うる星やつら伝言板

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うる星やつらについて、深く掘り下げて議論などを行う伝言板です。
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とんちんかんかも。 引用
No.6-137 - 2003/09/26 (金) 02:15:24 - すーむゆー。 ID:85YuBDUw
>友引町の意志の向く先
鳥と会話し、桜の木の歌を聞くラムを忘れる、ということは、人々が(普遍的に持っていた)優しさを失う、という象徴表現。
たとえば面堂にしても、しのぶにしても、美女や、男にかしずかれることは夢みているが、自分から愛そうとしない。そういう発想はまったくない。その彼らの前にラムの影がちらつく。。魔は、友引町の意志にあるのではなく、一人一人の脳の中にある(百八の魔というのは人間のもつ煩悩の象徴)。優しさ、隣人愛で魔を眠らせていた桜の木が衰えたとき、それらは解放された。それに呼応して、友引町自身の意志も覚醒する。魔から自らを守るため。そして人々から愛されなくなったラムを呼び寄せる。(これ以上書くのはわたしにはちょっとむずかしい。。)

ちょうど、85年前後は、優しさの時代といわれる反面、上の世代に没個性さを批判され、それぞれ多様なる目的をもって(注)それに努力する(あるいは戦う)ことを症例された頃だった気がします。それに対して、たとえ没個性といわれようと、画一的といわれようち、アイドルのような美しいものを美しい、可愛いものを可愛いとみる、そういう普遍的なやさしさこそ、大切なのではないか、だからラムよ永遠に。。
愛は地球を救うって言葉、いつ頃言われたことか忘れましたが、まあそういうメッセージなのかなぁ、と、わたしはおもったのですが。。

(注)メガネ達がラムをはなれてそれぞれ女学生に目移りするのがこれの象徴表現。

う〜〜〜む 引用
No.6-136 - 2003/09/25 (木) 22:52:11 - 茶そば3号 ID:9c3W0Lv2
>友引町の意志の向く先
じつはそれがさっぱりわからないです(笑)。ラムのいない元の友引町を目指すのであれば、ラムを捕獲すれば完成のはず。あそこまで街を壊し(まあ、たしかに、これは昔の湖のある友引村の復活とも取れます)、退嬰的に面堂やしのぶの夢を凝結させることで、何を得るのかという・・・。穿った見方をすれば、ラムとはうる星そのもので、友引町は世界であり、世界からうる星が消えたあと(番組の終了後)も、2年4組(視聴者)はその思い出を忘れないだろう。われわれは記憶だけで生きていける。ラムよ、永遠に!ってことですか。つまりラムを奪うのは視聴者。ラムを人身御供にして響子さんと生きていくのは我々であるという倒錯(笑)。

>角のあるラムがいる現状を守る事を目的とする行動として、何の背景理由もなしに、戦争による破壊を選択するというのはどうも腑に落ちない。
そこは1997番さんの類推の部分では? 劇場用チラシには「皆が一斉に元の友引町へ帰りたいと思う様に仕向ければよい」とあるようですが。自らの理想を人々の意識に重ねるだけの友引町に、ラムのいない荒廃した街の姿を見せ、なおかつみながラムのいる友引町を望めば、それは実現される、と。戦争に関しては単純なのでは?
http://www2.ocn.ne.jp/~seic/takahashi_uyinu/uy4kaisetsu2.html

>ラムの存否によって人々の内面にどのような違いがあるのか、監督のレベルではっきりした具体的な定見が必要とおもいますね。
監督が説明不足と言っているのはその通りなんでしょうが、曲がりなりにもああいう形で鬼姫を導入した以上、苦笑ですませていいものか(笑)。いずれにしても、インタヴューの詳細がどこかに文字で出てないものか。

>一部おたくの間でのアイドル化にかかわらず、アニメもですが、原作もそろそろパワーが落ちてきた頃
ちなみに、主要少年漫画誌の戦国模様ともいえる売上の推移が以下のグラフ(?)です。縦軸が発行部数。

