高校野球編:夢の場所・帰る場所(前編) (Page 6)
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あたるは黙り込んだ。返す言葉が見つからなかった。
(そうだ、おれは周りが見えていなかった・・・。だからあんな・・・)
今更ではあるが、あたるはやはり後悔していた。去年、決勝でラムを泣かしてしまった事は事実だ。それは勝ったときのうれし涙でも無ければ、負けたときの悔し涙でもない。
それよりもっとたちの悪い涙だ。完全に純粋な悲しみしかその涙には含まれていなかった。悔し涙なら、まだ良い思い出に出来る。しかし、あの涙は悪い思い出でしかないのだ。
今回またあの涙を流させるわけにはいかない。あの涙は一回きりで十分だ。
「あんたは男や。そして友引高校全校生徒の夢を背負っとるんやから、男より更に男らしく」
「・・・」
「そやろ?な?」
「・・・、わかった」
あたるがそう答えると暗闇の向こうで声の主が口元に笑みを浮かべたのがあたるには理解できた。最後にあたるは気になることをまだ質問していなかった。
「最後に聞くが、あんた、だれだ?俺には妙に懐かしい気がするんだが・・・」
「・・・」
一瞬話すのに戸惑ったかのように間をおいて、そしてまた闇の中からほほえみが感じられた。
「輝かしいある少女のただの通りすがりの母親や・・・」
そういった瞬間、視界がパッと明るくなり、体に太陽の熱が感じられ、肌を汗が伝い、耳に大歓声が聞こえた後、キャッチャーミットを構えるコースケがまず最初に目に入った。
そして、そこが球場であると解るのにそう時間は掛からなかった。
「・・・たん場で逆転出来るかもしれへん!!ええか、三者凡退や、解ったかァ!!?」
メガホンの親父の声が再び聞こえ、途中でとぎれた所から続きを叫んでいる。あたるは不思議に思った。数分間、闇の中で例の女性と話していたのだ。
それが一瞬の出来事だったのであろうか。
あたるは一瞬、混乱したが、ベンチで心配そうに見つめるラムに向かって心配ないと言う視線で笑いかけた。そしてラムがその笑顔に気付いたのと同時に、あたるは帽子で顔の表情を
解らなくさせるように帽子を深々と被った。
(野球はツーアウトからだと言うが・・・)
あたるは振りかぶった。その体勢で暫く停止して、そして手を下げるのと同時に左足を上げる。
(まったく・・・)
そして、左足を地面にたたきつけて、剛速球を投げに行った。
(その通りだ)
まさに弾丸だった。その白い鉄砲の弾はコースケの構えるミットにドンぴしゃにつっこんでいった。一刻商バッターはその弾丸に手が出せなかった。
彼にとって、このコースはほとんど得意だ。ここに来れば四割で打てる。しかし、バッドを出そうとしたときにはボールはミットに収まっていた。実際そんな大げさなものではないが、
バッターにはそういう感覚に襲われていた。ミットから爆発音が聞こえた。コースケはその衝撃による右足の痛みに耐えながらも、心の中では非常にいい気分だ。
(ナイスボール!)
ボールにそう念を入れてあたるに投げ返す。あたるはグラブに入ったボールからコースケのメッセージを受け取る。
それを右手に撮った瞬間、メッセージの内容が解った。あたるはコースケにも笑いかけ、そのままテンポ良くボールを投げに行った。
速球を投げる事に歓声が上がり、ある者達には喜びを、ある者達には驚きを与えた。そして、その三十秒後には審判がこう叫ぶ。
「ストライーク!!バッターアウトォ!!」
あたるはマウンドの上で静かに握り拳を作り、天に高々と掲げ、神にその拳を見せつけた。その姿に誰もが見とれた。
その姿は男が惚れる男なのかもしれない。全てを悟った英雄かもしれない。そして甲子園の奇跡を起こす男なのかもしれない。体中から汗が垂れ落ちてもそれは三年間の青春の結晶
だったのだろう。その汗は友引高校に伝説を作る一滴一滴だった。
『三振!!バッター岩山、手も足の出せないまま三球三振!!再び蘇りました!友高エース、いや高校野球界のエースになれるかもしれない!!
 まさに、高校野球界歴代最強のピッチャーになる資格を持つ男でしょう!』
マイクを強く握りしめて、実況が高血圧で倒れそうな勢いで大声を張り上げた。
「よし、絶好調!」
あたるはベンチに向かってVサインをしてみせた。そのVサインをラムがみた瞬間、そこにはエースがいた。再びそこにエースが戻ってきた。
あたるはベンチの中のラムを見ながら独り言をぼやくように口を開いた。
「後は逆転するだけか・・・。九回まで来て3−2・・・。だったら・・・」
「逆転サヨナラ勝ちしかねえな」
コースケがマウンドまで歩み寄っていたのにあたるは気づかなかった。独り言を言っていたあたるは驚かずにはいられなかった。
「な、なんだよ!?いるならいるって言えよ!」
独り言をごまかすようにあたるは余計に大声を出した。
「さあ、あと二人も討ち取って裏には俺がさよならホームラン!『友引高校、昨年ベスト4の一刻商を破り、甲子園初! 
 友高の四番白井!土壇場の一発逆転サヨナラ!』これが明日の新聞の見出しだ」

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