うる星やつら伝言板

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うる星やつらについて、深く掘り下げて議論などを行う伝言板です。
深く、熱く語りたい場合などにご利用ください。
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(無題) 引用
No.6-77 - 2002/11/28 (木) 00:42:23 - ふぁんっす ID:pGor.GXA
 1115さんお返事ありがとうございます。
 いやぁ、なんか誤解が入ったかなぁ。なんて思ったりしたのでレスを打つことにします。
 私が自分の映画論を記したのは『夢解釈』に関して持論を展開するとき、ただ単に【連中はスポークスマンだ】とするよりもその解釈の拠所を示したほうがいいよなぁと思ったからです。まぁ、個人の世界観は自分で所有してるだけですから外部に世界観を共有してもらおうとすると言語上で了解を得るしかありませんからねぇ、、。
 次にNo.6-70の見解に関してですが、かわしたわけではありませんよ。本当に。前回私が書いたものが中途半端だったもので自分の考えをまた訂正して表に出しただけです。part1だけだと確かに外的世界で利用される分にはいいですが、個人的に映画全体の解釈を明確にしたかったもので。
 感想が完結してることについてはお恥ずかしながら一種の悦楽感ですねぇ、、。『おお、こういう考え方をしていたのか!』てことで。問題解き終わった後の満足感とでもいうのでしょうか。再び映画論を展開させていただくと、(エ?もういいって?そんなこと言わずに聞いておくれよ。。)映画ってものは結局は創造性じゃないでしょうか。淡々と現実をえがいてゆくのもまた綺麗なことですが、ネヴァー・エンディング・ストーリーを引き合いに出したように現実や幻想というものをどのように捉えて想像力でカヴァーしてゆくかってのもまたをかし。わたしゃこういうのが大好きでこの共通性を見つけ出したときの喜びと言ったらそりゃもう。・・・・・てな具合な情緒論ははっきし≪使えません≫ね。従って【超個人的な感想】とすることで議論から抜けていたのでした。。
 最後に:『ラム・ザ・フォーエヴァー』に関しての私独自の解釈は出し終えましたので、後はよろしく。連続体としてのうる星やつら視点から解釈するもよし、独立体的視点から見るも、監督別としてのうる星やつら視点から解釈するもよし。全て一つに向かって共通解釈を与えることが出来るからです。共有しようとしたらそれらを妥協しあって纏めてゆくか、一つを基盤として纏めてゆくか、の『どこに自分の考えが属しているか』でしょうね。ではでは

夢解釈補足 引用
No.6-76 - 2002/11/27 (水) 11:56:43 - 1115 ID:aWhDRkl2
私が「完結している」と述べたのは、ふぁんっす氏の「感想」に対してのものです。
そのような表現をあえて使ったのはNo.6-70 の私の書き込みをかわされたかな、と感じたために「完結」という表現を用いました。
まさか自身の映画論を展開されるとは思いませんでしたが。
氏の映画観に対して異論はありませんが、私が重視しているのは「どう観るか」というよりも「見終わった後」です。
言い換えれば、それがどういう映画であったのかを探ることであり、問題は、映画の中で何が起こっていたのか、その点につきます。
氏の言い方を借りれば、原因と結果、です。
映画の中では結果しか語られないのであるから、原因は自ら導き出すしかないということになります。

そこで前回の説明を補足しておきます。
前回述べたことは夢の内容の解説であり、なぜ二人の夢があのような形をとったのか、を映画の外から根拠を持ち出し、夢の内容の解説をしようと試みたのです。
あの夢がどういうものであり、どのような意味があるのかはすべて映画の中に含まれており、あえて前回のような解説をせずとも理解は可能です。
要するにラムが夢を終わらせた、ということが確認できれば十分です。