チャンピオン    サンデー      ジャンプ
ジャンプ

          ジャンプ      サンデー


サンデー                マガジン
マガジン      マガジン
          チャンピオン    チャンピオン
78年       83年       86年

『うる星』がはじまったばかりのサンデーはマガジンとともに低迷しています。ところが直後、『がきデカ』で急激な成長を見せたチャンピオンは『マカロニ』や『ブラックジャック』の終了で急落。代わって『うる星』をかかえるサンデーがどんどん売り上げを伸ばし、『タッチ』のころに、遅れて来たオイルショックの影響でもたついたジャンプを抜いてダントツのトップへ。しかし86年はと見れば・・・、なるほど。ジャンプはこの後、ひたすら首位を独走するものの、不景気の煽りで上昇志向が疎まれて失速。いち早く正しい子供路線に戻っていたマガジンが・・・。

不安 引用
No.6-135 - 2003/09/25 (木) 09:52:49 - poron ID:TtXJXZxo
すーむゆーさんの投稿、勝手ではありますが、
実に楽しく拝見させて頂いております(^-^)
この先、押井とやまざきの対比という、マンネリ談義にならぬよう、
誠に勝手ではありますが、みな皆様、希望いたします(;^_^A

(無題) 引用
No.6-134 - 2003/09/25 (木) 00:05:55 - すーむゆー。 ID:IPBAQDqw
>ラムの相対的価値低下。
一部おたくの間でのアイドル化にかかわらず、アニメもですが、原作もそろそろパワーが落ちてきた頃ですね(87とかきましたが、86の間違いのようです)。

>なにゆえ鬼姫伝説の話をカットしたのかという作為
準備稿みるかぎり、あまりにリアルでしかも、シンボリックなアイテムもつかってしまってるので、あのままだと鬼姫伝説が「聖書化」し、そのまま暴走してしまったことが考えられます。ましてや10人もいるし(笑)。もっともカットしても十分走っているようですけど(大笑)。

>「海が好き」1997番
この話が額面どおりだとすると、新しくしたいという友引町の意志の向く先がきになりますね。それから面堂と飛麿の戦争は、ラムのいる友引町にもどるためだとすると、戦争という行為はラムのいる世界でなされる行為の対極にあらねばならないのではないかとおもうので、ラムがいないと彼らはもとのいがみ合いに戻る、そこであえてその状況をつくってみる、ととったのですが。なにしろ、面堂の科白「面堂家と水之小路家が仲がいい」に接した瞬間椅子からずりおちそうになったもんで(原作では長年いがみあってきたことになっている、21話;白球にかけた青春)。角のあるラムがいる現状を守る事を目的とする行動として、何の背景理由もなしに、戦争による破壊を選択するというのはどうも腑に落ちない。ラムの存否によって人々の内面にどのような違いがあるのか、監督のレベルではっきりした具体的な定見が必要とおもいますね。

>鬼姫伝説は倒錯したモチーフ
「もとの友引町」というのが二重の意味にとれてしまうんですよね。「角のあるラムのいる」もとの友引町、「ラムが来る前の」もとの友引町。
胎児の科白のなかの「記憶」がなにを指すのかも曖昧になりますね。記憶だけで生きていけるから、ラムを解放したというのなら、角のあるラムのいる友引町を今およびこれからも認めたことになる、其の上で「記憶」というのだから、それは「ラムが来る前の」もとの友引町を指すことにならないか?それだけで生きていけるとするとそれに具体的な描像を与える必要があり、そのために鬼姫伝説が導入された、と私にはとれてしまうのですが。。(だから以下のような記事を掲げることとなる)。

>バランスが悪すぎです。
簡明で自己完結的な押井作品と対象的に、やまざき作品は散文詩的な作られ方をしているとおもいます。だから、バランスとか筋立てとか、言い出すとまるきりわからんようになるんじゃないでしょうか(笑)。惜しむらくは、押井作品、ことにBDの呪縛から最後まで逃れられなかった、そうみえました。でも押井の傑作といわれるBDの作監(の一人)はやまざき氏自身ですよね、たしか。

