無かった。

2.ラムが鬼族の宇宙人のまま あたるの子を生んだが、角は子供には遺伝しなかった。
その後、ルウの代でも角は無かった

3.ラムが鬼族の宇宙人のまま、あたるの子を産み、子供に角があった。
その子孫が、鬼族の宇宙人よりも優性遺伝子を持つ人と結婚したので、ルウの代では角が無くなった。

4.あたるが鬼族の宇宙人になり、ラムと結婚し、子供が出来た。当然その子にも角があったが、
その子孫が、鬼族の宇宙人よりも優性遺伝子を持つ人と結婚したので、ルウの代では角が無くなった。

私は、1.の未来像が好みです。理由は以下のとうり。
a)これにより、「ときめきの聖夜」とLTFの話が生きてくるから。
b)鬼と人、宇宙人と地球人との結婚、出産というのが、想像つかないから。
c)あたるが、鬼族の宇宙人になるとは、想像つかないから。

ダレや、黄色いリボンを使えばいいなんて言う人は。そういう風だから以下略。

No. 149-21 (2004/12/18 07:58:53)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(2)「ときめきの聖夜」とLTF
押井うる星の原典「ときめきの聖夜」(19・20話)のラストシーン
ここでは、クリスマス・イブに、あたると手をつないで歩いている普通の女の子(見かけ上ですが)のラムが
描かれています。

「ときめきの聖夜」のラストシーン近く(ラムがあたるにマフラーをプレゼントしたシーンの後)、
ラムは角を「見せていない」のですが、一瞬、宙に浮きます。
つまり、あの髪の中には角があるということ。それが「現実」です。
あたるはラムの手を引っぱって、彼女を地上に降ろしてしまいます。
(このあたりに、彼の願望や、ラム観が隠れています。)
その後、手をつないで雪の街中を歩いていくシーンで終りました。クリスマス・イブです。
あれから二人は、まっすぐ家に帰ったんだろうね? もっとも同居(同棲?)しているのですが。

これをちょっと極端にしたのがLTFで、この映画ではラムが本当に普通の女の子になりました。
でも、あたるはそういう状態のラムを直接見ることなく、ラムは失踪してしまいました。
残された日記は、”組野おと子ラム”の置き手紙か。

その後、ラムは戻ってくるのですが、
あたるのもとへ駆け寄るラムには角があります(見えます)。しかし普段着を着て地上を歩いて来ました。

私は、LTFは「あたる」の内宇宙だと考えています。
あたるの心には、ラムに普通の女の子になってもらいたい。そうすれば彼女を抱けるのに・・・
という潜在的な願望と、【「それは夢だ」という現実認識】が混在しているのです。

「♪これ以上は抱けない、あなたもつらい」
「♪遠い同じ夢を胸の奥で燃やせるのに」・・・「メランコリーの軌跡」より。

No. 149-20 (2004/12/18 07:56:35)
Name :よしーま
Title:続・私の世界観(2)TVうる星は巨大なエッシャーの絵
私は、押井版(TV129話までと、映画1、2)と
やまざき版(TV130話以後と、映画3、4)は、エッシャーの絵のように、
対称性をなす世界だと思います。
私の世界観は、「前期・後期の対称性」から、浮かび上がってくる意味を拾い上げるという見方によるものです。

☆押井版は、あたるが主人公の、ラムの内宇宙。その極致がBD。(OYは外宇宙)
やまざき版は、ラムが主人公の、あたるの内宇宙。その極致がLTF。(RMLは外宇宙)
ただし、この仮説からスタートして、考察していくと、いつのまにやら反転する。エッシャー的。

☆LTFのラムの角がないというのは、「ときめきの聖夜」の組野おと子ラムに由来。(角を見せないラム)

☆OYの「ラムのバラード」はあたるを失ったラムの内宇宙、
「君去りし後」の、あたるの彷徨シーン(「心細いな」が流れる)はラムを失ったあたるの内宇宙。

☆RMLではあたるが、「あたるVS面堂軍団」ではラムが、 一時的に相手に関する記憶を失う。

☆BDのラスト近くで、あたるがラムの寝顔を覗きこんで安堵するシーンと、「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ」
(130話)のラスト近くで桜の木の上からダーリンを見下ろす美しい表情のラムが、対称。
いずれも、この人が”本物の”ラム(ダーリン)とした。

☆LTFの作中映画の中の「鬼姫降臨」は、第1話「うわさのラムちゃんだっちゃ」と【対照】。
なにが対照かというと、ラムのコスチュームです。

☆OYの二人の結婚式(あたるが逃げ出した)と【対照】になっているのが、最終話のキスシーン(誓いの接吻)。

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