ラム喪失についてはいずれ機会をあらためて述べることになるでしょう。

私の見解part3 引用
No.6-75 - 2002/11/27 (水) 02:54:18 - ふぁんっす ID:O9pJ7j1U
 普段映画鑑賞するとき、私は誰が出演していようと俳優の名前なんか皆目気にも留めずにその中で演技されているキャラクターと彼らが織り成すストーリーだけを楽しんでいます。従って私に関して言わせてもらうと『映画の問題はどう云う世界が一つの時間的枠組みの中で創られているか』でしかないのです。キャラクターたちはその物語展開の中に設置されていたに過ぎず、誰がどの役割を担おうが結局物語りは一つの終結に向かって進行してゆく。確かに、ストーリー性からどういった特性をもつキャラクターがその場所に適するかってな問題は出てきますが、そのキャラクターが誰であるかまでは重要で無い。まぁ、スーパーマンなんてヒーロー物ならば彼が彼の立つ世界で絶対的な影響を持つ以上はそのキャラは排除出来ませんが、そのスーパーマンの正体となると偶々どっかの星から来たクラーク・ケントでなくても同じ星から来たピーター・パーカーという別人でも勤まるわけです。なぜならば人が既に創造してしまった以上、その世界の終結は必ず設定されているので歴史を現代から過去の出来事を見ているのと同じ立場に立たされているような意味になってきます。要するに『その出来事がそこにある』だけなのです。(キーワードは結果と事実)
 特にこのコミックからアニメの変換なんてモノは原作者と監督なんて創造主が2人存在するので完全に同一人物でもない限り彼らの意志に相違が出てくることは必至です。だから著作権をめぐっての裁判が起こったりもするわけですね。
 それでは、ここはうる星やつらの世界を共有し合う場所なので話を元に戻します。私は海伝言板にも書きましたが、残念ながらTVシリーズは67話くらいまでしか観た事が無く、218話まで続き、かつ、監督がその間交代している壮大なこの作品(※壮大:何せ創造主が3人いて、彼らは相互に作用し合い作品にそれぞれのイメージを挿入しているのだから)に関しては修士課程終了までの知識を全く持ってはいない。よって私に理解を与える手段は上記した観点と【映画自体】の中で与えられている情報をフルに使うことだけなのです。
 ここから私は面堂君やしのぶさんを【夢のスポークスマン】としての立場としか捉えておりません。劇中で我々が観察したのが偶々面堂としのぶだったわけです。メガネたちでも良かったのでしょうが製作者側(=創造主)は彼らを見せ場に選んだだけと捉えてます。証拠に面堂としのぶが車で友引高校に到着したときにサクラさんが
 『霧が濃くなって来たと思ったらまた誰かの夢が凍りついた』
と述べてます。我々が見ていた範囲で面堂がご近所の皆様方に『夢が凍りついた』趣旨の連絡はしてませんでしたので『見えないところで連絡した』とのお声があるかもしれませんが事実は観察範囲を逸脱しない方が望ましく思えます。
 次に、あたるの行動に関してですが彼は当初『ラムが消えかかっている』との意見には否定派でした。しかし面堂からアルバムを見せられて信じるに至った。だから彼は【桜引き上げ調査】にも同意したわけであり、この間ずっと面堂邸に居たわけです。一応の仕事が終ってから文字通り『ラムの存在が消えかかっていること』に不安に駆られたあたるは急いで帰路についたのでしょう。
 また、この物語は多面性を兼ね揃えており確かに【伝説】は実在します。
そして1115さんの見解を参考に致しますと実際に【夢のスポークスマン】が誰であれ【ラムが出てきて皆の目が覚めた】事は事実です。【ラム=鬼姫】であるとすればこの力が働いたのでしょう。
 然しながら私はここの解釈を次のように捉えます。;以前に"【凍結した夢】が崩壊するまでラムは【町の記憶】と共にいることになります。"と出しましたが夢が凍結し始めるのはラムが失踪してからが始まりです。ラムはこの間【町のコア】の中で存在しているのです。
 夢が凍結してからの集会で面堂は『ラムさんは異分子』と結論付け、『排除しかかっている』とも述べてます。上の事と合わせて考えると【ラムは見かけ上排除されたが実際は排除されるプロセスを踏んでいるだけ】なので【"ラム=町"の存在は未だにキャラクターたちに影響を与えている】のです。このために"夢=町の意識=それが作り出そうとしている新たな現実"は完全なものとならずにキャラクターたちの現実との間で力を減じられて凍りついた。詰まり"ラムがまだ存在感を持っている"ことがリミッターとなっていたと考えられます。故にラムが何らかの力を発動させた事実が見えない限り私はこう解釈するのです。
 以上の観点から【鬼姫】とやらが存在してそれの定義を【かつての友引町の守護神】と置くならば、それは【移ろい行こうとしているキャラクターたちの現実】と【新たに出現しつつある現実】との平衡状態が続く状況下では無意味化してしまうのです。
 この【伝説】の立場は実際に不安定で、いくら『伝説は本当だったのだ』と作中で述べられていても作品全体を眺めたときには影響力は強くても力の弱いものだなと考えざるを得ません。結論としてはやはりストーリーをどうするかで引き合いに出されたベールとするのが一番自然だろうとやはり考えます。
 