(無題) 引用
No.6-133 - 2003/09/24 (水) 20:06:57 - 茶そば3号 ID:c2AY9t/I
>しのぶの科白は、当時のラムのアイドル化に対する批判ともとれる。其の中には当時の若者(私らの世代じゃが)の没個性に言及するものもあったろう。

その点で気になるのが、ラムの相対的価値低下。映画のはじめ、太郎桜が切り倒される以前から、人々(2年4組)の中でラムへの意識が弱まっていたように感じられることですね。そうだとすれば、太郎桜はひとつの契機(十分大きいが)にすぎないことに。つまり老朽化して妖力の弱まった桜が枯れるのは時間の問題であった、と(端的には、アニメ放送の終了)。

もうひとつメタレヴェルの話ですが、なにゆえ鬼姫伝説の話をカットしたのかという作為(注)。監督の「映画製作の途中から鬼姫が入ってきて・・・」という趣旨の苦労話(「海が好き」1997番)だけでは面白くない(笑)。

ということで、この映画の場合、もともとそういう背景を説明、あるいは抗するためにつくられたもので、鬼姫伝説は倒錯したモチーフではないかという疑いがあります。


注 その反面、どう考えても間延びしているとしか思えない面堂の夢(ブルース・リー+ブレードランナー?)など、バランスが悪すぎです。まあ、こういう話は上とも関連するんでしょうが。

(無題) 引用
No.6-132 - 2003/09/24 (水) 01:07:52 - すーむゆー。 ID:sXMChcYM
>今は昔、友引村というところに
入れ墨のうち、脳をくらう鬼姫、は、村人の冷たい心に抗おうとする姫を暗示している、という見方になる。

補遺、続き。鬼姫伝説解題異説、他。 引用
No.6-131 - 2003/09/24 (水) 00:57:42 - すーむゆー。 ID:sXMChcYM
(続き)ともかく大切な事は、優しい気持ちで接するということを忘れないこと。ことにBDで、「皆と楽しく暮らす」のが夢といってしまったラムにとっては、皆に受け入れられなければ、存在を消していくほかない。それは古(いにしへ)の鬼とよばれた姫のたどった悲劇の道ではないか?夢の子供に手を引かれて湖の中に足を踏み入れていくラムの姿は入水そのもの。

というわけで、鬼姫伝説の発端の部分は、以下のようなものという見方もできる。

今は昔、友引村というところに一人の高貴なる姫君がやってきた。姫は、村人と仲良くしたいと思ったが、村人は姫に冷たくあたった。悲しんだ姫は山奥の湖に身を投げて死んでしまった。やがて夜な夜な姫の亡霊があらわれ、人々を苦しめた。思い余った村人は、(姫の亡霊のいわれるまま?)50年ごとに湖に娘を捧げることでようやく鎮めることができた。しかし、其の事は、もっとも愛するものを常に失わねばならないという苦しみをもたらすことになる。いつしか湖は干上がったが、悪習は生き埋めの形で依然続けられ、愛別離苦を背負ったまま500年がたった。あるとき面堂某なる殿様が、、(以下省略)。

こういうのもありがちな、話でしょ。なお、太郎桜の丘に出現した湖を頂く山は、古の友引村の姿という考えもいれてます。

最後にもう一つつけくわえると、日記をつけるラム、というのも、皆に忘れられたくない。この街に住んだという歴史を刻んでおきたい。あるいは、夫に対する遺書を書く。といった意味も考えられる。
結局友引町自身は、鬼姫をめぐる町の歴史の記憶だけで生き、ラムにはこの現実の街の中で生きていいと解き放した。。