 余談ですが、このスレ中のレスを参考にしますと山崎氏に監督が変わってからはどうやらラム中心の物語に移行したとのご指摘が出ておりました。従って"彼の解釈する"うる星やつらの結論はラムだったのではないでしょうか。
まぁ、主義や解釈には色んな派閥があり十人十色ですからどれがベストというわけでもないし。政治で言えば(詳しくないが)亀井派、江藤派、森派、橋本派。自民、民主、社民、共産。どこに自分の考えが属しているかでしょうね。私が自分の見解を自己完結させたのは私の解釈から引き出された理論と映画に一致がみられ納得したからですので、後に気になる点があれば修正修正でより多くの人が映画内容を共有しやすいものに出来るように参考にして頂ければ幸いです。

ラムが何らかの力を発動させた事実が見えない⇒ラムが夢に出てきた事が力の象徴だとしてもいいが、これはどこか曖昧なので私は"ラムをキャラクターの現実"と置くことによってそれが"出現しつつある現実"と平行関係にある間はどちらの現実もまた現実であるという事態を引き起こしていると見る。


引用
No.6-74 - 2002/11/26 (火) 17:24:54 - 1115 ID:ljIjefE2
No.6-71 及びNo.6-72 のふぁんっす氏の見解は実に面白い見解であり、われわれの相違点も了解しました。
もっとも、氏は自身で完結なさっているようですが、あえて私の見解を提示しましょう。
そこで今回は夢について述べます。

太郎桜を切り倒した後、いつもと変わらぬ風景からラムがいなくなっていく。
ラムは入水し、面堂としのぶは夢を見る。
二人の見た夢は「願望」とか「希望」といったものです。
面堂は本質的にはあたると同じであるから、その願望は多くの女性にもてはやされたいというものであり、かつ彼はTVシリーズにおいてSFアニメの主人公になりきっていた描写があり、そういうヒーローにあこがれてもいた。
つまりSF世界(未来世界)のヒーローとしてたくさんの女性にもてる、というかたちでその願望が現れたことになります。
他方、しのぶはTVシリーズや劇中での彼女のモノローグから察するに、夢見る少女であることが分かり、ロマンチックな大正時代を舞台として、あたると面堂を両天秤にかけるという夢を見たのです。
そして面堂はハネムーンの直前にラムの存在を思い出し、しのぶは面堂とラムが楽しげに話す姿を目撃する、と同時に二人は夢から覚める。
しのぶにとってはラムの存在は自身の願望を破壊するもの(あたると面堂の二人ともラムに惚れているから、ラムがいると自分が恋の主役になれない)であったからです。
面堂の場合はおそらく、ラムのいないハーレムが彼の願望を満足させるものではなかったからでしょう。
結局二人の夢は完結する前に終息した。
ゆえに二人の夢の現実化は完全なものとならず、凍結してしまった。
二人ともその夢をラムによって終わらされているということは、ラムが凍結させたと解されます。
ラムが両者の夢を終わらせたのは、彼女が鬼姫であって、友引町の夢の実現を阻止する役割を担っていたからです(友引町、鬼姫、太郎桜、ラムの関係はすでに確認済)。
あたるが鬼姫の白骨を発見した後、急いでラムの元へ向かったのは、鬼姫伝説が実際の出来事であり、かつ鬼姫の末路をも知ったことで、彼はラムが鬼姫であるのではないかと疑うと同時に、彼女が鬼姫と同じ目にあうのではないかと心配になったところ、ときすでに遅くラムはいなかった。
この時点で彼は事態の真相を知ったと考えてよく、またそうであればこのことはラムが鬼姫であることの傍証となりえます。

もう一点、やはり鬼姫伝説は作品理解に欠かせない要素であり、かつそれゆえに正しく理解する必要があります(No.6-70)。

追加事項 引用
No.6-73 - 2002/11/26 (火) 01:12:05 - ふぁんっす ID:3Fuflr6Q
ラムは町のコアに接触したときに子供時代のあたるたちと一緒にいますが、これについて面白い見解が海外のHPに出てます。以下参照下さい。http://home6.swipnet.se/~w-66939/uy/uymovie4.html
 P.S.先の感想にて『いや、個人的に好きだけどね、この映画。と述べた対象は『ラム・ザ・フォーエヴァー』です。間違っても『いつだってマイ・ダーリン』なんてトンデモ映画ではございませんことを了承くださいませ。

代理戦争:実際彼らは何に抗っていたのかを一般化しますと、『別の物語』を相手にしていたんですねぇ。

対立しあう『町同士』はどちらを選ぶということは出来ない。
故にそこに含まれる構成単位がある系へと移行するエネルギーレヴェルを高くすることによって選択はなされるてわけですね。


続き 引用
No.6-72 - 2002/11/26 (火) 00:55:21 - ふぁんっす ID:3Fuflr6Q
ここでメモを参考下さい。このメモは前回出したメモに新たな補足点を加えてより具体化したものです。:
ラムが【記憶の世界】=【町の意識】へ失踪すると同時に現実世界では夢が表面化する。
『大丈夫、記憶だけでも生きていける。地上は君たちのものだ』
町が【桜倒壊】と同時に覚醒したのは展開上事実である。
ラムはなぜ意識と接触せねばならなかったのか。
ラムは存在を失った
町は存在を持った
この対称性は結局、"ラム=町"だったということか。
"町が存在を持つ"代償として"町だったラム"は存在を失った。
ラムがコンタクトした世界はある意味(キーワードは記憶)で現実だったと仮定すると
"ラム=現実"が"町=夢"と変換されたことになる。
友引町の定義を"幻想の町=フィクション"とすると
やはりそこの住民もフィクション。つまりは夢でしかない。
ここから彼らの現実は夢であり、『夢の中』で【町の夢】が具体化したからと言っても"フィクションとしての現実"がそこに埋もれた二重のフィクションと入れ替わっただけでなんら問題はない。
 以上より"町の意思"とコンタクトを取っているラムが象徴するものが【共通する町同士という事をプロットとしたシンクロナイズから排他原理への過渡期(※ここで言う排他原理:同一意義と存在量を時間と空間を同じくして所有するものはどちらか一方でしか存在できないと云う意)】を意味していることが伺えます。【ラム=友引町】の現実が裏返しとなり【町=友引町=フィクション】の現実が表面化する⇒"フィクションの住民"はフィクションそのものに自然と移行するのです。
【町という集合】は結局人々によって形成されているわけで【現存在であるA点】という系から【もう一つの現実(リンクさせるのは[【≪『フィクション』≫】二重三重にマークしてサイズ50で表示したい]であるB点】という別の系へ変換できる。ラムを"個人的存在"としてではなく【うる星やつら】を構築する一つの≪【集合】≫と見ることがこの式を成立させる。
 ラムが【うる星やつら】自身であるという命題が引き起こすのは諸星あたる以下の人々は【うる星やつら】作中では"単なる『構成単位』としての立場以上のものではない"意味を所有することになると同時に
『限りなく同心円に近い軌跡を描いている』
事なので、≪町が【うる星やつら】≫自身になる事により≪友引町『構成単位』≫である彼らは『【終生変わらぬ愛を誓った】ラム』を失うことになる。
 物語の展開として面堂終太郎が"ラムを皆が失っている"ことに気付く。それから友引町は【昔の友引町】=【うる星やつら】を取り戻すために『凍った夢を破壊する』代理戦争を実行する道をたどることになる。
 うる星やつら4のバックグラウンドを調べた結果、この作品は【うる星やつら】の"完結編"となるべく存在だった事がわかった。ここから監督は【うる星やつらファン】の言葉を作品で代弁したかったのではないのか?【ファンはうる星やつらをこれから先、"視覚的に失う"ことになる】前提の元で製作された映画ではなかったのか?この映画を境として【うる星やつら】は終結する。詰まり【ラムが永遠に失われる】。キャラクターたちが個々人の【うる星やつら】を戦争しながら求めている。誰も(=キャラクター)【ラム=うる星やつら】が失われた世界では生きてはいけない。それこそが【うる星やつら】の"絶対的な死"であるからだ。
 あたるは『戦争をして、凍った夢が破壊され、それで元の友引町に戻るとは限らん。ゆえに俺は走る!』と言ったのだ。【うる星やつら】のもう一つの側面の象徴は諸星あたる。ラムとあたるを軸としてはじめて【うる星やつら】は
"回転する"
『・・・・・軌跡を描いたとしても、結局は新たなる地平を目指すものだ』
 一つの見解に『あたるは鬼ごっこをしてラムを探した』と云うものがありましたが、ここまでの見解にたどり着いて【激しく同意】致します。確かにあたるは探していたのです。【うる星やつら】その物を。なぜなら『角をつかまないと』始まらない。

『うちに帰りたい・・・』
『昔の友引町に戻りたい・・・』
『友引町へ・・・』
『友引町へ・・・』

その結果【町という意思は自らの実体=フィクション=別の物語』を破棄】して『ラム=友引町=うる星やつら』を選択した。『世界の変換』は終わり、元の"物語"が帰還した瞬間である。
 END・・幻想世界は元に戻り、鬼ごっこの末に見つけたラム。物語は新たなるスタートを切り、そして『うる星やつらよ永遠に』ってわけですか・・・