補遺、鬼姫再臨について。 引用
No.6-130 - 2003/09/24 (水) 00:42:34 - すーむゆー。 ID:sXMChcYM
五つの入れ墨(私は実写では未確認)の最後に鬼姫再臨、があります。これについて注目されている方が多いですが、もし、このことに特別な意味(たとえば某宗教でいわれる、審判しにくるとか)があるとすれば、鬼姫時代の終わりを意味する木の入れ墨の後に再び来る意味が不明です。もちろん筋だった説明などできるはずのないことですが、もし再臨を予言する目的の入れ墨なら、その証の言葉がのこっているのではないか?現実ではラムが現れたときすでに桜は寿命を終えつつあり、その伐採にラムも関わってしまうのですが、それは偶然といってもいいこと。
そこで、この再臨とよばれる入れ墨を、先の126から8までの考えに沿って解釈を加えてみると、次のようになるかとおもいます。ポイントは、入れ墨というものが何のために遺されたか、です。それはおそらく、なにか神託のようなものではなく、村人に対する覚書のようなものでしょう。となると、その内容は村人=友引町民に向けられたものとなるはず。

木を植えることによって、鬼姫と呼ばれた者をめぐる人身御供の悪弊はたたれた。しかし、そのきっかけは、古の時、よそ者(鬼)の姫がこの村を訪れたことにある。と、すれば、また将来、何かの事情でよそ者の姫(姫でなくてもいいが)が現れることがあるかもしれない。(その時は、過去の轍にとらわれ、狭い見識で同じ罪を犯してはならない。代官なり、知恵に明るい人に相談するなりして、あらたに適切な道を進むべし) ()内は忘れられている。

要するによそ者がきたとて、愛の心をもって優しく受け入れよ、ということなのですが、、
そうなると、ラムが「唄」を聞き、ランでさえ何か感じる「桜」を、老朽化という理由だけで切り倒そうとする面堂や、ラムをちやほやする皆を金太郎飴の如きと(正確に覚えてません。すいません)批判する(注)しのぶの言葉には注目せざるを得ません。実際、この二人の夢が、友引町に出現していることを慮れば、今回の騒動の中心(主役)はこの二人、といってもいい。(続く)

(注)しのぶの科白は、当時のラムのアイドル化に対する批判ともとれる。其の中には当時の若者(私らの世代じゃが)の没個性に言及するものもあったろう。LTFはそういう世情にたいするメッセージもはらんでいるのかもしれない。

なるほど 引用
No.6-129 - 2003/09/23 (火) 22:04:41 - タケ ID:ZZwhszhw
今まで「友引町が意識を持ち異分子のラムを云々」は何となくわかるものの
『鬼姫伝説』との関連がまったくわからなかったけれど、
それについても今回のすーむゆーさんの解説で少しわかるようになりました。
たぶんまだ不完全な理解なのでしょうけど。

「鬼姫」はありがたい存在(なんかあまり適した言葉と思えないけど他におもいつかない)だが、
それは「人柱」にされることによってそういう存在にされたわけですね。
(面堂は伝説を『「鬼姫」=ありがたい存在』ということのみ中途半端に理解してしまったのですね。)
ありがたい存在であるのに、その「ありがたい存在」にするがためにその人を生贄にする=亡き者にするわけか。
そういえば『犬夜叉』にそういう話があったような。