※ここから先は超個人的な感想。
 以上の見解が【事実であるとすれば】(監督本人に聞くまで確かめようがない)この物語なっかなかいや、至極【素晴らしい】映画ですな。まさに【映画】壮大なイマジネーション(パッケージの台詞引用)。超現実派。アニメという個人により操作可能な世界の根底を問う傑作。ミヒャエル・エンデの"ネヴァー・エンディング・ストーリー"で問題となった【虚無】も真っ青な作品です。いやぁ、感動した。けんどもマイナス点を見つめてみると作品自体は監督の頭の中を抜け出てなく、仕上がりが抽象的過ぎてエンターテイメントとして鑑賞する人にはわからないものとなっていることですね。けれどもこの要素を削除してしまうと説明くさくもなるし、何と言っても【うる星やつら】の存在価値が『いつだってマイ・ダーリン』よろしく崩壊してしまうのでこれについてはコメントし難い。いや、個人的に好きだけどね、この作品は。

んで、これ書いてるうちに気付いたんですが、【太郎桜】や【鬼姫伝説】は作品の根底を問うために利用された単なる手段だったんじゃないですかねぇ?
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私見(寧ろ単なるストーリー解説か)そのU 引用
No.6-71 - 2002/11/26 (火) 00:51:24 - ふぁんっす ID:3Fuflr6Q
 はじめに:前回書いた分と意見が多少ことなるところが出てくるかもしれませんが、それは私が新たな視点からこの映画を解釈し、修正を行ったしるしであります事をご了承くださいませ。
 それでは本題に入ります。-------
 今回は【鬼姫伝説】を敢えて排除した視点から捕らえていきます。
 なぜならば、こればかりに囚われているとストーリーの一面しか見えないというリスクを負うことになるからです。(それに【伝説】の存在感は強すぎる)
 物語は序章を終え、力を無くしつつあるラムはあたる宅に帰ると日記をつけ始めます。ここで注目していただきたいのは、ラムが以前に友引高校にてサクラにカウンセリングを受けている件に
 『そう言えば、メガネさんたちと映画を撮影しているときに何だか怖い気持ちになったちゃ。』
 というのがあります。
 ここで『(前略)この雪のように、無数に言葉を記録していきたいっちゃ』(この台詞が記憶的に正確かどうかは怪しいものだが問題なのはこの概念です。)を思い出していただきたい。
 ラムに起きた変化とリンクさせて考えると、ラムは"自分の存在が失われつつあること"を漠然と感じてたのではないでしょうか。自分の世界観を文字で残してゆくということは日記や自己考察録をつけている方はご理解いただけると思いますが、文字媒体を利用すると【時事の記憶が確実に残る。そして、自分の世界観が確固たる物となり、目指すべき方向性が明確になる。】という利点があります。ポイントはその中に属しているアイデンティティーの確立。
 事実、面堂をはじめ、メガネとその仲間たち【彼らは『終生ラムさんに変わらぬ愛を誓った』と述べているようにラムの存在する世界の代表者】はラムを世界から失っていきます。
 さて、その後力を完全に失った(=存在自体が消え失せた)ラムは窓の外にあたるが子供時代のラムを手に引いているのを認め、追いかけてゆくとそこにはサーカスと友引町のお馴染みキャラの子供時代の姿。ラムは彼らに追従し、町の意思が宿る"コア"(=【太郎桜】の眠る場所)に去ってしまいます。
 ここから【夢の具体化と凍結】(=現実と夢の転換)が始まるわけですが、この間【凍結した夢】が崩壊するまでラムは【町の記憶】と共にいることになります。
 

太郎桜 引用
No.6-70 - 2002/11/25 (月) 13:15:45 - 1115 ID:VOV8Ac76
No.6-64 のふぁんっす氏の見解は非常に面白い見解です。
しかし、私の見解を述べましょう。

鬼姫は降臨しない(もっとも、ラムが鬼姫であれば、すでに降臨していることになるので、「発動」のような言葉に置き換えるべきかもしれない)

劇中劇(あたるたちの自主映画)が映画全般の解釈に示唆を与える点では同意見ですが、劇中劇と現実との異同に注意する必要があります。
劇中劇では太郎桜が切り倒された後鬼姫が現れたが、現実ではあたるに切り倒されるまで太郎桜は生きていた。
劇中劇に即して考えれば、いまだ鬼姫は降臨していないことになり、そもそも鬼姫伝説が存在しないことになります。
つまり、鬼姫伝説とはかつて起こった出来事ではなく、今後起こるであろうことを予言した物語だということになります。
しかし鬼姫は太郎桜の根元で白骨化しています。
これは実際には太郎桜が切り倒された後に鬼姫が降臨するのではなく、むしろ鬼姫が降臨した後太郎桜が切り倒されるのだ(切り倒すのはあたる)ということを意味します。
したがって鬼姫伝説では太郎桜は切り倒されません。
もし切り倒されるなら、現実であたるが切り倒す以前に太郎桜は切り倒されていなければなりません。
また鬼姫がその根元で白骨化していることから考えられるのは、鬼姫から太郎桜は発生したか、あるいは鬼姫の養分を吸収して成長したということであり、かつそうであれば鬼姫と太郎桜が同一の役割、機能を有することが推測できます。
ゆえに、鬼姫伝説とは単に鬼姫が悪霊を退治するというものであり、抽象的には鬼姫が友引町を救う、と言うものです。
そして現実では鬼姫(この場合はラム)は降臨しません。

この前提の下、以後の解釈も違ったものとなってきます。

オンリーさんへ 引用
No.6-69 - 2002/11/24 (日) 15:58:27 - BPマン ID:nVG5Fnog
>ラムと由羅の記憶がぼくだけのものになるという願望があります。
なんとなく理解できますよ。そういうの、
そういうのは別に障害云々に関係なく誰でも多少あると思いますよ。

ぼくは 引用
No.6-68 - 2002/11/23 (土) 14:38:09 - ONLY ID:G7IIcJfo
 2級障害者手帳をもつ障害者です。キ#ガイティックというよりルナティックと呼んで欲しいです。

 ぼくの底にひそむ願いでありますが、ラムや由羅を誰も好感をもたなくなり、焼き捨てられ、ラムと由羅の記憶がぼくだけのものになるという願望があります。ですから支持者が増やしたいとは思いません。理解されたいとは少し思いますが。

>NO 6-63〜66 こっ、怖い!! 引用
No.6-67 - 2002/11/23 (土) 13:10:15 - BPマン ID:3im9Ap5A
凄い書き込みダ。熱意に脱帽。

>『キ○ガイチック』
この表現はまずくない(・_・;)?確かに解り易い表現だけど(怖い)、
でもアレってやっぱりそうだったんですか。

>精神面で『芸術的』とでも言うのかな?
私はそんな風にはとても思えないのでしょうがないけど、
いいことなのか悪いことなのか解りませんが
波長が合う人と合わない人ってやっぱりあるのかもしれませんね。


断っておくけど、別に波長が合って理解できるからってその方を
同じくキ○ガイって言っているわけじゃありませんよ。念の為。

参考事項 引用
No.6-66 - 2002/11/23 (土) 11:48:28 - ふぁんっす ID:6OYkR5SY
http://www.kumagaya.or.jp/~toba/urusei/forever.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~TKK/music/animation/m_a_urusei4.html
http://www.fureai.or.jp/~kiwi/movle_o/m_u.html
http://www.nishishi.com/pcvan/rumic/logs/1/1-1900.txt

すまぬ 引用
No.6-65 - 2002/11/23 (土) 04:08:40 - ふぁんっす ID:K2NEGnsw
すれぬしさまの出しているNO3396のがわしのよかハッキリしていますね。。。