準備稿による鬼姫伝説解題。註釈編2(終わり)。 引用
No.6-128 - 2003/09/22 (月) 13:15:10 - すーむゆー。 ID:mmTD3RlA
註5)ミイラである。ミイラは死後もこの世に人間として留まっているという象徴。最初の鬼姫も人柱にしたとすれば、生き仏として生きたまま土中に埋め、ミイラ化させたのだろう。
なお、死後もなお人としてこの世に留まり衆生救済を志すため、僧が自ら生き埋めとなり(入定)ミイラとなった例は各地に遺るが、これを「生き仏」と呼ぶことがあるが、以下もその意味で使っている。
註6)姫と同じ衣装=これは京から取り寄せたのだろう。映画にでてくる祭りの山車と囃子は祇園祭そのもので、これも京との繋がりの存在を伺わせる。面をつけさせるのは、姫の成り変わりを意味するか?
註7)伝説にある、鬼姫が代々続いたことを額面通り受け取ったとしても、そうつぎつぎ鬼姫があらわれるとは考えにくい。姫の死後、村の娘をすみやかに姫の身替わりにしたて、姫の享年に達したとき生き埋めにしたとすれば、身替わり娘の存命が平均10年(これでも長い)として、100年続いた風習となる。これに太郎桜の樹齢をくわえると、最初の鬼姫の訪村は、およそ400年前、1587年頃、桃山時代である。ただ、この時代の支配層は武家であり、武家の姫の正装は十二単ではなくもともとは下着だった小袖である。
そこで、姫の死後ミイラを生き仏としてそのまま祭っておき、一定期間(たとえば五十遠忌)、あるいは大きな変事の起るゴトに、あらたに生き仏を祭るのであれば、その平均インタバルが50年として、およそ500年間つづいたことになり、最初の鬼姫の訪村はLTFの今(1987)から800年前、つまり1187年となる。
註8)もともと面堂家が村の長であったとも考えられるが、そうなると面堂家は庄屋ということになり、武家という原作設定と矛盾する。また、人柱風習を自ら始めた家が、容易に止めることができるであろうか。面堂家が、あとでこの地にはいってきた代官とすれば、徳に篤く知恵のある当主であれば、これくらいの対策をしたと考えられる。ただ、幕府天領の代官なら、必ず異動させられ、300年も同じ地に留まることは無い。おそらく、友引村は、どこかの藩の蔵入地であり、300年前たまたま面堂氏が藩の代官としてやってきたのであろう。そして、悪習の存在を知った時、藩主に願い出、自らその地に留まることで悪習の復活を防ぎ、かつ過去を村の秘密としてとどめ、村人に咎がいかぬようにしたとも考える。そうだとすると、この時の当主は相当な人物であったわけである。軽率にも映画ごときで太郎桜を切り倒した終太郎とはえらい違い。#実際に切り倒したのがラムの夫、あたるというのは象徴的。

準備稿による鬼姫伝説解題。註釈編1 引用
No.6-127 - 2003/09/22 (月) 13:11:55 - すーむゆー。 ID:mmTD3RlA
註1)可能性としては平安末期から桃山時代までありうるが、姫の衣装が十二単であること、および(註7)の考察より逆算すると、今(1987)から800年前、つまり1187年前後となる。

註2)註1)の考察にしたがうと、源平の頃となるので、平家ゆかりの者と考えても良い。いずれにせよ村の者ではなく外から来た=鬼=高貴な娘であることはまちがいない。

註3)凶事としては、災害、疫病などいろいろ考えられるが、ここでは、伝説にある、人の脳からでてくる魔に注目すると、LTFのテーマが愛と優しさ=おそらくはBDと同じく、皆仲良くいつまでもたのしく暮らすっちゃ=であるとすれば、一番考えられるのが村人同士の諍い、争いの類いと考えられる。こう考えると、友引町を思い出すために、面堂が飛麿に戦をしかけたことも説明がつく。けだし、面堂家と水之小路家はもともと武家公家の間柄で仲がわるかった(原作より)、その原点に立ち戻ろうとした。根っからの女好き=博愛者あたるは、これにくわわらず、ラムとの出会いのきっかけ=駆けること=を選ぶ。竜之介は、もともとは、いないキャラ。

註4)姫は追っ手にかかったなどで、横死の可能性もある。あるいは、村人の手で人柱にされたことも考えられる。もともと平均寿命が30代の時代であり、それでもなおかつ姫とよばれているところから、享年は20代か、ことによると10代。ラムと同じ歳頃に村に現れたとすると、村人との交流は1、2年から高々10年程度であろう。