この映画の情報枠内で捕らえた情報と私見。解釈に利用して下され。 引用
No.6-64 - 2002/11/23 (土) 03:51:51 - ふぁんっす ID:K2NEGnsw
ストーリー冒頭にて【面堂家鬼姫伝説】なるものが挙がってきております。詳しくは友引高校生徒による創作映画の基盤として利用されているだけですが、この伝説はここで創作映画で語られた以降で全く"内容に関して"語られておりません。従ってここで使える情報はこの映画内で描かれている伝説を基とするほかにはありませんので、以下で把握したその内容について提示します。
 |【鬼姫伝説】把握内容:とある村−村人たちが狸の姿をする風習のある−に若者が迷い込んできます。村では長者が病に伏し、その病を治すには村に生えている病に冒された御神木【太郎桜】を切り倒すほかありません。然しながらこの桜を切り倒せば村人たちに取り付いている悪霊が外に出て行き何をしでかすか分からないというリスクがあるのです。
 若者は夜中に樹の精霊たちが会して話していた上記の内容を村人に話し、長者の病を治すため村人たちにおされて【太郎桜】に塩を塗った斧−昨夜樹の精霊が【太郎桜】を囲んで談話している時に偶々聞いてしまった桜の弱点−を振るいます。ここで桜は切り倒されるわけですが、村人たちに取り付いていた悪霊たちが外に出て悪さをし始めるのです。困り果てた村人たちは悪霊を静めるための祈りを執り行い、【鬼姫】を降臨させるに至るわけです。
 【鬼姫】の降臨は見事に効果を発揮して、その聖なる光で悪霊は地中深くに潜り込み、二度と姿をあらわしませんでした。村人たちは【鬼姫】をたたえる祭りを行い、話はめでたしめでたし。となるのです。|
 次に、本映画への考察を物語を紐解きながら述べさせていただくことにします。
 この映画のストーリー序章の展開を一部の演出等、映像効果を除いて整理すると、見事に【鬼姫伝説】を地で行っているわけです。理由としては【面堂家太郎桜】を切り倒したと同時に【コタツネコ】他【サクラさんのもののけ】が消え失せてしまった点。ここで【鬼姫】が降臨していないのにまた、彼らは悪鬼でないのに何故消えなければならないのかとのお声が聞こえてきそうですが、まぁ、順次見解を説明いたしましょう。
 ポイントは【鬼姫】は"すでに降臨している"ということ、且つ、あくまでも伝説です。詰まりは【ラム】に白羽の矢が立ったのことと、ネコたちは"友引町(この町は友引町民による集合体。従ってネコをはじめとする幽体軍団は町民に取り付いているも同じ)に取り付いた幽体"という点です。      さて、この後、夜中の面堂邸でサングラス警備員が【太郎桜】周辺を巡回していると【鬼の面を付けた何か】が行列をなしているのに遭遇します。この行列は鬼姫伝説になぞらえて捉えると、【幽体を静めたことへの儀式】を示唆しているのではないかと思われます。ここまでを映画の序章としたいと思います。  

以下はメモ:
友引町は架空の町。隔離された世界。これを表に出している。
町は刻々と変化する。解放されて意識をもつ。
町は人々の集合体。人々の夢は町の意識で結晶化する。
意識は変化を疎い、記憶を残そうとする。
最終的に人々が覚醒することで町は意識と実体を独立させる。
『うち、こんなに音があるなんてしらなかったっちゃ。』⇒町の表面化か?
『ワタシハキオクデシカナイ』

ラムは外部の者で町自身にとってシンクロしやすかったもの?
桜の根から出現した町の意識。警備員が見た面をかぶった空飛ぶ女性たちと
根から出現した白骨の格好が一致するすることから 
樹木からの出現⇒鬼姫=町自身?

しのぶの台詞から 町に対する私見=別の言い方で町自身の主張 が伺える。

桜を倒す=閉ざされた世界になる⇒むしろ友引町自体が現実ではない幻の町

ラムの能力が消える⇒町の思い出の前では無力化。寧ろ意味のないもの?

町からラムの記憶が消えていく⇒町は町の記憶があるラムは異端者かつ鬼姫=町自身。個人としては存在できない。また意識の接触者としての役割。

ラムはサーカス率いる子供たちに誘われて町のコアへいく。
そこは思い出が固定された場所である。

内部のものたちは自分らの夢が表面化している事態に遭遇する。
表面化して凍りついた夢。

打開するために代理戦争を起こす⇒町は崩壊し、人々は昔の町を渇望し始める。個人としての意識の帰還。
結局はこれが決め手か?
破壊活動でかつてを取り戻そうとする者に対して走ることで別の道を模索する姿勢を示す者。

あたるの声で目覚めるラム。記憶は元の場所へ帰還し始める。町は夢から覚める。『地上は君たちのものだ。』

映画の演出は キャラクターの夢を上映時間の許す限りで使っている点。ラムがあたるの声に反応する点。天変地異を表面化させ、雰囲気を異様なものとしている点。etc

この映画の解釈 引用
No.6-63 - 2002/11/23 (土) 03:13:16 - ふぁんっす ID:K2NEGnsw
色々と考えた。合理化しようと勤めてみました。
はっきりいって『無駄』でした。
理解しようと勤めることは【ダリを写実的世界に変換して描写せよ】との問い掛けを吹っかけられたと同じです。
 それと、この映画をカス呼ばわりされている方に申し上げますが、合理的なものと捉えて見解述べないほうがいいです。はっきり言って。だからってカス呼ばわりもしないほうがいいです。まじに。これは脚本書いた人間の『妄想』別の言い方をすれば『キチガイチック』以外の何者でもないとの結論に達しました。共感する人は絶賛するし、しない人は『なんじゃこりゃ?』でおわらせるし。映画の演出部分も入り混じってますからね。例えばキャラクターが夢を見るシーンと最後にあたるが『・・・・ラム』と呟いて倒れ、ラムが反応し現実世界に向けて覚醒し始めるシーン。ストーリー全般を混同しちゃうと主体を失うし。
 まぁ、考える分には楽しい映画ですね。精神面で『芸術的』とでも言うのかな?

(T_T)。 引用
No.6-62 - 2002/11/23 (土) 00:34:31 - BPマン ID:VbDxT1cI
>No.6-61 1115氏へ
親切に書いてくれて悪いのだけれど、アレって本当に理解できません。

そもそも”街”が自我に目覚めるっていうところから理解しがたいのです。

>鬼姫
鬼姫なんてキャラクターがアレに出てきたんですか?
ラムがそんな役を着物(十二ヒトエってのか?)着て演じてたようだけど、
これが鬼姫だ!!ってキャラは居なかったような・・・・
ミイラみたいなアレがそうか?

ってな具合に全然あの作品からは伝わってこないのです。

そういう映画を何というかというと「駄作」とか「カス映画」でしかないのです。

だからといって理解している人のことをおかしく言うつもりはないですよ。念の為、

残念 引用
No.6-61 - 2002/11/21 (木) 17:52:08 - 1115 ID:cxEJWF26
残念ながら、私の意図が伝わらなかったようなので、説明を加えます。

BPマン氏へ
No.6-56において、「話が分かればいい映画」だと書いたように、分からないという方に対して、まずは話を理解していただきたいと思い、そのためのガイドラインとなるべきことを述べ、どのようなシーンのことを指しているのかは自身で見つけていただくつもりでした。
私が全てを語ってしまっては、作品を観る楽しみ(内容が面白い、という意味ではない)が失われると思い、あえて抽象的な解説に止めた次第です。
したがって、話が分からない以上、面白くないのは当然であって、そのことに対しての異論はありません。
自身でご覧になった後、さらに疑問が残るようでありましたら、お聞きください。できる限りお答えしましょう。
もっとも、それだけでは不親切なので、注意点を挙げておきましょう。
「あたる」以外のキャラクターは無視して結構です。

繁ファン氏へ
BPマン氏へとして述べた部分で尽くされてはいますが、多少補足しておきます。
No.6-56で「話が分かれば」と述べたように、私が言葉を投げかけたのはむしろ「話が分かる」方に対してです。
当掲示板(伝言板)において、「分かる」方の解説を見ると、本当に分かっているのかな、との疑問を抱いたものですから、あえて「単純な映画」と表現しました。
分からないから駄目な映画だ、というのは評価以前の問題であろう、というのが私の基本的なスタンスなので、前述のガイドラインを提示したまでであって、話が分かる以前の批判をされることに意味はありません。
なんとなれば、私の主張が全て「分かってから」のものであるからに他なりません。

お分かりいただけたでしょうか。

(無題) 引用
No.6-60 - 2002/11/20 (水) 22:52:40 - BPマン ID:Pp47njEM
>つまり、鬼姫(太郎桜)は友引町と対立関係にあるということです。した
>がって、ラムを選んだのは友引町ではなく、鬼姫であるということになり
>ます。このような理解に立つと、ラム、あたる、友引町、鬼姫の関係が自
>ずと明らかとなり、「訳解る」映画へと変化するはずです。

言ってることが訳わかんないっす。それにあの映画にそういうことが描かれてたかというと・・・とてもそうは思えませんよ。

(無題) 引用
No.6-59 - 2002/11/20 (水) 22:00:18 - 繁ファン ID:qoUuYUUg
そういった説明がないと理解できないところがこの映画の悪いところなんです。
でも僕はこの映画そんなに悪い評価はしません(最初にレスした内容と違う気もしますが)。見た回数だけで言えば「B.D」の次に多いですし。

なるほど 引用
No.6-58 - 2002/11/20 (水) 14:41:51 - 1115 ID:4HQqm/K2
鬼姫(及び太郎桜)が人身御供であることさえ分かれば理解できる、と前回書き込んだように、その点を押さえることができれば、難解な映画ではありません。

つまり、鬼姫(太郎桜)は友引町と対立関係にあるということです。したがって、ラムを選んだのは友引町ではなく、鬼姫であるということになります。
このような理解に立つと、ラム、あたる、友引町、鬼姫の関係が自ずと明らかとなり、「訳解る」映画へと変化するはずです。

最後に、問題のあたるのシーンとは、一人鬼ごっこ、にほかなりません。
なぜ走るかといえば、前述の四者の関係が明らかとなりさえすれば説明の必要はないでしょう。

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