準備稿による鬼姫伝説解題。本編 引用
No.6-126 - 2003/09/22 (月) 13:09:23 - すーむゆー。 ID:mmTD3RlA
どうやら私がみたのは、肝心の鬼姫伝説の部分がカットされていたようです。幸い、サングラに準備稿がありますので、これをベースに、人柱風習にもとづいた伝説の解題をしてみます。なお、準備稿では伝説にある10人の鬼姫ミイラがすべて引き上げられたことになってますので公開されたモノと異なるかも知れません。本編と註2つの三つにわけます。

1)平安末期あるいは源平時代(註1)、なんらかの事情で友引村に貴族(註2)の姫が流されてきた。当時、村では凶事(争いごと(註3))がおこったが、姫がなんらかの形でかかわることで、おさめることができた。その後、おそらく若くして、姫は亡くなり(註4)、姫を慕う村民は生前と同じ姿で埋葬した(註5)。

2)その後、時がたち、姫の徳行の記憶が薄まると再び村民の心は荒み、凶事が起こった。それを再びおさめんがため、娘を姫に見立てて(註6)生き仏を祭ることを思い立った。>これが「人柱」風習の始め。

3)これ以後、村では、節目の時(註7)に生き仏を祭る風が習慣となり、9代(最初をいれると10代)続いた。

4)およそ300年前(江戸初期)、その地をおさめた面堂家の祖先(註8)がこの悪習に気づき、娘を生き仏にするかわりに、桜の木(太郎桜)を植え、それを祭る様にあらためた。

村としましたけど。。 引用
No.6-125 - 2003/09/22 (月) 01:01:50 - すーむゆー。 ID:/8IOybyc
>1)300年前、村の中で
ここでの村とは、友引町の前身であり、面堂の書いたシナリオのなかの村、を直接はあらわしません。友引町自身と考えていいです。また、300年前、その村の村長(むらおさ)は面堂の先祖だったことは十分考えられます。原作シリーズには存在しない(あるいは食い違う)設定ですが。

鬼姫降臨伝説は「人柱」 引用
No.6-124 - 2003/09/22 (月) 00:53:33 - すーむゆー。 ID:/8IOybyc
LTFを通しで見る機会がありました。その上で指摘させていただきます。既に鬼姫=人身御供との指摘がされており、基本的にその見解に沿うのですが、LTFを理解するには、その具体的な姿をはっきりさせておく必要があると感じたからです。
面堂のシナリオにみうけられる彼の理解によれば、
「村人からでた悪霊を鎮めるために鬼姫が降臨された」となるかとおもいます。
これがなにごとであるか明らかにするには、日本古来の(悪しき)風習について省みておく必要があるかとおもいます。それは「人柱」(ひとばしら)です。人柱というのは、新たな城作りなど普請事が災害なく進むよう先の備えとして、、あるいは災害事件など凶事があとにつづかぬよう、人間を人身御供とすることで、通常は生き埋めですが、入水などの例もあります。さて、鬼姫伝説を人柱の風習が行われた事実の美化ととらえ、その事実を推定すればだいたい以下のようになります。
1)300年前、村の中で、災害、疫病、あるいは忌まわしい事件、争いが起こった。
2)その頃、村に、よそ者の姫(鬼姫、鬼には外の者=よそ者という意味がある)が住み着いた(これはたいてい一族の罪に連座し流刑されてきたことを意味する)
3)村人は現在の非常事態を鎮め平穏な日常を得るために、非日常的存在(=鬼姫)を犠牲にする(毒には毒をもって制する)ことを考え、それを実行に移した(LTFの場合も、おそらくは撮影後の晩出現したときのような、面をつけられ、美しい単を着せられた姿で、哀れ生きながら埋められたのでしょう)。
4)幸か不幸かもとの平和な生活が戻った。しかし、非常時であったとはいえ、殺人を犯したことの自責は残る(怨霊として自覚されることもある)、そこでその事実の記憶をとどめ、一方、忌まわしい事実を浄化することを目的として生き埋めの地に桜の木を植えた。同時に事実は美化された鬼姫伝説として残ることになった。。。
--
こんなところでしょう。以上で、鬼姫の骸の上に樹齢300年の太郎桜が植わっていることも説明がつきます。推定としましたが、人柱に関わる伝説はどれもだいたい似通ったものだと思います。

面堂! 引用
No.6-123 - 2003/09/05 (金) 23:27:52 - プチファン ID:GUkT9Fks
サントラCDを聴きながら思う。
「Out of the Door」の、
絶望・希望が入混じった旋律などを聴いていると、
この映画が他の作品とは完璧に違う異質な作品だと感じる。
うる星のキャラと世界観だけをベースに、
ある種の極限のテーマを強引に使った作品だと。凄い映画だ。
このテーマで強引にしろ、よく作ったと思う。力作であろう。
うる星の歴史の中に入れたくないファンがいるのも頷けるが、
流れとは別にしても、永遠に語るるに足る作品だ。
しかし、この作品の面堂はカッコイイのであった!

(無題) 引用
No.6-122 - 2003/08/18 (月) 15:09:49 - ウダル ID:pFmlwTjQ
ラムに萌える人や、追いかけっこが好きな人や、キュンとしたい人や、
押井ワールドに浸かっている人や、笑いたい人や、
ファンクラブに入っている人や入ろうと考えたことがある人や、etc
そんな人には受け入れられない作品だと思う。

(無題) 引用
No.6-121 - 2003/08/16 (土) 22:09:52 - トーリー ID:MJFWQLXI
面白い作品だ。でもシリアスだから、ギャグ漫画のうる星とは異質だ。
子供には勿論受けない。映画が好きな人じゃないと難しいかも。

(無題) 引用
No.6-120 - 2003/08/12 (火) 01:30:17 - つばめ ID:FVPyAISA
数年前、あるアニメについて疑問を聞いたことがありました。その人が言うには、「アニメの矛盾は聞くな。それは重箱の隅を突付くもの。」と言われました。 まあ、ほんと「ラムは重力に逆らってなぜ飛べる。その原理は?」と問うたところでしょうがない。見たままを理解するしかない。

あのサーカスの人たち(とくに像に寝そべったピエロの笑い)と音楽、子供頃のしのや面堂、とても幻想的です。ラムの日記帳のつけ始めのあの言葉、あたるの奉公人姿、しのぶの夢、水の中のラムさんの姿、それと、激戦の中をあたるがただ走っている姿、等々はとても印象深い。たとえ、数年たって「ラム ザ フォーエバー」のストーリを忘れたとしても、この場面の断片だけは覚えていると思う。わたしはこの映画はわりと好きです。ただ、ストーリ展開はすぐに忘れてしまいそうです。

ランに電撃を浴びせたラム 引用
No.6-119 - 2003/08/11 (月) 22:16:40 - 大神 司狼 ID:lqH52iM6
作品中でランが複数の男子生徒からデートの誘いを受ける。
その光景をラムは不快に思い電撃をランに浴びせる。
威力は零に等しかった。
超能力が弱っているだけでなく同性に悪意を浴びせるラムの姿。
それはラムが特別な存在ではなくなることを意味する。
この要素も公開直後は読み取れず今になって理解できた。

今更ですが 引用
No.6-118 - 2003/08/11 (月) 11:10:35 - 目盛 ID:UmGLqVBA
この作品がとても気に入ったので書込みさせて頂きます。
どうやら酷評された作品のようですが、ネコこたつさんのおっしゃる様に、大変奥が深い作品だと思います。
私は、ストーリーも良いのですが、絵の綺麗さと板倉文さんの音楽がとても気に入っています。
この作品は単純なラブコメではない分、うる星フリーク(死語?)の方には受け入れられなかったのでしょうね。
私のように、フリークではない単なる全般の映画好きなら案外楽しめたのではないでしょうか。
とにかくBSで録画したのですが、保存することにしました。
これから何度も観ると思いますが、スルメの様に味が出てくると思います。

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